スマトラ島の温泉をめぐる旅 20日目 パダン観光とパダン料理
パダンはムンタワイ島でサーフィンを楽しむ人々の中継地になっている他、通常の顔としてはスマトラ島でメダンに次ぐ大きなビジネス都市になっている。
スマトラ島の西岸には、パダンくらいしか大きな街はなく、物資の中継地にもなる。
サーフィンのメッカになるくらいだから、1年中波が高く航路としてはもっぱらマラッカ海峡が使われ、歴史的な遺産が規模の割に少ない。
何もないと言われるパダンだが、それなりに観光名所はある。
今日はパダン料理にも行ってみる。
山派のわたしとしては通常スキップする海についても一言つけ加えると、期待しないで頂きたい。
潮風とサンセット以外に見どころはない。
1.中華街
川沿いの旧市街に隣接し中華街がある。
いかにもな寺院がある他、中国風の屋根や門もたくさんあり、中華街に来たという感覚は持てるだろう。
市場につながっていて活気に溢れている。
華僑と現地人が混じり合っているのが面白い。屋台は現地人、お店は華僑系が多そうだが、客はほぼ半々。
見た目は華僑で白いムスリムの帽子をかぶっているお爺さんもいる。混在が進んでいるのかもしれない。
わたしは行列ができている甘い方のマルタバックを食べたかったが、時間がかかりそうだったのでやめにし、せっかく中華街にいるんだからと華僑がやっている麺の店を選んだ。
ミー・パンシットが看板商品なので頼む。pangsitとは想像しにくいがワンタンのこと。
なかなか美味しかった。
暖かいお茶と合わせて2万ルピア(200円)はちょっと高い。
マルタバック屋台の写真を載せておく。
2.ミュージアム
西スマトラの博物館で、立派な建物が通りからよく見える。
中央に建つ白い塔は、この地域出身のハッタの言葉が書かれている。ブキッティンギの出身。
ハッタは、初代副大統領で、スカルノとともに独立を成し遂げた人だ。
スカルノハッタエアポートの名前にも使われている。
展示物は正直ぱっとしない。
だが、この博物館にはルンダン博物館が併設されているのだ。
あの世界で一番美味しい料理に認定されたルンダンだ。
ここの展示もいまいち。
だが、ルンダンの知識は増えるし、記念に行かない手はない
一回干してから煮込むのがポイントだろう。
保存と携帯性を兼ねた料理だったのだ。
ココナッツミルクを汁が無くなるまで煮込む調理法、メランダンが語源と説明があった。
ルンダンをマレーシア料理と紹介するのはもう止めて頂きたい。
3.パダン料理に挑戦する
有名店Pagi Sore (朝、午後の意味)に早めのランチに行く。
思ったより小さな店構えをしているところに本物の予感がした。
そう言ってみたものの、わたしは過去何度もパダン料理は食べているが、味の違いには自信がない。
本場の作法も分からないので、すべてを任せ静かに座って待つことにした。
店には3世代に渡る女系オーナーがゆったりと座り、働いているのは給仕も含めみな男ばかり。
ミナンカバウの女系家族の真髄を見た気がした。
山崎豊子の小説に、女系家族という面白い作品がある。遺産相続に絡む女性たちのドロドロした争いを描いた小説で、船場出身の山崎豊子ならではの作品になっている。
ミナンカバウでも同じことが起きるのだろうなと想像をたくましくしながら観察していた。あるいは相続争いを避けるうまい方法が、慣習として伝わっている可能性もある。
しばらく待っている、と次々と料理皿が運ばれてきた。
手をつけたものだけ料金に加算されるシステムだということは知っているので、ルンダンから順にどれを食べるか算段をつける。
食べていると、オーナー一族の中でも1番の知恵ものらしいメガネをかけたおばちゃんが、どこから来たのかと話しかけて来た。
わたしが「バンドンから」と答えると予想外の反応に戸惑った様子だったので、すかさず「人種は日本人だ」と付け加えると、そうだと思ったんだよといった感じで家族で話している。やっぱり日本人だったじゃないのみたいな感じだった
わたしの風貌は何人か分かりにくいようだ。
味はどうかと聞かれ、「enak tapi sedikit pedas(美味しいがちょっと辛い)」と答えると、わたしのたどたどしいインドネシア語を繰り返して、喜んでいる。
外国人が日本語で「オイシイデスガ、チョットカライデス」と言っている感じだ。
そして1番偉いおばあさんが、辛いやつは食べるなと忠告しつつ、あれを出してやれとおばちゃんに指示した。
持ってきてくれたのは、ふりかけみたいなやつと、揚げ豆腐のココナッツ煮だった。
わたしがルンダンよりも気に入ったのは、エビのココナッツカレーで、グライウダン(グライ=カレー、ウダン=エビ)と言っていた。
ついつい食べ過ぎた。
お会計は9万ルピア(900円)だった。
4.人気のカフェに行く
Kioskという人気のカフェが、パギソーレから100メートルちょっとのところにあり、パダンのデザートを食べに行く。
メニューを見ながら、パダンのデザートを食べたいと相談すると、申し訳なさそうに、うちでは提供してませんと言うではないか。
しまったと思いつつ、帰るのも悪いので、オススメだと言うブラウニーを頼んだ。
このブラウニーが絶品で、焼き立てで出てくるのもあり、うますぎる。
日本人の味覚からすれば甘すぎと言われるかも知れないが、熱帯の気候にはこれくらいの甘さがちょうどよい。
わたしはコーヒーにしなかったことを後悔した。そして追加でコーヒーを頼んだ。
うーん合う。コーヒーとブラウニーのコンビネーションは最高に合う。
わたしは満足すると宿に戻った。
ところが、宿に入れない。締めだされてしまった。
仕方なく近くのカフェに向かった。
途中で地元の大学生にアンケートの協力を求められた。土産屋のビニール袋を手に下げていたので、旅行者とバレたのかもしれない。
ビジネス&エコノミーを専攻している学部生。わたしも学生でね、アンケートはやったことがあるよ、数を集めるのが大変だよねと話した。
バンドン工科大学というと、尊敬の眼差しで見られた。この薄汚れた浮浪者のような年寄りが?というギャップも大きかったと思われる。
お互いの卒業を願いつつ別れた。
カフェは昨日も行ったパダンオールドタウン
パダン名物アボカドコーヒーを注文する。
アフォガードではない。アボカドである。
わたしは、アフォガードをアボカドと勘違いした人が昔いて、想像で作ってみたのがきっかけだろうと想像している。
アボカドは生臭い風味があり、よくチョコレートを混ぜるのだが、同じ理屈でコーヒーの苦みがアボカドの臭みを中和させる効果があるようだ。
今日他にやったことと言えば、寮のスタッフたち向けにパダンの辛いスナック菓子と粉コーヒーを買ったくらいだ。
腹の調子が悪いので、夜は優しい味のミークア(汁の麺)を食べ終わりにした。
5.宿の紹介
あまり宿紹介をやってこなかったけれど、今回は2日お世話になった宿をご紹介する。
まだ地球の歩き方に出てない(ロンリープラネットには掲載)のと、見た目がわかりにくいからだ。
Bat and Arrow
住所: Jl. Batang Arau No.25, Batang Arau, Kec. Padang Sel., Kota Padang, Sumatera Barat 25118
ここの何よりいいのは立地で、歴史的な建物が集まる地区にある。
インドネシアでは良くある話だが、歴史的な建造物が廃墟のまま放置されて、落書きだらけになっている中に、同じように並んでいる。
中に入ればサーフボードが大量に並び、デザインやオブジェからアート系だということが分かる。
そして次に良いのが値段で15万ルピア(1500円)。これでエアコン付き個室。トイレと水シャワーは共有だが、総じて綺麗。カビ臭さ、ドブ臭さがない。
それとベッドのスプリングが良い。
安宿のベッドはスプリングが半分壊れかけのところが多いので、これは貴重。
あと酒飲みには貴重なホテルで酒を調達して飲めること。
川に面した飲み場があるし、部屋で飲んでもいい。
よくないところは、週末ライブが深夜まで行われ、うるさくて寝られないところ。
事前にうるさいよと忠告してくれるが、引越しは面倒だしまあ部屋の中にいればなんとかなるだろうと思い、そのままいたら、低音がズンズンからだに響くくらいだった。
明日のフライトでジャカルタに飛ぶ。最後の夜だ。
料金はジャカルタ-アチェの半額以下と安い。