50代からの留学 インドネシアMBA 自己紹介 (24年6月加筆修正)
はじめまして。
インドネシアはバンドンにある、バンドン工科大学のMBAに留学しているウダマコトと申します。
インドネシアで留学しようと情報を探した時に、情報不足で苦労しました。
インドネシア留学をもっと身近なものにするため、体験したことを共有するnoteを始めました。
1. 自己紹介
東京生まれ東京育ち。多摩っ子です。高校は都立小金井北高校、1浪して大学は早稲田大学法学部。中国で起業しようとゼミは現代中国法を取り、中国語を第一外国語にしたくらい中国にはまりました。休みになると中国に行きバックパッカー、上海でホームステイもしました。
1995年:大学卒業後、アジアで起業する準備にピッタリだと考え、日本アジア投資というベンチャーキャピタル(VC)に入社。
2001-2002年: シリコンバレー駐在。シリコンバレーのエコシステムに感動し、自分で起業するより起業家支援のプロになって日本にこのエコシステムを持ってこようと思い、1度目のピボット。
2004-2009年ジャカルタ駐在。日系企業の撤退案件を手掛け、誰もやりたがらない後ろ向きな撤退の仕事こそ自分の天職と考え、2度目のピボット。
2009年: デューク大学ロースクールに留学するため退職。家族で渡米、ノースカロライナ州ダーラムに引っ越す。
卒業後、1年間サンフランシスコの法律事務所で研修後、日本アジア投資に復職。2012年NY Bar登録。東南アジアグロースファンドを手がけるも、志半ばで会社が東南アジア撤退を決意、退職する。
2013年: シャープに転職。家族で大阪へ。リストラ、M&Aに従事。事業会社にやりがいを感じ、ファンドやM&Aに移るのは止め事業会社の経験を深めることに。3度目のピボット。
2017年: 三菱自動車に転職。家族で神奈川県へ。M&A、関係会社管理に従事。CVCの手伝いも。
2023年: バンドン工科大学に入学。またスタートアップの世界に戻ろうと4度目のピボット。
2.なぜ今?なぜインドネシア?
現役最後の10年間、東南アジア、スタートアップの世界に戻り世の中に貢献したいと思ったため。優秀な仲間に囲まれやりがいのある仕事をさせてもらっており、給料ももらっているので贅沢は言えないけれど、このまま続けると最後は尻すぼみになり退化していく予感があった(老化現象もある)。再度変化の中に身を置いて成長させたい。
子供がある程度大きくなり、妻も仕事が充実して来て、一人で日本を離れても問題ない目処が立った。家族も応援してくれている。親もまだ元気。
インドネシアは5年間過ごした思い入れのある場所。いつか戻って日本とインドネシアの架け橋になろうと思っていた。
インドネシア語をマスター(今はD級)、大企業に10年いてすっかり鈍ってスローになったのでリハビリもかね、どうせなら語学だけでなく何か学位を取り現地ネットワークも強化したい。
3.インドネシアでやること
(1)最初の2年間(在学期間中)
① インドネシア語の勉強、インドネシア語検定B級取得目標(Aはあきらめました)。
② MBAの授業に貢献し、クラスメイトと教授の信頼を得る。
③ インドネシアの各地を旅してまわる。インドネシアを理解する。
(2)卒業後
2年の間にどのような機会があるか調べるとして、今の仮説ベースでは以下の通り。
① インドネシアのスタートアップ情報を日本に流し、日本の投資家とつなぐ。
② VC、CVCのインドネシア投資先の管理代行
インドネシアブームに乗って投資はしたものの、管理できずに野ざらしになるパターンは昔からある。
③ 日本企業の撤退サポート
上に同じ。パートナーとの関係解消、赤字の垂れ流しを止血などの目的で撤退したいが、現地側の人材が手薄で、本社側も余裕なし。
④ インドネシアの記事を書く。温泉など。
4.Noteに書く内容
インドネシアのMBAに入るにはどうすれば良いか。選択肢、困りごと(済)。
生活立ち上げ。ビザ、家探し、手続き(済)。
インドネシアの学生のトレンド、考え方。
旅行記。温泉。
インドネシア料理、グルメ情報。
ビジネスネタ。
最後に趣味
旅、温泉巡り、温泉資格は8個 (取得順:温泉ソムリエ、温泉観光アドバイザー、温泉入浴指導員、温泉健康指導士、温泉ソムリエマスター、温泉観光実践士、日本温泉名人(温泉検定)、温泉保養士上級、温泉観光士)。九州八十八湯巡り泉人。ここ2年は年間150回くらい入っている。
筋トレ。もう少ししたら登山とランニングの比重を高めていく予定。
【ご連絡はこちらのメールアドレスまで】
makoto_uda@sbm-itb.ac.id
外向けの記事を書く時間はなかなか取れませんが、記事を書いています。
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