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インドネシアの島めぐり36日目 サパルア島に留まる ついに温泉を発見

朝ご飯に出てきた小さいパンを3個とコーヒーを飲むと、わたしは早速ヌサラウット行きの船のアレンジをお願いした。
宿のお手伝いさんの友達の船らしい。

全然連絡がつかないというので、時間がかかりそうだなと思い、気になっていたポルトガルが建てた砦の見学に行く。
ホテルから200メートルくらいの距離にある。

デュールステデ砦(Duurstede)

港を守る絶好の位置に、高さ5メートルほどの台地があり、そこに円形の砦が築かれている。
元はポルトガルが1676年に建て、その後オランダが使っていたようで、綺麗に保存されている。
青い海と空にとても映える砦だ。

この砦はインドネシアの国民的英雄パティムラがオランダから奪い取り反抗が始まった場所でもある。
砦のオランダ人は1人の男の子を除き女性も含め殺されたという。男の子を殺さなかったというのでパティムラ(優しい男)という通称になったらしい。
その後もオランダ軍の援軍を撃退し数ヶ月の間オランダを悩ませた現地のリーダーだ。

ここまでやってしまったからオランダ政府から相当恨まれたのか、生かすと後々禍根を残すと思われたのか、彼とその仲間たちは1人の未成年の女性を除き、全員アンボンで絞首刑となった。当時反抗のリーダーは島流しと相場が決まっていた時代だ。

唯一釈放された女性が、もう1人の国民的英雄マーサ・クリスティーナ・ティアハフ。未成年に免じて釈放された。当時17歳だった。
ちなみに彼女のお父さんキャプテン・ティアハフはパティムラと共にアンボンで絞首刑になっている。

彼女の話は彼女とその父の出身地ヌサラウット島に行ってから書きたい。

わたしは、血生臭い過去に似つかわしくないどこまでも青い海と空を見ながら、砦の歴史に思いを馳せた。

入場料は好きなだけ払う仕組。わたしは50,000ルピア(500円)払った。

本日のヌサラウット島への渡航を断念

ホテルのお手伝いさんのことづてを持って、オジェックの運転手が砦にやってきた。砦に行くなんて一言も言っていないのによくわかったなと思ったら、外国人は目立つので集落の人たちに行動を観察されていたらしい。

今日の船(7人乗り)は全て埋まっていて、しかも行き先がわたしの行きたい場所ではなく島の裏側らしい。
チャーターすると600,000ルピア(6000円)かかるのに対し、みなで乗る船なら50,000ルピア(500円)というので、明日の朝の船に乗ることにした。
フェリーもあるが、島の反対側までオジェックで行かないといけないので、サパルア港から出る船に乗る方が便利だ。

再度温泉にチャレンジする

1日暇と決まれば、やることは一つ。昨日道に迷いたどり着けなかった温泉を探し出すことだ。
オジェックの運転手の中で温泉の場所を知っている人間を見つけ出し、その人に連れていってもらうことにした。
最初に声をかけたお爺さんは、船がない連絡をしてくれたお爺さんで、律儀に温泉までの道を調べに行き、バイクが入れず徒歩で山道を歩くと知り断ってきた。
ただ、親切にも代わりのオジェックを連れてきてくれ、その男性と行くことになった。

昨日は道が無くなっていて大変でね、という話をしたら、「道はハリアの町からならある」と心強い。
途中の家の前にバイクを止めさせてもらい、歩いて向かった。その家のお爺さんは前歯が半分以上なくなっている。

昨日歩いた道とそっくりな道を通り、途中から細道に入る。道はちゃんとある。坂を下っていくと広場に出た。
オジェックの運転手は「先にジンジンしてからだ」といい、そこで立ち小便を始めた。そうかジンジンというのか、ちなみに日本ではそのイチモツのことをチンチンと言うんだと教えた。

温泉は広場にはなく、また山道を少し登りまた下るとあった。
茶色い湿地帯で、木の丸太を通路代わりに敷いてある。グラグラして今にも滑って落っこちそうな場所だ。

一番奥に進むと、深い底からふつふつとお湯が湧き出している場所があった。

入ってみようと手を入れると熱い。感覚的には50度ある。
日本人なら入れる人がいるレベルの温度だが、私には無理だった。10秒と手を入れていられない。

味を見ると塩分があり、鉄の味がする。さらに若干の酸味も感じた。大量の湯の花が浮いているので硫黄成分も入っているだろう。多分相当濃い温泉だ。入れないのがとても残念だ。
顔を洗い頭にお湯をかけ、タオルを浸して体を拭った。

見ると運転手はお湯に浮いた藻みたいなものを手足に塗りたくっている。どうやらここではそういう入り方をするようだ。泥パックならぬ藻パックだ。

わたしも真似をしてやってみた。
藻には、茶色い湯の花が混ざっていて、塗ると泥のようだ。これをお湯に浸かりながら顔にやりたかった。

運転手によれば、この温泉は朝が一番温度が低く夕方になると温度が上がるそうだ。何で?と聞いたら、そんなこと知らない、わからないという返答だった。
それはそうだ。聞いたこっちが悪かった。

温泉をそこそこ満喫した気になり、バイク置き場に歩いて戻った。

パティムラの生家を訪ねる

ハリアの町にパティムラの生家が残っているというので連れていってもらうことにした。
いってみると、漁民たちの憩いの場になっていて、道端では魚網を干しているところだった。

家は新しく建て直されたようで、昔の面影のようなものはないが、彼が着ていた服や使っていた刀が展示されていた。
家系図があり、パティムラ自身は独身で子を成さずに亡くなったものの、お兄さんがおり、その子孫が広がったようだった。
この家もお兄さんの子孫が維持してきたのかもしれない。

わたしはパティムラが見たであろう、家の前から見える美しい海の色を眺めながら、若くして散ったパティムラの人生を思った。

モニュメントを見に行き、地元の人たちと交流する

ホテルから1キロほどの海沿いに、パティムラの反乱のモニュメントがあるというので歩いて見にいってみた。
そこには石碑のようなものがあり、反乱の流れが書いてあった。
ただそれだけのものだ。
あまりいく価値はないだろう。

その帰りみち、海辺で何やら作業している家族がいるので見にいってみると、小さいイワシをバケツいっぱい取っていた。網でとったらしい。
どうやって食べるのか聞いたら、油で揚げてフライにして食べると美味しいと言っていた。

男の子は怖がって泣いてしまった。怪しいおじさんでごめんね。

彼らと話をしていると、近くでアラックの酒盛りをしていた若者たちに一緒に飲もうと誘われた。魚をとっていた家族の親類らしい。

明らかに未成年なのだが、アルコール度の強いアラックを飲み、タバコもガンガン吸っている。この島では全て自由だそうだ。
ちなみにインドネシア語で自由のことを“べバス”という。どうぞあなたの気の向くままに、なんて時にべバスを使うことが多い。

そういえば、フローレス島でドイツ人、フランス人とクリスマスの食事を楽しんでいた時、ドイツとフランスでは、未成年は強いアルコールを飲んではいけないけれど、ビールは特に年齢制限はないと聞いたのを思い出した。高校生になったら普通にビールは飲むのだそうだ。
「わたしもドイツ人なもんでね。そりゃビールは飲むよ。」
「フランスではワインは強い酒に入るんだろうか」とフランス人に聞くと、男と女で意見が割れた。

国や地域によって様々なやり方がある。そしておそらく解釈も。

これから昨日行った魚の炭火焼き屋に行って、ビールを飲みながら楽しむつもりだ。

明日から数日滞在する予定のヌサラウット島には、ビールはおろか外食する場所が一軒もないらしいので、今のうちに楽しんでおくことにした。
Wifiもないかもしれないので、もしnoteのアップがなかったら通信環境が悪かったのだろうと思って欲しい。









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