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インドネシアの島めぐり6日目 フローレス島にフェリーで行く

フローレス島のラブアンバジョへ行くフェリーは、ビマからバスで2時間ほど先のサペという港から朝9時に出るらしい。

6時か7時にサペ行きのバスがあるというので、早起きして5時頃バスターミナルに行ったところ、ちょうどよくバスが待っていた。

「サーペイッ、サーペイッ」と威勢の良い呼び声が夜明け前のターミナルに響く。

いい加減エアコン付きのバスに乗りたいなと思い、その辺に止まっていた豪華そうなバスに声をかけるも、行き先が違うというので、諦めてぼろバスに乗った。

バスには6人しか乗っていないが5時半には出発した。例の如く途中で客を拾ったり降ろしたりを繰り返して進んでいく。朝の冷えた風がバスの開け放たれた窓やドアから吹き込み、気持ちよくなりいつのまにか寝てしまっていた。

集金のお兄さんに起こされ、40,000ルピア払うと、港はすぐだった。お兄さんは丁寧に「あそこでチケットを買うんだ。KITASかパスポートがいるから用意しておけ。」と教えてくれた。

チケット売り場に近づくと、親切なおじさんが現れて、チケット売り場を教えてくれた。聞かないとスタッフの休憩スペースにしか見えない売り場だ。

「ラブアンバジョまでチケットを買いたい。」とKITASのコピーを渡すと、係のおじさんは黙って受け取り、じっと見たあと「しばらく待っておけ。」と言った。
さきほどの親切なおじさんが近づいて来て、「イスに座っておくと良い、あるいはサラパン(インドネシア語で朝食)を食べるのも良い」と教えてくれた。それを聞きつけたのか、チケット売り場のおじさんは思い出したかのように、「今のうちにサラパンを食べておけ」と繰り返した。

お墨付きを得たわれわれ乗客たちは、おのおの立ち上がると朝食を取りに出かけるのであった。

港には5軒ほどワルンが並んでおり、どこも同じような料理を出す。おかゆとかバソとか出せば差別化になるのになと、余計なことを考えながら野菜多めで注文した定食を食べた。15,000ルピア

チケット売り場にはいつのまにか人がたくさん増えていて騒がしい。どうやら順番に名前を呼ばれるようで、わたしの名前は比較的はやく呼ばれた。
チケット代は105,000ルピアだったはずなのに、券には95,600ルピアという文字が印字されている。
ロンボックとスンバワを結ぶフェリーでも同じだったことを思い出し、あれは間違いでもぼったくりでもなかったんだと、1人納得した。

それからフェリーに乗船するのにしばらく待たされ、乗り込んだのは8:20だった。フェリーの中には食べ物売りが入り込み、熱心に営業している。わたしは子供の売り子からスナックを買った。

フェリーの出発時刻は10時と聞いていたが10:30に出航した。
1時間ほど経った頃だろうか、船で一緒になったフランス人の女性が、船が止まっていると言い出した。確かに止まっており、先ほど左手に見えていた形の良い島がいつのまにか右手に見えている。
どうやら引き返そうとしているようだ。

「普通こういう時はアナウンスがあるよね」というと、フランス人もウェブライターで旅をしているという中国人も、力強くAgreeしてくれた。
だが、3カ国一致の意見は船の運営会社には当然ながらなんの意味も持たない。

仕方なくインドネシア語のできるわたしが情報収集を行なった。売店のお兄さんと売店まわりでだべっている軍人に「船が止まっているようだが、エンジンの故障か?引き返そうとしているけど船は動くのか?」と聞いてみた。

すると、明らかに今考えましたといった顔つきで、「今エンジンを治していてもうすぐ直る。(どれくらいかかる?)1時間いや2時間かもしれない。」と答えてきた。
信憑性の確認を行うにも船員らしき者たちはどこにも見当たらず、まずは動くのを気長に待つしかない状況で、わたしは旅のともとなりつつあるフランス人、中国人と世間話をしていた。

地元客は不思議なほど動じておらず、もしかしたら止まっていることさえ気づいていない可能性はあるが、これまでの経験上、たとえ気づいても気にしないはずだ。

ラッキーなことに、船は30分くらいでまた動き出した。
「日本であれば遅れを取り戻そうとスピードを上げるだろう。」とわたしが希望的観測を述べると、他の2人は「そうなるといいね」とまるで当てにしておらず、おそらくこの数百人の乗客の中で、わたしだけが些細なことを気にする小さい人間だったと思う。

船はシートが並べられているコーナー、ベッドのコーナー、上に上がってベンチが置いてあるコーナーがある。

色鮮やかな屋上庭園に仕立てられたスペースは素晴らしく、わたしは何枚も写真を撮ってしまった。家族にも送信したくらいだ。

スンバワ島のサペからフローレス島のラブアンバジョまで、途中で止まっていたこともあり7時間半かかったが、常になんらかの島が見えており退屈しない。
コモド島の横を通り過ぎたりもする。

コモド島はとても乾燥しているように見える

英語の映画を2本と、インドネシアの映画を1本上映していて、数名の乗客が食い入るように見ていた。

船がラブアンバンジョにつく頃には、フランス人と中国人とはこれからも一緒に行動していこうじゃないかという雰囲気になっており、ホテル(ドミトリー)、翌日のコモド島ツアーも一緒のものにしてしまった。

夜ご飯も当然一緒だ。港の近くに新鮮な海産物屋台が連なる通りがあり、そのまま店でバカール(炭火焼き)してくれるいかにも観光客向けの場所にした。
非常に美味しくかつ値段もリーズナブルだった。
こんなに美味しい魚を食べたのは、インドネシアに来てから初めてだと思う。

ラブアンバンジョの街並みは、バリを思い起こさせる。
90年代か2000年初頭の頃の、まだ少し田舎くさい感じが残されていた頃のバリだ。
町を南北に貫く中心通りでは西洋人の観光客がたくさん歩いており、酒も自由に売られている。ダイビングやコモド島ツアーのショップが立ち並び、流暢な英語を喋る人も多い。
インドネシアにありながらインドネシアではないような町だ。

あまり長く滞在する場所ではないな。そんな気がした。

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