個別最適化という道標

 文部科学省が「GIGAスクール構想」という旗を掲げている。その旗を目指して歩いていくのだが,その旗の下に何があるのかは分からない。何かすごい財宝が眠っているのではと期待する人もいるし,とりあえずみんな集まっているから俺も来たよという人もいる。私なんかはまあ後者だろうなと思いながら,とりあえず野次馬根性で旗の下を掘り返してみる。出てきたのは「個別最適化」という,自分の手にあまりそうな代物で,さてどうしたものかと考えあぐねている。

 ずっと言っているのだが,これは「個別化・最適化」ではない。こういう言葉遊びの範疇に思えるが,この言葉は特別支援教育とめちゃくちゃに仲が良い。
 特別支援はずっと「個別化・最適化」を目指してきた。特別なニーズを持つ児童生徒のアセスメントを個別に作成し,最適と思われる個別の支援計画を立案し,1対少人数,ときには1対1での対応を行ってきた。その中でコミュニケーションや対人調整能力といった社会性を育んできた。一人ひとりに合った教育を,支援を,という「個別化・最適化」の極北が特別支援教育だ。

 そしてもちろん,GIGAスクール構想は「義務教育の総特別支援化」を目指しているわけではない。そんなことになったら,小中学校教員の数は今の倍では済まない。財務省が何回生まれ変わっても,そんな予算は生み出されない。

 考えなくてはならないのは「個別最適化」だ。いろいろ考えていくと,「学びという営為の主体は,子どもである」という,大きな前提に帰ってくる。何度原点に帰れば良いのか。私たちは何度目かの故郷への遡上を始める。鮭のように。力尽きて水面に浮かべば,鈍色に光る腹を秋空に晒すことにはなるが,今は考えないようにする。