『新美南吉が伝えたかったこと』のお話の再録、あるいは作家論“的”解釈への疑義

 思い返して確かめてみると、これはもう9年前のことになります。私マエダが、まだ「さとたく」という名前でTwitterをやり、livedoor Blogにいろいろ書き散らしていた頃の話です。この当時を知っているフォロワーの皆様におかれましては今後ともマエダをよろしくお願いします。

 EDUPEDIAという、全国の学校教員が自身の実践や教育技術などを投稿するサイトがありまして、私もTwitterアカウントをフォローしていました。その頃の人気記事のひとつが「『ごんぎつね』で新美南吉は何を伝えたかったか」というものです。2014年は、まだ物語教材の聖域性を感じられる最後の時代(だったと思います)ですから、これが人気記事となるのも頷けます。頷けるか? 少なくとも9年前のまだ20代だった私は頷いていたと思います。いや頷いてないよ。
 この記事に対して強烈な違和感を抱きながら、私は以下のような文章を書きつけていました。


EDUPEDIA「『ごんぎつね』で新美南吉は何を伝えたかったか」

 この記事とならんで,EDUPEDIAでは「『やまなし』で宮沢賢治が伝えたかった事は?」が人気記事として出ていますが,どうにもこうにも,もにょもにょしてしまうのですね。作者の意図に迫るとして,じゃあその手立てや下地となる作者研究は充分だったのか…? と。

 さて,当の「『ごんぎつね』で~」で,一番引っかかるのが「ごんは新美南吉の分身である」という主張です。作者が登場人物に自分を投影するというのはよくあることなのでしょうし,一定の理解はできるのですが…。じゃあ『でんでんむしのかなしみ』にでてくる「でんでんむし」も南吉の分身で,『手袋を買いに』の子狐も分身で,「久助君」もそうで,「胡弓弾き」の2人もそうで,「巳之助さん」も「東一君」もそうで,「文六ちゃん」も「和太郎さん」も「常念御坊」もかね? となる。各作品ごとに異なった新美南吉がいて,ということになる。
 新美南吉作品の多くは,彼の出身である愛知県半田市が舞台で,そのことを考えれば,南吉の分身というよりも,「南吉が生まれ育った土地から生み出された者たち」と言った方がいいのかもしれませんね。
 それに,「分身である」と主張することで,考察にかなりの制限がうまれるのでないかな~と。そういう危険性があるように思います。

 「伝えたかった事」を考える上で,参考として示される南吉の生涯と時代背景についても,妙な偏りがあるように思います。母との死別,戦争へと舵を切る社会,健康不安,就職や仕事の苦労など。ただそれらネガティブな要因の一切が,南吉を童話創作に邁進させたとは到底考えられません。1937年の盧溝橋事件や38年の国家総動員法公布など,さらに濃い戦争の色が社会に満ちた時にも,南吉は悲劇ばかり書かずに,あらゆるスタイルの作品を発表していますし。というか,「戦争への不安」はどうなんでしょうね。特に大きな影響はないのでは…。確かに『ごんぎつね』を雑誌『赤い鳥』に投稿した1931年に満州事変が起こっています。満州事変が『ごんぎつね』に大きな影響を与えるとしたら,9月18日(柳条湖事件)~10月4日(『ごんぎつね』投稿日とされる)の間になりますが,ちと短い。影響をもっているとは考えにくいですね。もうこれはさよk
 小学生のころから類稀な文才を発揮したといわれていますし,「このままいけば,将来は小説家」という教師の評価も手伝って,以降多数の詩や童謡や童話を雑誌に送るようになります。そんな中で生み出されたのが『ごんぎつね』なわけですから,正直,「当時の暗い社会情勢と南吉のつらい過去の融合」みたいなのは全く見当はずれにも思えます。

 記事の終盤辺りには,児童の考えがいろいろ記されています。「なぜ南吉は自分の分身である『ごん』を,物語の中で殺したのか。それによって何を伝えようとしたのか」…。「ごんは分身である」「南吉のつらい生涯と暗い社会」というガチガチに固められた前提から導き出される意見に対して,私は何とも言えない感情をおぼえます。
 なぜ殺したのか。それは「ごんは農家の生活を脅かすいたずらぎつねであり,兵十の憎しみは相当なものであったから」以外に答えようがないですね。
 後に南吉は,「童話における物語性の喪失」という題の評論を発表します。『ごんぎつね』の結末は,既に「童話に物語性を取り戻そうではないか」という南吉の意志が表れているようにも思います。
livedoor Blog 小学校教諭のお話「『新美南吉が伝えたかったこと』のお話 その1」より

 前回に続いて,EDUPEDIAのこの記事の,最後に記されている「作者の意図を考えながら読む」について,現時点で思っていることを少し整理しておきたいと思います。
 この,「作者の意図を考えて読む」ということについては,さてどうしたものでしょう,私はあまり積極的に肯定できません。以下,その理由5点

(1) 非常に高次の読みであるから
 とにかく,「自分の読み+友だちの読み+作者の意図」はあまりに高次です。自分の読みをきちんと確立させる段でつまずいてしまっては先に進めません。この辺は低学年段階で徹底しておくべき事項です。自分と友だちの意見が違うことにどう対応するかも,中学年段階の授業で扱い,分かっておく必要があります。これらの緻密な積み上げのうえに成り立っているのが「作者の意図を考える活動」です。素敵な国語の授業をたくさん受けてきた児童たちならあるいは…。でもそれは遠く険しい道のりです。

(2) 教師側のおさえが僅かでも甘いと,一気に破綻するから
 これはあらゆる内容,あらゆる教科領域で言えることです。要するに「教師は1教えるために100,あるいは1000,10000の事を知っていなくてはならない」ということになろうかと。「あの子はどう読むだろう,この子はどんな意見をもつだろう」,それを考えたうえで作者の意図をそこにどう挟み込んでいくか…。一筋縄ではいきません。研究の段でちょっとでも妥協すればまあ…。最終的にその作品にタコ殴りにされて終わるわけです。よくわかりませんけど。
 現に,当該記事の実践自体も若干偏りのある事前情報から『ごんぎつね』を生み出した意図を考えさせているので,「ああ,おさえが甘いんでないかなあ」と思います。

(3) 最終的な着地点は「みんなからいろんな考えが出たね」になりがちだから
 国語でよくよくありがちな光景ですし,私も何度かこの愚を犯しているわけです。「みんな違ってみんな良い」んですけどね,じゃあ「なんで違うのか」「どうしてそう考えたのか」「似てるところもあるけどそれはなぜか」とか,検討すべきポイントは無限にわいてくるわけです。「いろんな考え」の一歩先に行かなくてはいけないのに,そこにたどり着けない。それは困る。
 要検討ポイントを一気に収束させるマジックワードを教師がババーンと提示できるか,あるいは1人の児童の意見で収束に向かうか。この「収束」が無い授業はちょっとなあ。

(4) 学習指導要領ではそこまで求められていないから
 学習指導要領で出てくるのは「C 読むこと」の指導事項オ「文章を読んで考えたことを発表し合い,一人一人の感じ方について違いのあることに気付くこと。」ですが,要するに「友だちの読みとくらべてみて…」というところまでです。要領に書いてないからやらない,というわけではないのですが,私はこれもひとつの判断基準として捉えています。

(5) 「作者の意図」は物語中にも潜んでいるものだから
 記事の図,そして何より,記事自体から醸し出される「作者の意図は物語の外からくる」という感覚。下手を打つと,「南吉は自らの生い立ちと不安な社会情勢を受けて『ごんぎつね』を生み出した」みたいな感じがね,しませんかね。私だけか。
 というのも,記事中に「本文に準拠した意見」というのが極端に少ないように思うのです。作者と作品が独立したふたつのものだとして,フォーカスしているのは南吉のあれやこれやばかり…。作者の意図は,物語の中のいろんなところに顔をのぞかせているのですが…。そこに触れないのはあまり国語っぽくはないような気がしています。
 作者の意図は「どこから来るのか」と「どこにあるのか」を同時に考えることも,必要なのでしょうね。

 以上,理由5点です。このようなハイレベルな読みを実践するのであれば,筑波附小(当時)の二瓶先生レベルとでもいうか…(二瓶先生は確か文学部のご出身でした)。少なくとも私のような単純に「国語科の研究好きっす」レベルの人間がやるべきではないんですね。作品そのものの分析はもちろん,作品の生まれた時代背景,作者の生い立ち,当時の文学作品の流行・傾向,同じ作者の違う作品,そういったものを全てひっくるめたうえで,導き出した結論が高い妥当性をもってないといけないわけですから。もはや仕事の片手間に『ごんぎつね』についてウンウン考えているような人間が,「作者の意図がな! ここにな! あるんだよ!」とやったところで…ねえ。

 作者の意図に切り込む,それは,お話を読む上でとてもとても素晴らしい経験になるでしょう。「作者との対話」を通して得た読書経験が,きっと何かを豊かにすることでしょう。だからと言って,お手軽に授業にもち込むべきではないのでしょう。

 物語を用いての授業の難しさは,本当に厳しいものがあります。当該記事を執筆された先生が最後に記されている通りです。

 少なくとも教師は作品を分析する上で、作者の意図や時代背景を含めて、深く読み込む必要があるのではないかと思います。

EDUPEDIA・「ごんぎつね」で新美南吉は何を伝えたかったか
https://edupedia.jp/archives/13662

 その読み込みの質と深度こそが,物語文指導を決定づけるのかなあ,なんて思います。
livedoor Blog 小学校教諭のお話「『新美南吉が伝えたかったこと』のお話 その2」より


 とまあ、ここまで過去の自分が書き連ねた文章をリサイクルすることで何かを述べた気になっているのですが、いや何も述べてないじゃないか。
 当時の私の強烈な違和感はおそらく、当の記事「『ごんぎつね』で新美南吉は何を伝えたかったか」が、作家論をそのまま小学校教育に持ち込んでいたことに端を発しています。そして作家論だけでなく、社会情勢や時代背景までもをふんだんに(そしてなかなか雑に)盛り込んでいることに対しての違和感でもあろうと思います。ある意味では陰謀論の手つきにも近いなと感じます。そういう私自身もなんかこの記事の手つきが陰謀論っぽくないでしょうか。もしそうだったら言ってほしい。

 さて、9年前の私が抱いた違和感が、つい最近私の目の前にひょっこり現れることが増えました。苦手だった部活の先輩に、休日の街中で偶然出会うような、しかも向こうはやたら親しげに話しかけてくるような感じです。最低の週末だぜ。
 その苦手な先輩とは。
 宮崎駿監督作品としてはおそらく最後になるであろう映画「君たちはどう生きるか」の“考察と称した諸々の記事”です。

 判で押したように「あの登場人物はスタジオジブリの〇〇だ!」「あのキャラクターのあの行動はジブリ内部のあのことを意味している!」とかとか。それが考察なのかと言われると、大変にもにょもにょしてしまいます。鈴木敏夫氏のインタビュー記事が聖典みたいなところあるよな。
 もはや作家論ですらない、“作家論的解釈”でもって作品を語っているわけで、それって”作品そのもの”との向き合い方としてはどうなんだろうなという気分です。

 作家論という方法、作家論という概念、それ自体は昔からあるものですし、否定されるものではないでしょう。ただ、ここ最近の“考察ブーム”の中には結構な割合で“作家論的解釈”が入り込んでいるような気がします。“的解釈”という言葉自体は私が、今、考えたので、すごくふわふわした概念ですが、どうも9年前の私が抱いた違和感と、今の私が抱く違和感が同根であるように思えるのです。
 人間、どうしても自分が気づいたことや思いついたことを“ヤバすぎる真実”にしたいようです。 #本日のクソデカ主語

 しかし、9年前のワタシ、荒削りだけどいい文章書きますね。あの頃の情熱が戻ってきてくれないかとも思いますけども、戻ってきたらきたでそれはちょっと大変かもなと思うわけです。けど、こういう文章をちゃんと書いた自分と、ちゃんと残してくれている“インターネット”に、私はかなり感謝しています。ありがとね。