以前以後のお話9

 抑うつを超えてから、少しずつ今の仕事が好きになっている感覚がある。ほんとだよ。本当にそうなんだよ。まあ、そういう信仰なのかもしれないけども。

 信仰。それはどうしても盲目的なニュアンスを発生させてしまい、なんだか揶揄の意味合いさえも含んでしまうことがある。けれども、人間という脆弱な精神の持ち主が、どうにかして生き延びるためには水と食事と安全な寝床と、その枕元にはどうしても「信仰」が必要になってくるのではないだろうか。

 私の信仰。
 「子どもが好きな方が先生に向いているんですか」「先生の適性としての『子どもが好き』」に対して、私は消極的に「そんなことはないんじゃないですかね」という立場である。
 そりゃあもちろん「子どもが好き」というのは大事なことなのかもしれないけど、「好き」という「そもそもややこしい感情」の扱い方がわかっていないので、容易に混乱に陥ってしまうのである。

 一緒に働いたことのある特別支援教育コーディネーターの先生が言っていた。「小児科の先生がさ、ドクターがさ、言うんだよ。『愛ですよ』って。」それを聞いた私はいたく感動した覚えがあるが、そもそも「愛」という感情がもつ、重層性とグラデーションと切り分けの難しさをとんと理解していない若造がそんな言葉を聞いてしまっても、「そっすよね! 愛っすよねやっぱり!」にしかならない。そこから生まれる信仰は、果たして信仰なのか。ただ自分を苦しめる鎖になりはしないか。「子どもを好きになれない、子どもに愛を注げない自分」を否定してしまったことと、2ヶ月の療養生活は決して無関係ではない。

 そういうわけで、教育における愛の形を考えている。今のところ、それが私の信仰、ということにしておこう。