充実感と閉塞感と ここ2週間

 授業の日々が始まり、空っぽだったり冷気に支配されていたりした学校に、人と熱が戻ってきて、2週間が経過しました。当の私はといえば、標記の充実感と閉塞感の双方を心の中に飼って日々を過ごしています。手綱をつけてあちこちに好きなようにコントロールできれば良いのですが、今のところはこの二つが行きたい所に、いいように連れて行かれています。

 充実感は、抱えていた案件が少しずつ良い方向に向かい始めているという実感に端緒があったり、授業のことについてわずかながら手応えを掴み始めていたりすることで感じているものです。
 閉塞感。おそらくですが、自分のキャリアが次の段階に完全に移り始めていることからくる不安感がそこにあるように感じています。

 10年前、私がまだ学級担任としてはまだ経験の少ないあの頃から見ると、明らかにポジションの変化が起こっています。それを自覚できているのならまだ良い方なのかなと思います。気づかないうちにキャリアステージの変化が起こって、その状況を把握できないまま事態が進行してしまうよりは。

 「明日の授業はどうしよう」から「この単元はどうしよう」までの距離や、「なんであの子はこうなんだろう」から「この行動の背景に何があるのか」、そして「あの子にはどんなアプローチがいいのかな」までの距離。
 学校教育の現場でしばしば起こる教師間の認識のギャップについて考えられるようになってきていますが、まだ不充分なのでしょう。ただ、そういった視点が必要であること、求められていることについては理解できるようになっています。視点や観点が少しずつ変わってきているわけで、そうなると見えてくる景色も変わってきます。その「景色の変化」を受け入れながら、キャリア形成について前向きに考えていく必要があるのでしょう。

 教育活動について考える、その射程距離を伸ばしていくことには、どうしても戸惑いや悩みや苦労がつきまとうのだろうなと思います。若い頃はとにかく目の前のことに集中していたというより、目の前のことにしか集中できなかったのですから。もっと言えば、自分の授業さえどうにかなればよかったのですから。
 隣のクラスの授業はどうか、上の階の学級の授業は。あの先生の明日の授業はどうなるのか。そういうことにまで考えを巡らせていくことにはやっぱり悩みと苦労とその他のサムシングが去来するのですが、その感情との折り合いをどうにかつけていくことで、私も少しは「中堅」とか「ミドルリーダー」とかに近づいていけるのかなと思います。