プログラミング教育 必修化されてた

 「誰だよプログラミング教育が必修化されてるとか言ってるやつ」と書いたはいいが,実際に「必修化」という言葉が踊るスライド資料を見つけてしまい(見落としていたとも言う)振り上げた拳はとりあえず虚空を突いたままになっている。
 文部科学省が主催した,市町村教委向けのセミナーで使用されたスライド資料のPDFで検索をかけると,十数ページほどの資料に3〜4回,「小学校プログラミング教育必修化」のフレーズがある。「必修化」という言葉の解釈を変えねば,この事態が説明できない。ような気がしている。

 必修化,の言葉に対して私があげた例が「生活科」「総合的な学習の時間」「外国語活動」なのだが,これらは時間割にも明記されているし,年間標準時数の表にも「年間○時間やりなさいよ」と示されている。生活科と外国語活動は,文部科学省の検定を通った教科書が使用されているし,通知票に所見という形で項目が起こされている。

 対してプログラミング教育はどうか。学習指導要領総則をパラパラとめくってみても,そこにあるのはICT環境の整備,適宜コンピュータなどを使用して学習を深められるように,的な文言ばかりである。当然,年間標準時数の表にはプログラミング教育のプの字もない。さてはて……。

 前回の記事で「教育界で,あることを喧伝するなら『必修化』と言ってしまうこと」と書いた。私の振り上げた拳をとりあえずどこかに収めるためには「文科省は各市町村教委を迅速に動かすべく,『必修化』と言っておいた」のではないか,としておこうと思う。

 今回の私の見落としで分かったのは「プログラミング教育は様々な方面からの様々な思惑が複雑に絡み合っている」ことだ。とかくコンピュータを活用できる人材が求められている。中国,韓国,その他新興国に置いてけぼりを食らうのだけは勘弁。ぶっちゃけて言うとプログラマやIT人材が必要だ。しかしそれを大っぴらに言って学校教育現場に投げてしまうのはあけすけで粗雑に過ぎる。文科省としてギリギリの譲歩は「プログラミング教育を始めますよ。目的はプログラミングすることじゃないですよ。あくまで思考の力を育てることですよ」と言うことだった。でも,学校現場を迅速に動かさねばならない。……導き出されたフレーズは「必修化」だった,のではないだろうか。

 ここまで書いてみても,見落としていた事実は変わらない。しかしながら,ここまでの背景をざっとでも把握しておくことで,霧の中にいるようなプログラミング教育の輪郭が,おぼろげに見えてくるのではないか。