小学4年国語『プラタナスの木』(光村図書)

 なんと、あの椎名誠の書き下ろしです。今の小学生たちは、かなり贅沢な読書体験を義務教育段階で通過しているのです。重松清、安房直子、香山美子、新美南吉、宮沢賢治。そう、国語の教科書は結構贅沢なのです。最近の教員用教科書に付属する朗読CDには、高橋一生、余貴美子、神田伯山、上白石萌音、浪川大輔などが登場します。ファン垂涎。

 国語教科書のために書き下ろされた本作『プラタナスの木』は、メイン読者と同じ小学4年生の主人公(マーちん)とその友人4人の物語。マーちんなのでこれは十中八九椎名誠ご本人なのだろうな思うけど、同じような経験をしたかどうかはわかりません。
 プラタナス公園(大きなプラタナスの木があるためこう呼ばれている)でサッカーに興じるマーちんたちは、ある暑い日に、公園のベンチに佇む一人のおじいさんと出会います。おじいさんはプラタナスの木が作る陰で涼んでいましたが、些細なきっかけで遊びの合間におじいさんと話すようになったマーちんたちは、おじいさんから不思議な話を聞きます。
 夏休み、父親の帰郷に同行した同地でマーちんは台風に動じることなく山を守る木々を見て、おじいさんの話を思い出します。まさに木は、私たちの生活を守ってくれているのだと。
 しかし、戻ってきてみると、プラタナスの木は台風によるダメージが大きく、危険と判断されて切り倒されてしいました。木を失った公園におじいさんは現れず、マーちんたちは意気消沈してサッカーもしなくなります。そんなある日、マーちんたちは、プラタナスの切り株に4人で立つのです。切り株の上で両手を広げ、幹や枝葉の代わりになろうとするのです。どこか晴れ晴れとした様子のマーちんたちが青空を見上げて物語は終わります。

 この教材文を使った授業を大体終えたところでこの文章を書いています。何名かの方から「この教材文、4年生には難しくないですか。」「これを授業で扱うのってなんかつまんなく感じていて……。」という声を聞きましたので、その話を、と思います。

 まず、小学4年生が読む文としてはそこそこに難しい部類に入ると思います。登場人物たちの行動や表情や様子は克明に描かれているのですが、心情は全て叙述に基づいて想像を膨らませていくしかありません。わかりやすく「がっかりした」「嬉しくなった」のような描写は全くないのですから。つまり、全文をサラッと読んだだけでは「なんとなくいい話だったな」で終わってしまう可能性が高いわけです。言葉を選ばなければ印象に薄い話であり、それは結果的に「なんか4年生の時に読んだけど、なんだったっけな、木が出てくる話だったような。」になりかねないわけです。『ごんぎつね』や『一つの花』は死が話の中にあって、印象に残りやすいので覚えている子は多いのだろうと思いますが。
 『プラタナスの木』はその印象の薄さが授業で扱うことの難しさ、あるいは「授業構想がつまらなく感じてしまう」という点につながってしまうことがままあるということです。

 ただ、この難しさこそが、本作が小学4年生の国語で扱われる意義を補強しているとも感じます。
 なんとなく語られているような登場人物の紹介は後半になって生きてきますし、おじいさんの謎めいた言葉、不思議なセリフもまた物語が進むにつれて味わい深くなっていきます。物語のありとあらゆる要素が結末に向かって収束していく。あるいは強固なつながりをもって読者の前に再び顔を見せる。そういった、結末に向かって物語が加速していく様子について、物語を細かく読み進める経験を通して実感していくことができたらなあ。そういうことを考えながら、先週までいろいろ授業をやっておったわけです。