もう期待することしかできない、あるいはカリキュラム・マネジメントについて

 若い先生へのアドバイス、という役割を任されることが少し増えてきています。ここ最近は、北海道国語教育研究大会の「書くこと」領域で提言を行う先生とやりとりをしています。
 総合的な学習の時間と国語科を連携させながら、地域を支える人たちの活動を報告する文を書く、という言語活動について実践提言します。この提言原稿に、3度目のアドバイスとして以下のようなことを書きました。


 PDFの朱書きは表記や文字のことに関してばかりになりました。
 実践の報告としてかなりブラッシュアップされた証左だと感じます。お疲れ様です。

 本実践の骨子をもう一度確認しておこうと思います。

1.活動のゴールにむかうための方策を多様に用意すること(メタ認知の機能)
2.選択した方法については振り返りを促すこと(選択した/させた責任として)

 これが令和の日本型教育といいますか、21 世紀的と言いますか、2030 年を見据えた教育の形なのではないかなと思います。教室の中で、それぞれがそれぞれの道具を使う、同じ道具を使っていても使い方が違う、という光景を、A先生の学級で実現できているということを全道の場で主張できるといいなと思います。

 改めて、「書くこと」領域について考えていきましょう。
 書くためにはどうしても子どもの「書きたい!」が必要です。ある外国語教育の方がおっしゃっていました。「バカは何語でしゃべってもバカだ」と。どれだけ流ちょうに発音し、文法的に完璧なことを話したとしても、話している内容が追い付かなければ結局は有意義なスピーチにはならない、ということです。その内容を高めていくための土台として、「たい!」があるわけです。
 主張したい、報告したい、創作して表現したい、という心的なエネルギーがないと筆がのらないのです。この「たい!」を生み出すことが、「書くこと」領域では時折、過剰に軽視されてしまうケースがあるように感じています。
 しかし、「たい!」を生み出すためには国語科の授業時数だけではどうしても足りません。そこで言われたのが「カリキュラム・マネジメント」ですね。総合を中核とした、各教科領域との連携によって「たい!」を生み出していくわけです。
 今回の提言でいえば、総合で「B町ってどんなまちなんだろう」「B町っていいまちだね」「どんな人がB町を盛り上げているのかな」「B町を盛り上げている人ってすごい! みんなに知ってもらおうよ!」という気持ちを高め、これを国語とつなぐことで「書きたい! 報告したい!」が生まれます。限界まで引き絞った矢が「国語で報告文を書く」という的を見つけ、一気に放たれるイメージです。
 そうやって、子どもの「たい!」を高めたことを土台として今回の実践があるわけです。しかし、提言原稿には載りきらないと思います。ただし、念頭に置いて発表することはできます。あくまで子どもたちの「たい!」を高めていくことが私たち教師に課せられた最初にして最大の課題なのだと言えます。単元計画に「総合」の文字を追加で入れた方がいいかなと考えたのもこれが理由です。国語と総合の教科領域連携(つまり「カリキュラム・マネジメント」)の側面から見ても、重要な示唆を含んだ提言であると思います。


 だそうです。マエダもずいぶん偉そうになったものです。