公開研究会の機能

 勤務校の公開研究会が間近に迫っており、プレイヤーとマネージャーを両方やりながら日々の業務をこなしている日々です。実際そんな聞こえのいいものではないのですが、なんか“プレイヤー”とか“マネージャー”って言っておくとそれっぽいですね。それっぽいだけですけども。

 公開研究会にちょっとこだわって考えているところがあります。そういう学校をずっと見てきて、あるいは経験してきたからでしょう。実態としてはまあ、結構苦しんでいるんですけども。生活とか、生活とかがあるので。
 でも、最終的に思うのが「せめて年に1回は、気合の入った単元を一発やってみるべきなんじゃないですか。」ということで、それを経験していないと本当の意味で「授業をやる、単元を作るって面白いね。」とは言えないのだろうなと考えています。

 そんなこと言ったって、全ての単元、毎日の授業、それらは須く気合の入ったもんじゃなきゃいけないだろうというのはその通りです。ですが、じゃあその“気合の入れ方”だとか、“気合の勘所”というか“本気ゲージの使い方”みたいな感覚を、公開研究会のような“意図的な負荷環境”を経ずにどうやって発現できるのかという問題にぶち当たるわけです。ゲームみたいにゲージが七色に発光してくれるような、一定の条件下になればボスモンスターのコアがまろび出てくれるような、そんな分かりやすい話ではないのです。ゲージを光らせる方法、コアを吐かせる方法は探り続けなければなりません。
 教員という仕事に限らないことだろうと思いますが、この仕事の“理論と実践の往還”の激しさを感じることが多くあります。その絶え間ない往復の中で、自分の実践についての感覚が磨かれていき、“気合の入った単元”へと結実していくイメージがあります。その理論と実践の収斂を意図的に生み出すためには、公開研究会のような“授業を外に開く機会”の獲得が必要なのだろうと考えています。

 もう一つ、“予算獲得”や“人材獲得”の側面はどうやっても無視できません。

 自分“たち”が、予算と人員を投入するに値する集団であることを証明するためには、どうやっても“授業を外に開く機会”が要請されます。なんか「選択と集中」みたいな話でちょっとアレなんですけども、でもきっと、その証明をしていかなくてはならないのだろうなと思います。

 またここで「今回の単元は、ある程度満足のいく結果になりそうです。」という報告ができたらいいなと思っています。