教育実習生に贈るほどでもない言葉たち

 8月末〜9月。北海道は教育実習シーズンである。「ああ懐かしき研究授業前日に結局テッペンまで指導案を直していた思ひ出」というやつである。私の勤務校にも,教育実習生が来ていた。4週間の実習でどんなことを掴んだのか,想像することしかできない。幾らか言葉を交わしただけではあったが,その時の会話を膨らませれば,概ね以下のようなことを私は言いたかったのではないか。そんな言葉たちを集めて,お手紙の形で渡してみた。

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 私が大卒の頃,12年前と比較して現在は,はるかに難しい時代になっています。多くの人が,多くの先生方がそう思っていることでしょう。なぜここまで難しい時代になったのか。学校側の側面から考えたり観たりしていてはなかなか答えに辿り着けないのですが,残念ながらここに答えようとする論の多くは学校側の視点ばかりです。なぜか。学校のことは学校から考えるのが一番手っ取り早いし,楽だからです。まあ,楽な手段では得られる答えもそれなりのものでしかないです。そういうわけで,やはり現在の子供達が抱える困難さについて答えを得ようという場合,本を読む,人と話す,いろいろな人と出会う,そういう自分の手と足と目で稼ぐことが必要になります。私の書いている文章が,その中に含まれるのであれば,嬉しいなと思ってこの文章を書いています。

 前置きはここまでにしましょう。本題に入ります。
 なぜ現在の子供たちは困難さを抱えているのか。それも,今までに前例のない困難さに苦しんでいるのか。
 シンプルな答えは,社会,家庭,学校の3者が変わったから,もっと言うと,変わってしまったから,です。学校だけが変わったのではありません。家庭だけが変わったわけでもありません。しかし,3つが同時に変わったわけでもありません。最初に社会が変わり,家庭が変わり,学校が変わったのです。全ては連動しているのです。
 社会の変化,それは一言で言うなら価値観の大変化です。いい高校からいい大学,そしていい企業に入っていい人生を,という価値観は完全に崩壊しました。代わって登場したのは,「ありのままの自分を認めて欲しい」という価値観です。これは既にかなり支配的になっています。ということは,世の中はありのままの自分を認めてくれていないということです。ありのままの自分を認めて欲しい,というのはとてもわがままな話なんですけどね。だって,自分を認めるのはまず自分ですから。しかし,世の中は「ありのままの私を認めて!」という人で溢れかえっています。これはまずい状況ですね。自分が自分が,では個人がぶつかり合い,やがて壊れてしまいます。せっかくここまで,人類が鉄と火薬と流れる血を乗り越えて築き上げてきた「人権」という価値観が崩れてしまいます。私たちはもう一度,この「人権」意識に立ち戻らねばならないのではないでしょうか。

 さて,ありのままの自分でいたい,でもそれは難しい。そんな社会になったわけですが,それは家庭のあり方を歪めていきます。家庭の中では役割が存在します。母親はその母性で子供たちを包み,守り,癒します。父親はその父性で,ドンと構えていざというときに子供たちを厳しく叱りつけます。しかし「そんなの昭和の古い考え方だよ。今は母親も父親も自分らしいライフスタイルを追求すべきだよ」それはそうですが,それが行き過ぎてしまえば,どうなるか。はっきり言えば,子供という存在は母親や父親となる家庭内の人物に,その役割を強制的に背負わせる存在です。子供は,存在するだけで「お前はママだ。お前はパパだ。そしてお前は先生だ」と無言の圧力を発する存在なのです。さて,そんな圧力を発する存在に「ありのままの自分でいたい」という願い(あるいはわがまま)がどれほどの力を持っているでしょうか。
 一番ありのままの自分でいたい,ありのままの自分を一番認めて欲しいのは,子供です。しかし,自分の母親・父親となるべき人物が「いやいや,私だってありのままでいたいんだよ」と主張をし始めたらどうなるでしょうか。子供たちに待っているのは絶望です。自分は決して認められない。認められるためには仮面を被らなくてはならない。仮面の自分はありのままの自分ではないので「認めて欲しい」欲求は解消されません。そしてそれは,子供の力では決して剥がすことのできない,呪いの仮面です。仮面が剥がれるのは,彼ら彼女らが経済的な自立を果たした時です。その時に仮面を剥がすことができたとしても,精神的な自立はまだです。精神的に自立するためには「ありのままの自分が認められた」という経験が必要だからです。その経験を剥奪された子供は,大人になっても「ありのままの自分を認めて欲しい」という欲求を抱え続けます。結婚し,家庭を持っても,精神的に自立していないので,自分の子供に同じことをします。「我が子よ,ありのままのママを認めて(ママだけに)」と。そんな呪いは,幼い子供に背負わせるべきではないのですが……。

 では,学校はどう変わったか。学校というのは良くも悪くも変わらない,変わりにくい組織です。どうしても無意識で旧態依然のやり方を踏襲してしまうのです。それが,変化した社会と家庭に対応できなくなった,ということです。あれ,それじゃ3者の中で学校だけが変わってないの? となりますね。もちろんそうではありません。学校も変わっています。
 本校も一部そうですが,現在多くの学校で「学習規律の統一指導」「学習環境のきまり」「〇〇小学校スタンダード」が導入されています。落ち着きを失い始めた子供たちに対応すべく,まずは学級や学校の環境を落ち着いたものにしよう,という流れです。学習環境や授業が落ち着けば学校生活も自然と落ち着く,という思想を土台にしているのです。しかし,ことはそう簡単ではありません。
 子供たちが落ち着かないのは,決して先生の授業がまずいからでも,先生によって指導がばらついているからでもありません。「ありのままの自分を認めて欲しい」という欲求の行き場を探した結果,落ち着かなくなっているのです。ですから,学校は「子供たちのありのままの姿を認める」という方向で変わるべきなのです。そして,「子供たちのありのままを認める」ためには,まず先生が「ありのままの自分を認める」つまり「精神的に自立する」ことが必要になるのです。
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 なんだか,こんなことを若人につらつらと押し付けがましく喋ってしまうくらいに歳を取ったのだろうか,と思う。なんだかなあ。でも,こうやって言葉を連ねていないと,やっぱり気分が晴れない。ん〜,マエダの悲しき性である。何はともあれ,教育実習,お疲れ様でした。おかげで私も何かしらの知見を得ることができたのであります。若人の明日に幸多からんことを。