ロックンロール

KPOPが世間を席巻し、ジャニーズ崩れが口だけのヒップホップを歌い、都合のいい女を語る邦楽が人々のソウルミュージックになりつつある今の時代に、再びロックンロールの波が訪れようとしている。オアシス(オエーシス)の再結成である。自分のライブをサボりそして自分以外のメンバーが困りながらライブしている様子を眺めたり(リアム)、ツアー中に喧嘩騒動を起こして逮捕されライブができなくなったり(主にリアム)と、まさに自由気ままに生きているのにバンドが生み出す歌はどのバンドよりも優しく、そして勇気をもらえる。そんなバンドのツアーチケットはすでに完売。極東の一ファンには微塵もチャンスは来なかったが、彼らが再結成したというだけでも満足である。そんな彼らを見ていて思うのが、現代において自分らしく生きることの難しさを感じる。最近再始動したあのリンキンパークでさえ「らしさ」という点においては失われ、チェスターと共に作った遺産を切り崩すかのような生活が始まろうとしている。そんな音楽界ではあるが、それ以外、普通の社会でも自分らしく生きることの難しさが顕著に現れる時代になった。人々は多様性を謳いはするが実際は厄介者達に自分達は厄介者であると主張させ隔離するために行なっているだけなのではないかとさえ思えてくる。多様性の裏には結局多様性こそが至高という思想があって、それ以外の考え方を認めないという時代になってきた。ハラスメントだってそうだ。勿論度をすぎたものは許されるものではないが、世の中向き不向きがある。トップの外資系企業で働ける人間と農業で社会を支える人間とではおそらく仕事に対する考え方は違う。自分が今いる場所が適していない可能性があるのに、周りを言い訳にするのはいかがなものかと思うが、今の世の中はそんなマジョリティを大切にするようにはできていない。
さて俺はどうかというと、時代遅れの人間なんだと思う。思えば留年してほぼニートの一年を過ごしたおかげでコミュニケーションが適当になり、鬱の気配がする人間になったし、昔なら耐えられていた多少の不都合に我慢ができなくなっている気がする。別に人間好き嫌いがあってもいいと思いはするが、社会、組織に生きる上でマイナスがあるというだけでもうダメなのだろう。優しい社会を目指すとはよく言ったもので、実際は泣いたもん勝ちの線香花火のような脆い状態になっている気がする。知らんけど。俺は捻くれているので、泣けば俺は何をしてもいいんじゃないのかとか、自分がうつ状態の時にどれだけ苦しいか、
例えば布団から出たくても出れなかったり、寒気がして、強烈な自己嫌悪が脳みそを一生ぐるぐるして、せっかく外に出ても俺をキモいと思って見ていると思って悲しくなったり、そしてそう思われないように気丈に振る舞って周りに迷惑をかけたり、それで周りと自分の間に壁ができて助けを求めづらくなって。そんなことがあっても誰も俺を助けようとは思わない。気丈な人間というイメージが先行しているから。
を話せば有利に生きられるんじゃないかとか、そんなことを考えている時点でお前には社会の優しさを受ける価値がないんじゃないかとか。
そんなことを考えているからダメなのだ。世の中やるかやらないかしか無い。リアムギャラガーは、全ての物事に意味がある。だから後悔したことはない。そういった。whateverだったり、champagne supernova だったり、dont look back in anger だったりと、考えすぎずにやりたいように生きろと背中を押してくれる。supersonic のように俺以外に俺は務まらないと考えて強気に生きる。これしかないような気がする。知らんけど。
生きていればクソみたいなことがあるのは当たり前で、平等なんてものもないし、頑張れば報われるなんてこともないことの方が多いが、そんな世の中を笑い、心の中で FUCK! と叫ぶのだ。


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