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[ビジネス小説]未来へのプレゼン 第32話 自分づくり

前回のお話

慎吾のヘッドハント騒動から3ヶ月が経とうとしていた。


慎吾が転職するとかしないとかなど

当の本人ですら遠い過去のことだったように思える。


日常の業務にそのことを持ち込むこともなく

周囲の皆は暖かく慎吾と接してくれている。


新しい企画や新しいプロジェクトも走り出した。


日々の忙しさがむしろ心地よく感じた。


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3月1日。


その日は、朝から冷たい雨がしとしとと降り続いていた。


降り続く雨は街の隅々まで隈なく湿らせていく。


街だけでなく、雨は気持ちも湿らせる。


雲間など一つも見えない程のぶ厚い曇天に含まれている雨は、当分降り止まなさそうだ。


毎朝7:00に設定しているニュースの自動配信が届いたことをスマホのバイブが知らせる。


いつも通り左手で掴んだスマホに表示されたニュースのトップラインを

慎吾は2度見した。


「ビズルート社、業界5位のフロンティアワールドをM&A」


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「内藤さん、知ってたんですか?」

「いや。俺の役職(レイヤー)では聞かされていない内容だ。

おそらくトップ同士のやりとりだろう。。。」


マーケティング部のみならず、全ての部署でこのニュースの話題になっていることは容易に想像がついた。

出社してくる社員たちは皆、不安気な顔をしている。


「9:00から社長の朝礼だって。全員12階に集合だそうよ。」


佐々木はあからさまに不機嫌そうにつぶやいてきた。

社長から何を言われても納得いかない雰囲気だがそれだけ愛社精神が高いということだろう。

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そぞろ12階に各々が階段やエレベーターで向かう。

非常階段はいつにも増して混雑気味だ。

皆、口々にどういった経緯でM&Aになったのかの分析や、統合された後のことを想像している。


『業績は悪くないのにな・・・』

『なんでこの時期なんだろうね。』

『なんかビズルートの人って意識高そうじゃない?』

『オフィスが大手町になるのかな・・・』


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12階で行われた社長からの話は至ってシンプルだった。


私たちの夢の実現を加速度的に早め、確実にするため。


つまり、企業理念の


未来への扉を開く



をスピードをあげて、確実に開くことをビズルート社の一員となることで、その実現可能性を高めるということだった。


5月からはビズルート社の一員として全員雇用が切り替わる。



具体的なスケジュールがすでに引かれていた。


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慎吾がニュースを知った時に最初に頭をよぎったのは丸山だった。


朝礼が終わってしばらくして慎吾はオフィスを出た。


いつも行くコンビニよりも、一駅先にあるコンビニへと歩き出した。


雨は小雨だが、まだ止みそうにない。


首と肩の間に傘の柄を挟みながら慎吾はスマホの電話の履歴をスクロールして発信ボタンを押した。



「ーどうも。吉田です。」


「・・・。連絡があると思ってましたよ。吉田くん。」


慎吾は丸山の落ち着いた声と、全てを見透かしたかのような言葉に、胸が詰まりかけたが、鼻から吐く息の温かさを感じつつ、ゆっくりと呼吸を繰り返した。


「・・・ご存知だったんですか?・・・M&A。」


「残念ながら、コンペの時は知りませんでした。もちろん、その後、知るわけですがね。

吉田くんとまた一緒に働く機会が訪れそうですね。

楽しみです。」



「・・・。」



慎吾は素直に『はい。楽しみです。』とは言い返せなかった。



丸山のように、一度会社を去って別の企業に転職をし、
そこでまた元同僚と普段通りに仕事をするという気持ちの切り替えが容易くできることは、おそらく現代の社会人として求められる素養だろう。


スタンスをスイッチすることに時間を要さない。


それ自体が避け難い大きな流れである際に
立ち止まることなく流れに身を委ねながらも、
任せるわけではなく竿を立てて上流に向かって漕ぎ続けていくように慎吾には丸山が映っている。



鈍く、冷たく、そして重いながらも軽やかにさばく丸山の姿に慎吾は畏怖を感じた。


『丸山さんは、自分の実現したい未来を環境に委ねるのではなく、環境の変化を利用して個を確立し続けている。

自分は・・・。どうなんだ・・・。』


「5月には統合と先ほど弊社社長からみんなに話がありました。

正直、なんだか不思議な気持ちです。」


慎吾は着飾らない素直な言葉の選択にとどまった。


それは丸山にも理解できるものだった。


会話はそこまでだった。


小雨はしとしと降り続いている。


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5月まではあっという間だった。

マーケティング部の面々は誰一人文句などいうこともなく

ただひたすら目の前の仕事を進めていた。

決まった時間に出社をし

決まった時間に帰社する。


5月以降に変わることを想定しているのか

そこで何か動き出そうという雰囲気はない。


内藤をはじめ誰一人アクションが取れずにいた。


M&Aだからといって退社する社員もいなかった。

むしろ大手へのキャリアパスというメリットが大きいと感じているメンバーが大半だ。


そして知らされたことの一つとして、5月からの配属先だけは決まっていた。



ビズルート マーケティング本部 マーケティング部 第3課



内藤は部長という肩書きから3課の課長となり

現在の課長陣は全てリーダーという名称に変わる。




自分たちでは何も決めらないまま

決められた道を歩む。





慎吾は自分に言い聞かせていた。



『やらされるより、やりたいこと』




慎吾は自分づくりが一から始められることを前向きに捉えていた。







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