それは、やさしさではない

子供がミスするとわかっていても、言わないで失敗するのを待つほうが教育的なのか。

それとも、失敗する前にやり方を説明してあげた方が教育的なのか。

教育する立場(教師に限らず、親や上司も含めて)であれば、こんなことを一度は考えたことがあるはず。

職場で、相手が子供ではなく、大人(部下)であれば、甲斐甲斐しく指摘するのも馬鹿らしいので、あまり言うこともないかもしれない。やはり自分で失敗して気づくしかないという結論になることも多いだろう。

だが、子供の場合はそういうわけにもいかない。年齢にもよるが、勉強のやり方がわからなければ、まずは丁寧に教えてあげることが必要だ。幼い子供ならなおさらだ。では、中高生や反抗期に入った小学生ならどうか。何を言っても、反抗的で、自立心も芽生え始めているから、そっとしておいた方がいいだろうか。

自分で教科書や解説をよく読めばできるはずなのに、それをやろうとしない子に丁寧に説明してあげるだろうか。問題集をやれば解るのに丸つけもしないで放置する子がいたらどうすればいいか。
叱咤激励して、自分でやる気出してやれよと思うのがふつうかもしれない。

しかもやる気のない子をノせるのは難しい。だから本人がやる気になって、自分で気づくまで待てばいい。そんな放任の立場をとることも多かった。僕も10年くらい前はそうするのがいいと思っていた。

だが、それではその子の能力を伸ばすのに非常に時間がかかる。もしかしたらその点能力開発されずに大人になるかもしれない。
教育は子供の成長に合わせてじっくりやっていくというのは確かにそうかもしれないが、相手の隣について、一気に成長させる、「起爆させる」ことも必要だ。
これは経験則でしかないが、中高生でさえ、定期テストで8割超えられない子なら、自分で考える前に、丁寧に隣に張り付いてコーチングしてもらうことを必要としている。

2年前、夏合宿で80代の老師と共に中高生を指導したことがある。20代の頃から学習塾をやっていて、彼は、当時から「できない子を伸ばす教師」として評判であった。

老師はたとえば、数学の素因数分解のわからない生徒に教えるとき、素数で分解することを徹底する。216を素因数分解するのなら2で割って、それから3で割るように教える。そうではなくて、216は6の3乗だと教える方法もあるだろう。素数で分解するわけではないが、その方が実際問題を解くとき使える。だが、老師はそうしない。

それは重層化されたビジョンを持たせるために、あえて一から教えることをしつこくやるのだ。みているこっちが「面倒なことを…」と思うが、老師はそこを丁寧に丁寧に説明して、子供が「それは面倒だからもっと簡単なやり方を教えて欲しい!」というまで徹底して解説する。そしたら、簡単なやり方を教えてあげるのだ。

どうしてそんなことをするのか老師に聞いたことはないが、察するに、子供の感情に素直に反応しようとしていると考えられる。

子供がわからないというのなら懇切丁寧に説明する。わかったといったのなら、次の段階を説明する。もういいと言われれば、放置する。

子供の感情を待ってから、教育方法を変える。

これは当たり前のことなのかもしれないが、実はかなり大変なことだ。

つまり、子供の感情云々の前に、この、しつこく丁寧に教えるというのは、かなり労力を使う。はっきり言おう、めっちゃ疲れる!
家庭教師でさえそう思うのだから、親ならなおさら丁寧に教えることにエネルギーを費やすのはかなりきついだろう。

だが、この丁寧さがけっこう大切だ。これは相手が中高生であろうが、幼児教育と変わらない方法かもしれない。使い方のわからない道具の使い方を説明するとき、本人がわかったわかった!となるまで丁寧に教えるようにする。

だから、小学校高学年や中学生になったら自分で考えるべきだとして、年齢によって教え方をかえるというスタンスもあるかもしれないが、
僕は年齢ではなく、その子の状態によって使い分けている。
年齢だけではなく、性格やその日の体調によって、いつも通りの教え方では通用しないということも多々ある。自分の「教え方」に固執すると、てんで子供に理解されないということも多い。そのときそのときの状況判断がもとめられる。

僕が20代のころはどちらかというと、指導する際、子供が自分で考えることを優先するがあまりに「野放し」になることもあった。

ここをもう少し説明してあげたほうが親切だけど、あえて言わない。そんな判断をすることもあった。

だが、これは間違いであると今では思っている。勉強のやり方がわからなくて質問している子に、「自分で考えろ」というのは酷だ。また、観察しているうちにその子が自分で考える状態にないと判断すれば丁寧に説明する必要もあるだろう。

こういうと、やさしい先生と捉る人もいるかもしれない。だが、これは決して、「やさしい」のとはちがう。

やさしいからやるのではない。子供を観察しつづけた結果、その子の能力を伸ばすためにそうせざるをえないからやるだけだ。

溺れかけている子を見つけたらすぐ助けるのと同じように、今すぐ躊躇なく丁寧にアドバイスしなければこの子は伸びないと判断する。

ただ、やりすぎると、お節介ということにもなる、この緩急が非常に難しいところだが、ここに教えることのおもしろさがあると感じている。

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