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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第22日目

前回のお話は以下URLから。


第22日目(2007年8月18日)

米子ー宍道(ー木次ー亀嵩ー木次ー)宍道ー出雲市ー江津ー三次ー広島

8月18日の行程

22.1 宍道湖を見る

 昨日ほどではないが、今朝も朝早くからの出発である。ただ、日帰りとはいえ、昨夜の皆生温泉を堪能したこともあって、疲れはないに等しい。6時過ぎには目を覚まし、準備などをしているとあっという間に7時半である。ホテルをチェックアウトして7時40分頃に米子駅に入る。米子駅は、鳥取県第2の都市、米子市の代表駅であるが、その規模からいうと、鳥取駅のそれよりも広大である。JR西日本米子支社があり、駅構内に隣接するように車両基地があるためであろう。

▲ 普通出雲市行き

 7時56分発の出雲市行の普通列車に乗車する。先頭車にパンタグラフの付いた電車であるが、これは伯備線からの一番列車である。車内は案外と空いていているが、きょうは土曜日だからだろう。列車は、ゆっくりと米子駅の構内を出ていく。左手の車窓には、留置されている気動車がいくつか停まっている。まもなく鳥取県から島根県へと入る。

▲中海

 安来節の安来駅を出て、荒島駅へと行くと、右手車窓には道路を挟んで向かい側に水たまりが見える。中海である。淡水と海水が入り交じる汽水湖であるが、遙か数千年前は、完全な湾であり海であったという。その後、砂が堆積したり、気候変動による海水面の変化などにより砂洲が形作られ、それが海水の流入量を減らし汽水湖になったという。なお、かつては淡水化にするための大規模な公共事業が行われた。2002年になって結局事業自体を中止したので、中海は海と繋がったままである。

 島根県の県庁所在地を代表する駅である松江駅に着く。鳥取駅と同様に近代的な造りの高架駅である。こちらは電化区間であるから、架線が張り巡らされている。松江駅を出て乃木駅へと行く。乃木という駅名を見て、おやと思う。ふと、日露戦争での旅順攻略の指揮をとった乃木希典を想起させたのである。

 何か関係があるのだろうかと帰宅後に調べてみると、やはり乃木希典と関係していた。宇多天皇から分かれた宇多源氏を祖とし、その子孫のひとつである佐々木家の流れを組む。佐々木家は今の滋賀県、近江国を本拠に構えた氏族だが、その棟梁、佐々木秀義の四男・佐々木高綱が出雲国の領地の一部を得て、そこに善光寺を建立した。そして、高綱の次男・光綱が出雲国野木を本拠として野木姓を名乗っている。その光綱の子孫に、乃木希典がいる。なお、同地区に今もある善光寺には高綱の墓があって、そこに希典の遺髪塔があるという。

 その乃木駅を過ぎると、再び水たまりが見えた。今度は、中海よりも大きく、これが宍道湖である。宍道湖も古くは海水であったが、河川による土砂の堆積作用によって淡水と海水の混じる汽水湖になった。宍道湖といえばしじみというくらい、漁業資源も豊かである。

 玉造温泉、来待と停車し、宍道には8時49分に到着した。僕は、ここで下車をした。

22.2 また寄り道

▲ 宍道駅

 最長片道切符の経路では、そのまま山陰本線を西進するが、僕は宍道から木次線へ寄り道をすることにした。今回も昨日と同様に、この後乗ることになる三江線が閑散区間であるために、そこから逆算して行程を組んだ。素直に行くなら、米子を12時21分に出る特急スーパーまつかぜ3号に乗れば比較的スムーズに乗り継ぎが可能だが、米子で午前中を過ごす術を思いつかないので、それならばと、木次線へ寄り道することにしたのである。

 木次線には昨日立ち寄ったから、出雲で観光か、温泉津で温泉としても良かったが、それよりも食い意地の方が勝ったのである。

▲ 普通木次行き

 したがって、宍道駅で亀嵩までの乗車券を購入して、9時14分発の木次行普通列車に乗る。昨日、出雲坂根から乗車したのと同様、ボロだけどエアコンには定評がある車両であった。車内はロングシートで、2両編成にもかかわらず、空席はなかった。

 30分ばかり山間をゆっくりとした速度で走り、木次駅には9時47分に到着した。

22.3 再び奥出雲おろち号

 木次線はお世辞にも乗客の利用が高い路線というわけではない。にもかかわらず、2両編成の列車が空席もないほどに乗客が乗っていたのは、ほぼみな、奥出雲おろち号が目当てだったからである。

▲ 奥出雲おろち号

 10時ちょうどに木次を出発した奥出雲おろち号は、満席である。昨日は備後落合から乗車したが、きょうは木次からの乗車である。木次行ではディーゼル機関車が先頭になって客車を牽いていたが、備後落合行は運転台の付いた客車が先頭になって走る。

 昨日は気づかなかったが、駅に停まる度に駅名標の他に新しい看板が立てられている。見ると、絵の具で描いたような絵で、そこに日本神話に登場する神の名が記されている。日登駅には「素戔鳴尊(すさのおのみこと)」、下久野駅には「動動(あよあよ)」などの愛称が付く。

 10時45分に亀嵩駅に到着した。亀嵩にもまた、「少彦名命(すくなひこなのみこと)」という愛称が付いている。少彦名命は、国造りをした神なのだという。小さく子供の神であったとされていることから、一寸法師のモデルにもなったのだそうな。

22.4 名物のそばに舌鼓

 時刻表を見れば、出雲横田駅で宍道行の上り列車に乗り継ぐことができるが、僕が敢えて手前の亀嵩で降りたのは、駅に併設されている扇屋という蕎麦屋に立ち寄るためである。

▲ 亀嵩駅

 その前に、駅舎を撮影するために外へと出る。これが松本清張の「砂の器」の舞台となった駅かと思う。しかし、僕は朝から何も食べていなかったので、砂の器よりも器の蕎麦を求めて店へと入る。

▲ 右側に扇屋の店舗がある

 駅とはいっても、室内は蕎麦屋そのもので、テーブルに椅子などが並べられている。割子そばと弁当そばを注文する。割子そばは店内で朝食として食べ、弁当そばは宍道へ戻るときに昼食として食べるつもりである。

▲ 割子そば

 かくしてテーブルに三段重ねの割子そばが運ばれてきた。そばつゆ入れはあるものの、小鉢はないから、そのまま三段重ねの容器にそれぞれぶっかけていただくようである。

 この旅では、北海道からここへ来るまでに何度かそばを食べた。そのすべてが駅そばであり、大変旨かったように記憶している。特に、新得駅の駅そばは駅前の蕎麦屋が出張して店を出しているので本格的な手打ちそばであった。食べられはしなかったが、初日に訪問した音威子府の駅そばも手打ちである。駅構内の立ち食い蕎麦屋といっても、決して侮ってはならない風味と味であった。

 一方、亀嵩の蕎麦もまたその例に漏れない旨さである。わざわざ寄り道をしてでも味わいに来るだけの値打ちがある蕎麦である。

 割子そばを食べ終えた。支払いの際、ついでに宍道までの乗車券を買う。亀嵩駅は簡易委託駅といって、JRが個人や他の企業にきっぷの販売を委託するタイプの駅である。赤色のきっぷと、弁当そばを持ってホームへ行く。

▲ 普通宍道行き

 11時12分発の宍道行に乗車する。例の車両で、車内はロングシートが並ぶ開放的な感じだ。開放的に感じるのは、乗客が数人しか乗っていないからであろう。

▲ 弁当そば

 せっかく茹でてもらった蕎麦が伸びてしまっては勿体ないので、朝食を食べたばかりだが早速昼食を食べる。こちらは、先ほどの蕎麦を弁当にしたもので、やはりそばつゆをかけて頂く。この分だと何枚も食べられそうだが、そうすると腹は膨れるが財布はやせ細るので、それ以上は我慢する。

 12時49分、満足した気分で宍道まで戻ってきた。

22.5 トラブル発生

 宍道からは13時10分発の出雲市行普通列車に乗る予定でいる。ところが、ホームに聞こえるアナウンスでは、遅れている寝台特急サンライズ出雲を先に通すため、出雲市行の普通列車はその後にやってくるという。定時では、普通列車の出雲市着が13時24分で、そこから乗り継ぎたい浜田行の普通列車は13時30分発であるから、遅れとなると乗り継げないかもしれない。そうなっては、江津から三江線の列車に乗り継げなくなるから、困ったことになる。JR側の事情によって遅れるのだから、出雲市駅では乗り継ぎ待ちはしてくれるだろうが、万が一ということもある。僕は、宍道駅の改札口へ向かった。

 駅員さんは、受話器を取って指令へと問い合わせてくれた。すると、宍道から普通列車に乗っても出雲市では乗り継ぎをしないとの回答だと僕に伝えた。万が一にしか起こらないことだと思っていただけに意外で、今度は「江津から三江線の列車に乗りたいので、出雲市から浜田行の普通列車にどうしても乗りたい」と事情を話して善後策を聞くと、その駅員さんは「とりあえずサンライズに乗って」と言う。僕が「便宜乗車ですか?」と聞くと、「それは車掌と相談してください」と言う。便宜乗車とは、遅れなどの突発的な事情によって乗客が目的地への到着に不便を生じる場合の救済システムをいう。この場合、本来は接続するはずの列車に接続できないことになるのだから、僕としては特急料金なしの「便宜乗車」を望んだわけである。いずれにしても、今選べる選択肢は「サンライズ出雲に乗ること」であり、僕は2番線ホームへ移動した。

▲ 寝台特急サンライズ出雲

 さて、すっかり太陽が高くなった宍道駅に、ベージュのボディをした車両が入線した。若い車掌さんが顔を出す5号車へ行き、そこから乗り込む。宍道駅を出て、さっき駅で言ったことをそのまま車掌さんに伝えると、車掌室に入って何やら連絡を取っている。数分して出てくると、「指令に問い合わせたところ、1,440円を頂いてくださいとのことですので」と言う。そもそも定時だと出雲市で接続を取るはずの列車で接続を取らせずにしておいて「料金1,440円」を取るとは筋違いだと、僕にしては珍しく意見を言うと、その車掌さんは「何分、私にはわかりかねますので」と言って平身低頭する。確かにそう判断したのは車掌さんではなく指令なのだから、これ以上車掌さんを困らせても悪いし、納得のいく回答も出ないだろうと、渋々1,440円を支払うことにした。

▲ とりあえず買っておく

 車内補充券と領収証を受け取って、デッキにて過ごす。斐伊川の鉄橋を渡ると、右手から一畑電鉄の高架線が近づき、列車は減速する。13時26分に出雲市へ到着した。

22.6 山陰海岸を行く

 何か釈然としないまま、サンライズ出雲を降りた。ホームでは、中年の恰幅のいい駅員さんがマイクロホンを片手に、額に汗をかきながら乗客の案内をしている。

 定時であれば、出雲市発13時30分発の普通浜田行の江津着が15時01分である。しかし、山陰線のダイヤは乱れていて普通列車が13時30分に出雲市を出るとは考えられない。三江線の列車の江津発が15時07分であることを考えると、江津駅での接続はギリギリ取ってくれるかもしれないが、さっきのこともあるから期待はできない。

▲ 特急スーパーまつかぜ3号

 僕はその駅員さんを捕まえて、「13時30分発の普通列車の発車はどのくらい遅れるのか」と聞いてみた。すると、その駅員さんは、「まつかぜに乗って!便宜!便宜!」と言う。今度は「便宜」という言葉に安心して、到着した特急「スーパーまつかぜ3号」に乗り込んだ。

 自由席は満員であったから、デッキで車掌さんが来るのを待ってみる。車掌さんは、「本日は、サンライズ出雲号の到着が遅れまして・・・」と車内放送で詫びを入れている。しばらくして、中年の車掌さんが通りがかったので事情を話すと、「便宜乗車は大田市までなんです」と言う。「どうしたらいいですか?」と僕が聞くと、「便宜乗車は大田市までの扱いですので、それより先は駅で相談して下さい。料金は頂きませんから」と言う。サンライズ出雲のときとは随分と対応が異なる。

 しばらくデッキで立ちっぱなしでいると、車掌さんがやってきて「1号車の空いているところへ掛けてください」と言う。1号車は指定席だが、空席がたくさんあり、デッキに立っているのが僕くらいということもあったのだろう。僕は、丁重にお礼を言って座らせてもらうことにした。

▲ 山陰海岸の美しい車窓

 大田市を出ると、窓に山陰海岸が映りだした。白砂青松を思わせるような夏の日本海の風景は、先日鳥取付近で見たときと同じく穏やかで、風化して歪に削られた岩などを除けば、あたかも南の島のそれを思わせる。しかし、海沿いにある集落の横を通過すると、赤茶色した光沢のある石州瓦の屋根を見て、日本海なのだと思い直す。

▲ 石州瓦の屋根が見えると島根県の感じがする

 石見銀山が世界遺産に登録されて今後の盛り上がりに期待が掛かる温泉津を通過する。世界遺産の登録は観光誘致を促進し、人の出入りも多くなる。よって観光産業は充実する一方で、それをより積極的に受け入れようと人の手が加わってしまうなら、文化的景観が損なわれてしまうのではないかと危惧をする。そもそも自然遺産ではなく文化遺産、産業遺産であるから人の手は最初から加わっているのだが、登録時においての文化的景観も登録の対象になっているから可能な限り、景観も保全してもらいたいところである。

▲ 漕艇する子どもたち

 江の川を渡るとき、漕艇をする小学生たちを見た。長い船体に4人の小学生が乗り、オールを漕ぐ。彼らを横目に、特急スーパーまつかぜ3号はゆっくりと江津駅に到着した。14時21分である。

22.7 三江線

 江津駅の改札口でこれまでの事情を話す。すると、駅員さんは僕の言うことを酌み取ってくれたようで、指令へと電話を繋いで交渉する。奥から聞こえてくる駅員さんの声を聞くと、どうやら指令ともめているらしく、話が通じない様子の相手に、駅員さんも鬱積してきている様子である。その駅員さんが改札口まで来て僕に問いかけた。

「お客さんは、どうしたい?」

 駅員さんは、僕に成り代わり、非常に熱心に交渉をしてくれた。感謝に堪えない。そこであまり駅員さんを困らせるのも申し訳ないと思い、僕は本来の所定の乗り継ぎができないためにサンライズ出雲に乗らざるを得なかったのでその分は返金、ただしスーパーまつかぜの分まで全区間便宜乗車というのはいささか図々しくもあるから自由席特急料金を支払う旨希望した。つまり、和解とは互譲が本質なのだからと、学生時代に読んだ民法のテキストを思い出しながら希望を伝える。

 結局、その方向で話がまとまり、サンライズ出雲の特急料金1,440円とスーパーまつかぜ3号の自由席特急料金1,150円の差額290円を返還するということで落着した。駅員さんは嫌な思いをさせたと平謝りであったが、僕はむしろこの熱心な駅員さんに感謝して、「こちらこそありがとうございました」とお礼を言った。釈然としなかった気分は晴れてしまった。

▲ 普通三次行き

 15時06分発の三江線三次行普通列車は、14時58分に江津駅に入線した。石見川本駅からの普通列車が折り返しとなるのである。ボロだけどエアコンには定評のキハ120形であるが、これまでになかったカラーリングである。

 ボックスシートに腰を掛けてホームを眺めていると、向かい側にカラーリングも同じタイプのキハ120形が入線した。時計を見ると15時07分である。どうやら浜田行に乗ったとしても、接続は間に合ったようである。それならば出雲市から普通列車でも良かったと思う一方で、サンライズ出雲の特急料金を回収ということ、江津からの席を確保することを考えれば、これで良かったと思う。現に浜田行の列車から乗り継ぐ客が車内へ乗り込むと、空席はほぼなくなってしまった。

▲ 江の川に沿って

 江津を出ると、山陰本線とはすぐに離れて江の川沿いに出る。そのまま江の川に沿って上っていく。河口に近いから、川幅が広いが水量も多い。雄大な流れはサンライズ出雲でのことなど、そんな小さな問題をはね除けるほどの大らかさを感じさせた。

▲ 浜原駅

 16時48分、列車が浜原駅に到着した。16時54分まで6分間停車する。その折りに駅の外へ出ると、イベント列車が江津の方へ去っていった。駅の外へ出てみる。三江線では比較的大きな駅舎を持つが、無人駅である。一日に数本しか運行しない上、ワンマンカー仕様の車両のみが走るとなると、致し方ないであろう。

 浜原を出たところで、テーブルの上に置いていたデジタル一眼レフがスルリと落ちて、ゴロンと床に転がった。血の気が引く思いだったが、試し撮りなどして見ると動作不良はないとわかって胸をなで下ろす。

 石見都賀駅を出ると、何本かトンネルを抜ける。鉄橋を渡ったところで、僕は席を立って運転席の横へ行った。5本目のトンネルに入ると、列車は減速し車内の自動放送が宇津井駅到着を伝えた。

▲ 宇津井駅に到着

 宇津井駅は、トンネルとトンネルの間に設けられた高架線の上に設置されている。餘部鉄橋ほどの高さではないが、眼下に水田や人家が小さく見えて高さを実感する。天空の駅である。

 17時32分、列車が口羽駅に到着した。ここでは、上りの浜原行と行き違うため、17時48分までの16分間停車する。その間にまた外へ出ようとすると、運転士に呼び止められた。

「どこから来たの?」

 実は、兵庫に住んでいるが稚内から旅をしていると応えれば、それから話が弾んで、三江線の現状について教えてもらった。

 運転士さんが言うには、三江線の活性化のためにいろんなアイデアが検討されており、JRだけでなく、沿線住民などとも協力して団体臨時列車を走らせてみたりと、限られた環境の中で活性化しようとしているのだという。中でも「石見川本鉄道研究会」という三江線の活性化サークルの存在が大きく、沿線を盛り上げようと活動しているのだという。運転士さんは、「だから、あなたたちのようなファンの人に、インターネットなどでどんどん三江線を紹介してもらいたいんだよ」と言う。

 僕は、何だか嬉しくなった。単なる鉄道趣味に留まらず、鉄道を活かして、そして地域を活かすということが、実は本当に鉄道を大切に考えていることなのだと思ったからである。車両の形式がどうだとか、夜行列車の旅情がどうだとかは自己完結の趣味に過ぎず容易な話だが、その趣味を実益に結びつけるとなると、中々難しいものがある。ましてや閑散としたローカル線を活性させるなど容易ならざることである。是非とも、活動を続けて欲しいと思う。

 あと、三江線に関しては運転がしにくい路線でもあると教えてくれた。というのは、速度制限が数種類あって、新米運転士だと覚えるのも大変なのだという。そんな裏話も聞きながら、出発まで話を聞いた。現場の生の声を聞くことができて有意義だった。

▲ 太陽が傾いてきた

 口羽駅を出た頃には夕方となり、江の川の対岸に聳える山肌には西日があたる。長らく江の川に寄り添うようにして走ってきた三江線は相変わらずマイペースにトコトコと走るが、車窓に映る江の川は川面に大きな岩が顔を出すなど、川幅も狭まって随分と上流の様子となってきた。

▲ 川面が黄金色に染まる

 粟屋駅を過ぎて江の川を渡る頃には、太陽は山の向こうに沈み、稜線が黄色く燃えているようだ。それに照らされた川面もまた黄色く染まっていた。

 車内は江津から3時間あまりの乗車となって、ほとんどの人が眠りについていた。3時間も揺られていれば疲れが出るのはやむを得ないだろう。僕は、車窓を眺めていて飽きはなかったが、他の人にとってはそれくらい単調だったのかもしれない。尾関山駅を出ると、また江の川を渡るが、対岸の向こうには背の低いビルや住宅が密集しているのが見えた。三次の市街地である。江の川の上流には河口よりも大きな街があった。それでも、江の川の源流はまだまだずっと上流で、このあと三次からは芸備線の広島方面と並んだ後、北西にある広島、島根の県境に位置する山の中にあるという。

▲ 三次駅

 18時39分、列車は終点の三次に到着した。僕は、降り際に運転士さんに礼を言って列車を後にした。そして、改札口を出て、駅から歩いて5分ほどのところにあるショッピングセンターへ向かった。ここで夕ごはんを仕入れるのである。

22.8 芸備線を西へと向かう

 夕食を仕入れて駅へと戻ると、既に広島行の普通列車は入線していた。白と黄色とグレーの細帯を纏った車体は城崎あたりで乗車したタイプと同型である。跨線橋を渡って車内へと入ると、髪を茶色に染めた男子高校生が一人、携帯電話と睨めっこをしていた。

 ボックス席を陣取って夕食に買った寿司などの惣菜を食べる。空腹が満たされて少し落ち着いた。

 三次駅は、芸備線のターミナル駅である。東は昨日乗車した備後落合方面、福塩線方面、北西には三江線、南西には広島方面の線路がそれぞれ延びる。広島方面以外は、昨日、今日と乗ってきた。福塩線との乗り継ぎ駅である塩町とは営業キロにして7.1kmしか離れていない。それを一旦岡山や鳥取まで戻って、さらに島根を回ってから来たのだから、相当な遠回りである。

▲ 普通広島行き

 19時54分、広島行の列車は三次を出発した。芸備線でも比較的利用の多い区間を行く。つい2ヶ月ほど前までは急行「みよし」が走っていたほどである。急行列車が廃止された後、その分、快速列車が増発となったが、相変わらず単線なので三次行の列車と行き違いのために停車時間も長くなって時間が掛かるのは変わりない。

 既に沿線は闇の中であり、広島までの2時間は退屈であった。だからといって虚無的に過ごすことだけは嫌だったので、鞄からウォークマンを取り出して音楽を聴きながら気を紛らわす。ロクセンチの「マドレーヌ」が気分を落ち着かせた。

▲ JALシティ広島

 広島には21時48分に到着した。久々に見る大都市の駅であり、午後10時になろうかというのに駅前は賑やかである。途中下車印を押してもらい、きょうの行程を終了する。今夜の宿は、京橋川が猿猴川と別れる辺りにあるホテルJALシティ広島である。広島駅からだと栄橋を渡ってぐるっと回り込む感じだから、少し歩かねばならないが、きれいで快適なホテルなので、広島に泊まるときの僕のお気に入りとなっている。

 きょうは、喜怒哀楽の多い一日であった。しかし、怒や哀の割に喜と楽が大きくウェイトを占めた一日だったので、長い一日を終えて気分は良かった。だからというわけではなく、単に疲れていたからだろうが、眠りにつくのは早かった。

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