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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第17日目

前回のお話は以下URLから。


第17日目(2007年8月12日)

名古屋ー亀山ー松阪ー紀伊勝浦ー紀伊田辺ー和歌山ー橋本ー奈良ー大阪

▲ 8月12日の行程

17.1 関西本線を行く

 この一週間、朝早くから夜遅くまで列車に乗りっぱなしの毎日であった。会津若松を出てから、途中で温泉に入って身体を休めることもできず、ただただ急ぎ行程を消化することに重きをおいていた。よって、本来であれば2日、3日を掛けてじっくりと周りたいところを1日で巡らねばならなかったのも、特定の日に訪れるべき場所があったことは、昨日の章で触れたところである。そんな無理をしていると、当然に体力的にもしわ寄せがやってくる。思えば、昨夜、名古屋駅の改札口で駅員さんに励まされたというのに、元気のない返事で応えたのはそのせいであろう。駅員さんには大変申し訳ないことをした。

 昨日、一昨日に引き続いて、名古屋も快晴であった。時間があれば、あおなみ線に乗りたかったところだったが、ギリギリまでベッドに入っていたせいで、名古屋駅の13番線ホームには7時30分頃の到着となり、あおなみ線を諦めることとした。

▲ 普通亀山行き

 7時55分に名古屋を出発した亀山行の普通列車は313系である。固定式のいわゆるボックスシートを備える電車である。日曜日だからか、乗客の数は思っていたほど多くはない。

▲ キハ85が並ぶ

 新幹線の高架をくぐってしばらく走ると、右手には名古屋車両区が見え、特急(ワイドビュー)ひだ、(ワイドビュー)南紀などで使用されるキハ85の姿も見える。さらにその向こう側には近鉄名古屋本線の線路が見えた。名古屋車両区を過ぎると、近鉄名古屋本線の線路が近づいて並走する。名古屋を出てしばらくもしないうちに住宅街の中を走り、そして近鉄線と分かれたあとは住宅もまばらになって畑も見えた。

▲ 弥富駅

 列車は、弥富駅に到着した。弥富駅は地上にある駅のうちで日本一低い場所にある。ホームにもそれを示す看板が立てられている。海抜マイナス0.93メートルだそうで、海面よりも93センチも低い。そういえば、子供の頃に買ってもらった、例のケイブンシャの鉄道大百科の中にも出ていたなと思った。

 弥富を出ると、木曽川、長良川、揖斐川と三本もの大きな河川を渡る。特に長良川と揖斐川は川幅よりも狭い陸地が両者の間を隔てている。工業の街、四日市を出てしばらく走ると河原田駅に着く。特急(ワイドビュー)南紀や快速みえなどは、この駅から第3セクター鉄道の伊勢鉄道線へと入る。亀山行のこの列車はそのまま関西本線を行くが、その関西本線は急速にローカル路線に成り下がる。

 鈴鹿川に沿って走るが、辺りには人家の密集しているところが少ないように感じる。終着亀山には9時21分に到着した。亀山駅の向かいにあるいとう弁当店で名物の志ぐれ茶漬け弁当を朝食にと思った。が、如何せん乗り継ぎ時間が4分しかない上、調べるとそもそもきょうは日曜日で定休だ。よって、僕は先を急ぐ。

17.2 紀勢本線突入

▲ 普通鳥羽行き

 亀山からは、9時25分発の普通鳥羽行に乗車する。キハ11形気動車で、乗り込んだときには既に混雑をしていた。座る場所はなく、立席である。

 地方を走るローカル線では、そもそも利用客が少ないために1時間に1本という本数で、なおかつ短い編成で運転される。そのせいか、利用客が少ないと言っても、みなこの列車に集中するので意外にも込み合う。この列車は1両編成だからなおのこと込むのであって、しかしながら込み合う列車は景気が良いようにも思うから、空いているよりは喜ばしいことなのだとも思う。

 単行の列車はコトコトと長閑に走る。車窓は、田園風景であり、夏の日差しが水田の緑を映えさせていた。同じような水田も、土地土地で雰囲気が異なる。この旅をしてそう感じるようになった。

 河原田駅で別れた伊勢鉄道線と再び合流し、近鉄線の線路を潜ると、三重県の県庁所在地を代表する駅、津駅に到着。久々に賑やかな車窓になったと思う。僕は、このまま松阪まで行き、そこで下車した。

17.3 さらに紀勢本線を南下

 松阪駅では、朝食には遅い目だが名物駅弁の「元祖特撰牛肉弁当」を購入した。それを持って跨線橋を渡る。程なくして入線したのは、特急(ワイドビュー)南紀81号である。

▲ 特急(ワイドビュー)南紀81号

 所定より2分遅れの10時19分、松阪を出発する。今回は、指定席を取ってあり、先頭車の最前列を陣取った。通常なら運転席とは反対のD席なのだが、紀勢東線を南下するなら運転席背後のA席も捨てがたい。何せ紀勢本線は紀伊半島の外周を行くから、南下する場合は進行方向左手、すなわち運転席背後のA席側に海が見えるのである。そうであるならば、運転士の背後になるとはいえ、A席もありなのではないかという結論に至った。したがって、僕の席は、1番A席である。

 ところで、「ワイドビュー」とは、JR東海が車両の窓を大型化し、眺望をよくした特急列車の列車愛称として用いられる言葉だが、前面を眺望するのもワイドビューであろう。確かに僕の席からの眺望は、横だけでなく前もワイドビューであった。

▲ 元祖特撰牛肉弁当

 多気を過ぎて、松阪で買った「元祖特撰牛肉弁当」を食べる。冷めていて肉は固くなってしまっているかと思えば、そうではなく、実に柔らかい。弁当箱の蓋の裏に冷めても柔らかい状態にするのに試行錯誤を繰り返したのだと逸話が載せられていた。

▲ 紀勢本線の線路

 紀伊半島の外周を通るとは言ったものの、実際車窓に映る景色は山の中であって、海など見えない。三瀬谷などという名の駅まで通るが、これがその名の通り谷間にあるようなところに建っており、海とは無縁のようである。

 山を登ったり下ったりと峠を越えて行くような感じで進む。長いトンネルを抜けると、列車は下りにかかる。そして左奥にようやくチラッと青い海が見えだした。列車は、紀伊長島駅に停車する。

▲時折見える海は美しかった

 ここからは、海の見える区間と山の区間が交互に連続する区間となる。海の見える区間は主に駅のある集落を通過するときで、それ以外は山かトンネルを行く。降水量の多いことで知られる尾鷲を出ると、大曽根浦を通過する。大曽根浦では、湾を挟んで対岸を見ることができる。こういう入り組んだ地形は面白い。

▲ 海

 列車が新鹿の海水浴場付近を通過する。見下ろす感じだが、きょうは天気も良く、お盆の真っ只中とあって多くの人が集う。そういう風景を見ると、夏を感じて、遠出をしたように思う。

 熊野市駅まで来ると、視界が開けてくる。三重県の南端まで来るとほぼ直線に線路が延びていく。大きな熊野川を渡ると、まもなく新宮で、ここからはJR西日本のエリアに入る。

▲ 新宮から再びJR西日本エリアへ

 新宮を出ると、終点の紀伊勝浦まではノンストップだが、途中の紀伊佐野駅で、遅れている新宮行のオーシャンアロー5号と行き違いをするためにしばらく停車した。また、その先の宇久井駅では名古屋行の(ワイドビュー)南紀6号との行き違いをした。終着の紀伊勝浦には5分遅れで到着した。

17.4 紀勢西線

▲ 紀伊勝浦駅

 紀伊勝浦駅は橋上駅舎である。階段を昇って改札口を出ると、すぐみどりの窓口がある。空いているので、今のうちにと紀伊勝浦でオーシャンアロー22号の特急券とグリーン券を買う。この時期、乗車直前でも1人席が取れたのは、この列車が京都方面へ向かうからなのだろう。きっぷを買って、僕は駅の外へと出る。階段を降りてすぐのところにある駅弁屋を訪ねた。「鮪素停育」という細長い箱の駅弁で「マグロステーキ」と読ませる。紀伊勝浦駅の名物駅弁だ。

 それを持って、再び階段を昇って改札口を通り、ホームへと急ぐ。3番線に水色の新宮行普通列車が到着する。10分ほど遅れているようである。先ほどの新宮行オーシャンアロー5号の遅れの影響を受けているのだろう。とすれば、その折り返しとなるオーシャンアロー22号も遅れるのは必至で、予想していたとおりに6分遅れて到着した。

▲ 特急オーシャンアロー22号
▲ 新宮方の先頭車は独特の形状

 オーシャンアローは、JR西日本が京都・新大阪と新宮を結ぶくろしお、スーパーくろしお号の世代交代を目的に新設された列車である。まるでイルカのような顔つきをした先頭車の形状が特徴的だが、京都方面行では、きょうは最後部にのみ連結されている。僕は、そのイルカの顔をした車両に乗り込んだ。

▲ 鮪素停育
▲ 鮪素停育

 鮪素停育を食べる。鮪を竜田揚げのようにして衣にタレを付けたものがメインで、そのほかには小さな目張り寿司が付く。あとは、いわゆる幕の内であって、3時間ほど前に「元祖特撰牛肉弁当」を食べていたからかもしれないが、食べ終わると腹は膨れた。

▲ 隆起した岩礁

 紀伊勝浦を出ると、左手に太平洋が顔を出す。隆起したような平らな岩肌が海面に露出して、まるで五能線で見た青森の千畳敷のようである。

▲ 橋杭岩

 本州最南端の潮岬の玄関口、串本に近づくと、車内放送があった。串本駅の到着案内かと思ったが、左手の車窓に橋杭岩が見えるのだという。その案内であった。

 車窓に目をやると、海岸沿いに岩が屹立して立っているのが見える。天気も良いから、クッキリと見える。何度かここを通ったことがあるが、これほどハッキリと見えたことはなかった。

 紀伊半島の頂点にあたる串本を過ぎると、半島の外周に沿っていく。観光地の白浜では乗客も多くなった。僕は、次の紀伊田辺駅で下車をする。きょうは、人と会う約束をしているのだ。

17.5 ありがとうきのくにシーサイド

 紀伊田辺駅で途中下車印を押してもらい、駅舎の中で待っていると、「こんにちは」と声を掛けられた。7月19日に藤沢駅から小田原駅まで湘南ライナー1号で同行した友人であった。そして、さらに「こんにちは」と声が掛かる。昨日、浜松駅で見損ねた友人である。また、今回は彼らの同行者である友人の友人もいる。

▲ きのくにシーサイド

 15時50分の快速ありがとうきのくにシーサイド2号に乗車する。ディーゼル機関車と客車によるイベント列車だが、今月で引退となる。ゆえに、通常は「きのくにシーサイド」として運行されるが、この夏は「ありがとう」を冠しての運行であった。なお、今月最後の週末には串本と新宮の間で「さよなら」を冠して運行されるとのことである。

▲ 海岸線が美しい

 僕たちは展望車に集った。ガラス窓もなくオープンデッキ風である。走る列車に外の風が直接に入ってきて気持ちいい。紀伊田辺を出てまもなく、太平洋に面する場所へ出た。やや西へ傾きかけた太陽が、青い夏の海を照らす。その海では、ボードに腹ばいになってこちらに手を振る若者が見えた。僕たちは手を振り返した。

 御坊を過ぎて、カーブの多い区間を行く。近代的な高架駅の海南駅には比較的長時間停車した。彼ら三人は外へ撮影に出ているが、僕は車内で留守番だ。所要時間を2時間で終着の和歌山に到着した。彼ら三人は紀勢本線を和歌山市へ行くという。その前に駅の外へ出るというので、僕たちは、ここで別れた。

17.6 和歌山線

▲ 普通五条行き

 17時59分発の王寺行普通1472Mは105系電車である。元々は常磐線を走っていた103系電車で、2両編成で運転ができるように改造したものである。改造したのは、常磐線に203系電車が新製投入された頃のことだから、それからもう23年も経つ。改造したときに内装も新装したはずだから、それ以前の経年劣化は無視するとして、23年も経てばどこかしか草臥れてもくるはずで、お世辞にもきれいな車内だとはいえなかった。通勤形でロングシートの車内が宜しくないわけではない。ロングシート車でも明るく小ぎれいな快適空間というものはあるはずだ。

 和歌山駅を出ると、すぐに市街を抜けて住宅と田園が入り交じる車窓へと変わる。西へと流れる紀ノ川に逆行するようにしてその南側を電車は進む。船戸駅を出ると、左へカーブして紀ノ川を渡る。和歌山線で好きなところである。

 岩出を出ると、左の窓から夕日が射し込むのがわかった。粉河を出る頃には徐々に薄暗くなり、橋本駅に着いたときには夜が始まろうとしていた。僕は、橋本駅で下車した。

17.7 和歌山線その2

▲ 橋本駅

 橋本駅は和歌山線にある駅で、横浜線の橋本駅と区別をするために、きっぷの券面表示には「(和)」という記号を付す。しかし、それは他駅の係員がどこの橋本駅かを判別するためのものであるから、駅名標など、わざわざ(和)と付す必要のないものには付かない。当然であろう。

▲ まことちゃん像

 さて、橋本駅は、JR以外に南海高野線が接続する。駅舎と改札口はJRと南海で共用しているが、特急券やきっぷの発売窓口は別々になっている。駅舎の正面玄関は夏祭りの提灯が飾られてあり、季節感を漂わせる。また、漫画家楳図かずお氏が橋本市に縁があるとかで、駅前には彼の漫画のキャラクター「まことちゃん」の像が建てられている。面白いと感じつつも、夜に見ると少し気味が悪い。

 そうしているうちに、僕の腹の虫が泣いた。以前に来たときに柿の葉寿司を買ったことを思い出して、駅舎内の店を訪ねる。ちょうど閉店前で割引して商品を売るという。柿の葉寿司はまだ賞味期限が来ていないとかで割引の対象外だったが、鮎すしが割り引かれていた。僕は、それを購入した。

▲ 快速五条行き

 19時44分発の快速五条行きに乗車する。105系電車で先ほど乗ってきた電車と同じタイプである。ここで夕食をというには気が引けそうだが、幸いにも乗客は僕以外に数人がいるだけで、僕の周りには誰もいなかった。

▲ 鮎すし

 そこで、先ほど購入した鮎すしをいただく。酢で〆た鮎を押し寿司にしたものかと思っていたが、タレで付け焼きにしたものを押し寿司風にしたものであった。予想外ではあったが、口へ運んでみると、これが旨い。上品な味付けで嫌みがない。昔、人吉で鮎寿司を食べたことがあったが、それとはまた違うものであった。

 19時59分、五条駅に到着した。16分間停車するという。おや、確か五条行きのはずだったがと思って、時刻表を見ると、このままこの列車が普通奈良行きとなるらしい。この間に数日後に使うきっぷを購入しておく。20時15分、列車は出発した。

 スイッチバックの解消された北宇智、近鉄吉野線と接続する吉野口などを通り、ようやく人家の密集した車窓が見えだしたところで、20時50分、高田駅に到着。この高田も、橋本駅と同様に信越本線の高田駅と区別するため、きっぷの券面などでは(和)を冠する。

 高田駅では、20時53分に王寺行きがあって、それに乗り換えれば1時間も早く大阪へ着けるが、今回はそういうわけにはいかない。意図して遠回りせねばならないのである。

 20時57分、高田駅からは、進行方向を逆にして桜井線へと入る。近鉄大阪線に接続する桜井駅からは少し乗客が増えてきた。それでも、空席が目立つことこの上なく、寂しい。天理教の教会本部の玄関口である天理駅からも数人が乗ってきた。終点の奈良には21時41分に到着した。

17.8 きょうの終わりに

▲ 奈良駅
▲ 区間快速大阪環状線方面行き

 21時46分、奈良から区間快速大阪環状線方面行に乗る。オレンジ色に塗り替えられた201系であった。先ほどまでの105系電車と違って車内は明るく、そして乗客の数も多いから賑やかだ。同じような通勤形なのに印象はまるで違う。

 夜中の関西本線を行くが、そういえば今朝は関西本線から旅が始まったのだと、ふと思った。王寺駅に停車する。高田駅からは僅かに11.5㎞、所要時間にて約15分程度しか離れていない。

 徐々に大阪の下町の雰囲気が出てくると、大阪ミナミの大ターミナル天王寺駅である。ビル群などの間を抜けるような区間は夜でも賑やかである。そして、西日本随一のターミナルである大阪駅に到着した。22時41分とすっかりと遅くなってしまった。

 きょうは、大阪で中断して自宅へと戻る。大阪駅で下車印を押してもらい、切符を買って再び入場する。自宅に戻ったのは、日付の変わる直前であり、寝るために帰っただけであった。せっかくの自宅だが、寛ぐ暇もなく、6時間半後には自宅を出発するのである。


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