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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第13日目

前回のお話は以下URLから。


第13日目(2007年8月8日)

越後湯沢ー水上ー新前橋ー小山ー宇都宮ー(郡山)ー水戸ー我孫子ー新松戸ー南浦和ー赤羽ー池袋ー秋葉原ー錦糸町ー佐原

8月8日の行程

13.1 

▲ ホテルやなぎ

 7時過ぎに起きて、珍しくホテルで朝食を取ってからの出発となった。越後湯沢駅が賑わうのはやはり雪の季節で、それとは正反対の今は朝と言えどもすっかりと閑散としている。新幹線の駅もあるような巨大建造物が閑散としている様はいささか異様に感じた。

▲ 普通水上行き

 8時05分発の普通水上行きに乗車した。115系という車両で、昨日も一昨日も乗車した電車と同じタイプである。朝に東京方面へ乗り継げる列車だから、この時期乗車率は高いと思ったが、その予想に反して、車内はがら空きであった。僕は、進行方向右側のボックスシートを陣取った。通路を挟んで左側には大学生風の若者が耳にイヤホンをさして眠っている。

 越後中里を過ぎると、長岡方面、すなわち下りの線路が遠ざかっていく。離れたかと思うと、列車はトンネルの中へと入っていった。トンネルの中へ入るからわかりにくいが、列車は勾配を上がるためにトンネルの中で輪を描くようにして登っていく。まるで高速道路のインターチェンジのようにである。この輪を描いて登るときに、トンネル内で同時に上越新幹線とも立体交差する。一方、下り線は勾配を下るだけなので、ループは描かない。実に複雑に線路が絡むので、通ってきた線の真上を線路が直交したり、下り線と同じ方向へ進む区間があったりと、トンネルの中では忙しい。とはいえ、トンネルの中での出来事だから車窓からはそれらを確認することはできない。トンネルを出ると下り線が近づいて合流する。程なく走って、峠の駅、土樽に到着する。

 土樽を出ると、橋を渡ってトンネルへと入る。長いトンネルを抜けると既に下り線は見あたらず、そのまま土合駅に到着。土合駅といえば、「日本一のモグラ駅」としてトンネルの中にある駅で有名だが、そちらは姿の見えない下り線の方で、こちら上り線はただの地上駅である。

13.2 国境越え

▲ 眼下に上り線を見る

 僕は、上越線の中でもこの土合から湯檜曽へ至る上り線の区間が気に入っている。国境の長いトンネルやトンネル駅の土合、湯檜曽のある下り線よりも、このループ線の眺めが気に入っているのだ。土合を出てトンネルに入るがこれを抜けると、そのお目当ての区間に出る。僕が進行方向右側の座席を選んだのもこの車窓を見るがためであった。かくしてトンネルを出ると、僕は窓を開けた。眼下に直交するようにして線路が見え出す。左の方へ大きくカーブしている様子がわかる。そのカーブの途中には湯檜曽駅も見える。その湯檜曽駅もカーブする線路もこれからこの列車で通る線路なのだから、不思議に思う。そんな僕の様子を見て、例の若者も何をしているのかというような不思議な顔をしている。

 トンネルから出てさっき上から眺めた線路を行く。湯檜曽駅に停車するために減速する。窓に顔を付けて上を眺めて見る。通ってきた線路はもちろん見ることはできないが、どのあたりなのかはわかると思ったのだ。しかし、その期待に反してその場所はわからなかった。湯檜曽駅を出ると、終点水上で8時45分に到着した。

13.3 水上駅から

▲ 水上駅

 水上駅は、水上温泉郷の玄関口である。しかし、湯治にくる客や観光客で賑わいを見せているという雰囲気はあまり見られない。観光客らは特急の時間に合わせて宿を出るのだろうか。

▲ 湯乃花饅頭

 温泉の町らしく、駅前の土産物屋では湯乃花饅頭という温泉饅頭がおみやげに売られている。僕は、それらの店の一つに入って単品で一つを買う。箱入りのセットで買うと荷物になるし食べきれないから勿体ない。1個から買えるのはありがたいことだ。

▲ 普通高崎行き

 8時59分発の普通高崎行きは北関東地区では割に馴染みのある車両で107系だった。人が少ないと思っていたが、発車間際になると徐々にロングシートと呼ばれる横長の座席に人が埋まっていった。

 列車が水上駅を出ると、利根川の源流を右に見ながら行く。丁度僕の背になっているから、身体をねじって窓外を見ると、渓谷の中に流れの急な川があった。これが関東平野の北部を横切って遠く千葉県の東、銚子まで流れていく。日本で第2位の長さを誇る河川で、流域面積が日本最大というのは社会科日本地理の必須項目だ。

 水上駅前で買った湯乃花饅頭を食す。その土地のものをつまみ食いのようにして食べると、さらに旨く感じる。湯乃花饅頭を頬張りながら、チラッと背後の窓から遠くを眺めると、上越新幹線のコンクリート橋梁が見えた。夕べは、あそこを北へ向かって通ったのだ。

 徐々に勾配を下って、関東平野の北端あたりまで下りてくると、まもなく新前橋駅だ。

13.4 両毛線1

▲ 普通前橋行き(前橋到着後)

 新前橋駅での乗り換えは慌ただしい。橋上駅舎へ上がって3番線ホームへと急ぐ。9時53分発の普通前橋行きは、湘南色といって、かつては上野でも頻繁に見られた車両だ。前橋までの区間運転だが、乗車率はいい。若者らを中心に混雑していた。

 前橋は、群馬県の県都を代表する駅でありながら、いささか地味な感がある。これはやはり本線級の高崎・上越線上に「前橋駅」が設けられていないことが大きいように思う。新前橋から僅か一駅だけだが、両毛線の駅で、前橋と都内を結ぶ直通列車はあるものの人の流れが一方通行的だ。これに比して、高崎駅は高崎線、上越線の接続駅であるばかりでなく、信越本線の他、上越新幹線の駅でもあり、その規模は大きい。前橋と高崎では、どちらが県を代表する駅なのか戸惑うくらいである。県を代表する駅が、同じ県内の駅よりも地味に感じる駅は、山口県の山口駅と新山口駅の場合があろう。

 乗車時間は僅かに4分、地味に感じる前橋駅もその造りは島式2面の立派な駅であった。

13.5 両毛線2

▲ 前橋駅

 前橋駅のみどりの窓口で入場券を買おうと覗くと、10時直前とあって、何人もの人が列をなしていた。買うものが入場券の購入であり、次の列車まではまだ30分近くあるのでそう急ぐこともあるまいと、駅前のデパートへ足を運んだ。

 デパートでいくつかTシャツなどを買って、前橋駅に戻る。15分もすると、さっきまでの列は解消して、女性が一人窓口前で係の人と話をしているだけであった。この分だと、10時26分発まではまだ10分以上もあるので、余裕だと思っていた。しかしである。

 はくたかと上越新幹線の乗り継ぎについて、あれやこれやと時刻を調べてもらっているようで、中々話がまとまらない。ようやく話が終わりそうになると、また別の話を出しては説明を求める。いずれは終わるだろうと高を括っていたが、10時23分を回っても終わらない。挙げ句には、「今はお金を持ってないので、ただ聞いてるだけ」という。腹立たしい。その直後、頭上から列車が入線する音が聞こえ、25分までぎりぎり待ったが、もう間に合わないと諦めて改札を通る。大急ぎでホームへ行き、列車に飛び乗るとドアが閉まった。

▲ 普通小山行き(小山到着後)

 さて、小山行きの普通列車は、さきほどと同じ115系というタイプの車両であった。初めは座ることができなかったが、桐生を過ぎると席にありつけた。

 北関東も東京の近郊となり、宅地開発も進んでいるという。両毛線は、ローカル線だとばかり思っていたが、の思う真性のローカル線とは性質を異にすると思う。電化されていても、その土地独特の雰囲気というものが感じられるのだが、それを感じることはあまりない。それこそ、埼玉北部から群馬南部あたりの高崎線的な雰囲気が感じられるのだ。それは街並みではなく、どうらや人の様子からそれを感じるのである。身なりもそうだが、話し言葉もまた都会のそれである。そういう都会的な側面が、特に前橋、桐生、栃木、小山あたりで見られ、都会の郊外路線としての性質が出てきている。路線の雰囲気は、街並みなどによるところももちろんあるが、それ以上に人の雰囲気で決定づけられるものだと感じた。

 しかし、そうは言っても、僕の前に座る男子高校生はいかにも地方のやんちゃ小僧という出で立ちであり、僕はそこに某かの安心感というものを得ていた。僕の思う両毛線にイメージが相応したのである。

 桐生を出ると、群馬県から栃木県へと入る。列車は新幹線の高架下にある小山駅8番線ホームに11時52分に到着した。

13.6 東北線を北上する

▲ 普通宇都宮行き

 11時58分の普通宇都宮行きは、211系だった。僕は、先頭の15号車に乗車した。211系にしては珍しくボックスシートで、僕はこのタイプの211系に乗車するのは初めてであった。客の姿はあまり見られず、僕は、ボックスシートを陣取った。

 列車は、小山駅を出た。栃木県の田園地帯を行くが、都内への通勤圏とあって、住宅の数も多い。15両の長大編成が停車できるように各停車駅のホームも長い。

 小山から宇都宮までの各駅の所要時間はそれぞれ概ね6分程度である。新幹線だと宇都宮まで駅は一つもないが、在来線でも間に4駅を挟むだけである。28.9kmを30分で行くのだから、いわゆる表定速度(平均の速さ)は約60㎞/hである。各駅停車としては至って珍しくもない速度なのかもしれないが、実際はもっとスピードが出ていると思っていただけに意外であった。宇都宮着12時28分である。

13.7 餃子像

▲ 餃子像

 宇都宮駅の東口に面白い像が建てられてある。餃子像がそれで、餃子に包まれたビーナス像というユニークなデザインだ。それを撮影して駅へと戻る。駅では、入場券と新幹線特急券を購入して新幹線ホームへと向かう。

▲ Maxやまびこ115号

 12時58分発の仙台行きMaxやまびこ115号に乗車した。先頭に新庄行きのつばさ115号を連結している。Maxやまびこ115号は2階建て新幹線であるが、今回、僕は自由席の平屋部分を利用した。込んでるかと思ったが、意外にも座ることができた。

 最長片道切符の経路では、東北本線を北上し、郡山駅の一つ手前の安積永盛駅から水郡線に入る。ところで、Maxやまびこ115号は宇都宮を出ると郡山まで停車しないので、新幹線に乗って郡山まで行ってしまっては最長片道切符の経路から外れることになる。しかし、旅客営業取扱基準規程第151条によれば、安積永盛に停車しない列車に乗車するとき、経路から外れる安積永盛と郡山を往復しても構わない旨規定されている。すなわち、経路から外れても問題ないのである。

 本来であれば、在来線を北上して安積永盛から水郡線に入りたいところだが、きょうは越後湯沢から千葉県の佐原まで行かねばならない。この経路もできることなら2日か3日くらいに分割したいところであったが、後々のことを考えるとそうもいかなかったのである。とすれば、可能な限り、速達できるところは速達でいきたい。またローカル線区、特に水郡線での乗り遅れは致命的であったから、それも新幹線を利用せざるを得なかった理由の一つである。

 新幹線は速い。あっという間に郡山である。13時31分到着。久しぶりの東北地方である。

13.8 水郡線 1

 さんざん西へ進んできて、南下した後、東進、やや北上したかと思うと、再び南下して東進する。今は、東北へと向かい郡山までやってきた。目指すは九州だから、概ね西へ向けての旅となるが、その途中では行ったり来たりの激しい行程となる。最長片道切符の旅というものはそういう旅なのだと、ここ数日で実感してきた。ようやくJR西日本管内に入ったと思ったら、今は7月18日に降り立った駅へ再び足を踏み入れている。その現実に遠回りの実感を得ずにはいられない。

 郡山駅の新幹線コンコースから在来線乗り換え口へ向かう。そのとき、駅弁屋が目に入った。そういえばまだ昼食を取っていなかったことを思い出し、覗いてみる。「阿武隈の鮭めし」というのが旨そうだったので、それを購入した。

 在来線ホームへと行く。水郡線の発着ホームは、2番線ホームの宇都宮方を切り欠いて設置されている。かつては「水郡ホーム」と呼ばれたが、2007年春から「3番線」となった。一旦2番線・4番線へと上がって、宇都宮方面へとホームを歩く。その先のホームにはキハ110系を最後尾に、先頭2両が新製したばかりのキハE130系が停車していた。これが水郡線の水戸行きである。

 僕が乗ったときには、既に多くの人が乗っており空席は見あたらなかった。3両も繋いでいるが、空席が見あたらないとは乗車率は高い。地元の人が多いが、僕のような旅の者も多いのである。これでは、せっかく買った駅弁を食べることはできない。

▲ 普通水戸行き

 13時49分、郡山駅を出発した。郡山からは東北本線を一駅南下する。安積永盛駅から本来の最長片道切符の経路に戻り、そして水郡線へと入る。結局40分ほど立席のままで、ようやく磐城石川駅から進行左側の座席にありつくことができた。そして、駅弁にもありつくことができたのである。

▲ 阿武隈の鮭めし

 阿武隈の鮭めしは、ご飯の上にイクラと焼鮭の切り身が乗せられたお弁当で、鮭の親子丼である。イクラも大粒で旨かった。ローカル線で食う駅弁は旨いが、車両は近代的でローカルな雰囲気を感じられないのは物足りない。とは言っても、それは僕の勝手な思いこみであって、ローカル線に近代的な車両を走らせようと何ら問題はない。車内は空席も目立つようになった。

▲ 久慈川

 矢祭山の辺りから左側の車窓に久慈川の流れが見えだした。水郡線の車窓はこの久慈川の流れと言っても過言ではない。青々とした夏の空の下、川では鮎の友釣りをしている釣り人の姿も見られる。そういう風景は夏の風物詩だ。

 列車は、水郡線の中間地点常陸大子駅に到着。2分の停車だ。この駅の向かいには、玉屋旅館があって、そこで調製する「奥久慈しゃも弁当」が絶品だ。時刻表にも駅弁として紹介されている。予約すればホームまで持ってきてもらえるのだが、郡山で駅弁を購入したこともあり、今回は遠慮した。

 上菅谷で水郡線の枝線と合流する。車内は徐々に込み合ってきた。さっきまで透き通ったそれでいて濃い青だった空が、日も傾いて徐々に白みがかって薄い青になってきた。きょうはこの辺りで打ち切りたいところだが、そうもいかない。

 終着水戸駅には16時55分に到着した。そろそろ夕方の帰宅ラッシュが始まろうとしていた。

13.9 常磐線を南下

▲ 普通上野行き

 水戸駅でグリーン券を購入した。それを持って5番線に停車中の17時08分発の普通上野行きに乗った。紺色の帯が纏われたステンレス製の車体に窓が2段になっている車両がある。それがグリーン車である。

 僕は、JR東日本の近郊型車両を使用した普通列車のグリーン車においては、2階建ての1階部分や平屋部分を利用することが多い。2階席は既に席が埋まっていたりするので、やむなく1階席などに落ち着くわけである。しかし、きょうは水戸駅から乗車したときは2階部分には数人が乗っているだけだったので、そこへ落ち着いた。

 上から眺める車窓は、いつもとは違った雰囲気を感じる。特に駅へ停車するとホームを見下ろすが、普段にはない視界が面白い。

 水戸線との分岐駅友部に着いた。水戸線は、友部と小山を結ぶローカル線で、概ね1時間余りで結ぶ。僕は、きょうの正午前に小山を出て、約5時間掛けて友部までやってきた。何という遠回りだろうか。

 17時37分、石岡駅に到着。ホームの向こうは更地であった。ここには、つい今年の3月まで鹿島鉄道の石岡駅があった場所である。ホームも取り除かれ、跨線橋とその階段だけが所在なさげにポツンと置かれている。乗客減少で経営難であったものの、駅に隣接する操車場は様々なタイプの車両が留置されてそれなりに賑やかであった。今は、その面影も感じられないくらいにうら寂しい。

 土浦からグリーン車にも乗客が増えてきた。徐々にその数は増えていく。ふと、右の窓を見ると、オレンジ色に染まった夕焼けが見えた。何てきれいなんだろう。こんな夕焼けを見たのはいつ以来だろうか。太陽がさよならを告げるように、オレンジの味のする飴色に染まった空が美しいが、その美しさは僅かのうちに終わってしまった。美しいものは久しからずか。

▲ 夕焼け

 空が青からオレンジに変わり、そして藍色に染まった。しかし、まだまだ白んでいて夜は完全には始まってはいない。空の色がこれほど短時間のうちに移り変わるのは面白い。旅でもしていなければそんなことなど考えることもなかったろう。

 18時40分、我孫子駅に到着。

13.10 唐揚げそば

▲ 唐揚げそば

 我孫子駅には有名な唐揚げそばがある。丁度良い時間なのでそれを夕ご飯にすることとした。駅そばを食べるのは、昨日の松本駅以来だが、それもずっと遠い過去のような気がする。それだけ、きょうは長距離を移動しているということか。

 改札口で途中下車印をもらうときに唐揚げそばを食べられるところを聞いてみた。すると、1・2番線ホームにあるという。早速行ってみると、1・2番線の取出方に下りたがそこにスタンドがあった。

 早速、注文をすると、丼に大きな唐揚げが乗せられたそばが出てきた。唐揚げが大きすぎてそばが見えない。以前に食べた立川駅のおでんそばもインパクトがあったが、こちらはそれ以上である。しかも熱いから中々箸が進まない。そうこうしているうちに、ようやく食べ終わって時計を見ると、当初に乗る予定をしていた18時51分発の代々木上原行きは既に出てしまった後で、やむを得ないから次の列車で行くことにした。

▲ 普通代々木上原行き

 19時03分発の代々木上原行きに乗車する。これから向かう新松戸駅はいわゆる常磐緩行線にしか駅は設置されていないから、こちらに乗り換えるのだ。車両も完全に都会の通勤形で、この時間、この手の車両は混みあうから、早く通り抜けたいところだ。19時17分、新松戸に到着した。

13.11 武蔵野線

 新松戸から武蔵野線に乗り換える。大急ぎで階段を駆け上がったが、目の前でドアが閉まり、出発していった。あれに乗れれば、予定は回復していたのだが、これで予定を修正せねばならなくなったわけである。そこで、携帯の端末で調べて見ると、やはり遅れの回復は見込めない。そうであれば、思い切って、ゆっくり都区内を通過していこうと方針を変えて、行くことにした。

 19時27分、府中本町行きの普通電車は205系であった。サイドから見ると、大阪市交通局堺筋線の66系車両を思わせるようなデザインで、オレンジと茶色の帯を纏っていた。帰宅する学生やサラリーマンらで混雑をしていて、座れるような感じではなかった。南浦和到着19時54分。

13.12 京浜東北線

 南浦和からは、京浜東北線の南行きに乗り換える。正確には、東北本線の上り線なのだが、いわゆる宇都宮線や高崎線とは別の運転系統となっており、東北本線の緩行線である。

▲ 普通蒲田行き

 20時丁度に出発した蒲田行きは209系0番台であった。やはりここでも乗客は多い。それはこの時間であるということと、そもそもからして利用客の多い線区であるからだ。

 埼玉県からいよいよ都内へと入る。夜の都内は賑やかで、これまでとは比べものにならない。人がいるということは、これだけ活気があることなのかと思う。赤羽には20時12分に到着した。

13.13 赤羽線

 赤羽駅前のデパートで買い物をする。あれやこれやと見て回るうちにすっかりと時間を潰してしまって、時計を見ると8時半を回っていた。あまりゆっくりしていると、佐原に着けなくなるので、慌てて赤羽駅へと戻る。

▲ 普通新木場行き

 20時53分発の普通新木場行きに乗車した。205系である。いわゆる埼京線の電車だが、京浜東北線と同様、実は埼京線という路線は存在せず、正式には東北本線、赤羽線、山手線を経由する運転系統名を指す。そして、これから行く赤羽・池袋間は赤羽線という路線である。往時を知る人は、赤羽線といえば黄色の電車という人もおられるのではなかろうか。僕も、赤羽線のイメージは黄色の103系電車なのである。

 都区内の通勤路線としては、珍しく地上を走る。途中には踏切もあって下町の雰囲気が感じられる住宅街を通る。住宅に灯る明かりが恋しい。

 21時01分、池袋に到着した。

13.14 山手線

▲ 山手線外回り(秋葉原到着後)

 池袋からは21時07分発の山手線外回りに乗る。新鋭のE231系である。こちらも込んでいた。携帯電話でこれからの乗り継ぎを調べると、このまま秋葉原まで行って総武線に乗り換えると、錦糸町から特急あやめ5号に乗れることがわかった。願わくば、上野駅で下車したい気持ちもあったが、やむを得まい。直接秋葉原まで行くことにした。

 列車は、田端から東北本線に入る。故宮脇俊三氏が自身の最長片道切符の旅の中で、その解釈と自己を納得させるために難渋した「日暮里問題」と称した日暮里・上野間を通る。あれから30年近く経った今、経路は変わってしまって、その問題で難渋することもなくなった。

 秋葉原駅には21時26分に到着している。

13.15 総武線

 秋葉原駅の階段を上って、総武線のホームへと行く。これぞ立体交差駅のシンボルと言わんばかりの駅だが、最近はつくばエクスプレスの開業もあって、駅前の雰囲気が変わってきているという。

▲ 普通津田沼行き

 21時28分、千葉行きの総武線の電車はE231系である。御茶ノ水辺りから乗ってきただろう乗客らで満員であった。そんな中を大きな荷物を抱えて乗るのだから、迷惑だろう。早く錦糸町駅に着いて欲しかった。錦糸町駅まで行ってしまえば、気は楽である。21時35分、錦糸町駅に到着した。

13.16 特急あやめに乗る

▲ 特急あやめ5号

 21時42分発の特急あやめ5号に乗車した。10両編成だが前5両が特急あやめ5号で、後ろ5両は特急しおさい15号成東行きだ。車両は、すっかり房総特急の顔となったE257系だ。

 錦糸町からの乗車で車内は満員になった。車掌さんが車内改札に回ると、次々に車内精算をしている。千葉までは500円とあって、ビジネスマンらの利用も多いようだ。

 佐倉で後ろ5両のしおさい15号を切り離して、あやめ5号は先発して成田線へと入る。成田までは割に乗車率も高かったが、そこを出ると一気に空席が目立つようになった。あやめ5号は、22時59分に佐原に到着した。あやめ5号は、佐原から各駅停車となって銚子まで行くので、そのまま銚子まで行って泊まっても良かったが、銚子到着が23時42分と遅くなるので遠慮した。

 今夜のホテルは、佐原駅から徒歩15分程度のところにある「ビジネスホテル朋泉」である。寂しいばかりの夜の佐原をトボトボと歩くのは辛かった。住宅街の入口に「ビジネスホテル朋泉」への案内標識を見つけ、更に進む。本当にこんなところにビジネスホテルなどあるのかと不安になったが、道の突き当たりにマンションを思わせるような大きな建物があり、そこが「ビジネスホテル朋泉」であった。

 部屋に入って、早速シャワーを浴びて汗を流す。いくら鉄道マニアの僕といえど、朝8時から夜の11時までほとんど乗りっぱなしというのはさすがに疲れた。新潟から北関東、東北を経て、房総にまで至る699.3㎞を肌で実感する一日となった。


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