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受験教育が大嫌いな人間がなぜ受験塾をやるのか?

 私は、「オンライン家庭教師リスタ」というオンライン教育サービスを運営する教育者だ。
 リスタの特徴は、オンラインという特徴を活かし、全国各地津々浦々どこでも、東大生をはじめとした都市部に住む難関大学生にマンツーマンで指導してもらえる点だ。地方のトップ高校に在籍し、東大や医学部受験を志しても、周辺になかなかその条件に合致する学歴の講師がいなかったり、そうしたノウハウがなかったりするのが現状だ。そうした問題を教育の「地域間格差」といい、社会問題としても議論されている。
 更に、私をはじめ、経験豊かなプロ教師も生徒たち一人一人に寄り添い、学習計画をオーダーメイドで組み立て、一人一人に寄り添った合格や成績UPへの最短ルートを提供している。本人の持つ特性や目標にしたがって、合格に向けて誠心誠意サポートするのが、私とリスタのスタッフの仕事だ。
 今年(2023年)のはじめに本格的にリスタをローンチし、おかげさまで今では、数十人の生徒がリスタの生徒となり、全国の学生と夢を語り、志望校や将来の目標に向かって、一緒に全力で挑戦している。
 しかし、私は元々、大の受験教育嫌いであり、一時期、受験教育を心から恨んだ経験がある。一体、なぜそうした人間が「受験塾」を経営しているのかについて、私の人生のターニングポイントをご紹介しながら、お伝えしたいと思う。

■幼少時代「学ぶことの目覚め」

 「学ぶことの目覚め」、それは幼稚園時代に遡る。
 近くの幼稚園に通い始めたが、幼稚園に行くのをすぐに辞めた。経緯としては、「幼稚園は勉強するところだと思っていたのに勉強する様子が一切ない」と母に直談判したそうだ。母も素直に聞き入れてくれて、幼稚園を辞めたのだが、その代わりに夥しい数のドリルを課された。しかし、これにハマってしまった。
 家でドリルを解き続け、できないことができるようになって、更に大人に褒められるのが純粋に楽しかった。こうして「学ぶことの楽しみ」に目覚めていくのであった。

■小学生時代「知識教育の敗北」

 その後、小学校に入学。入学前にすでに小学校3年生くらいまでドリルで予習していたので、勉強で困ったことはなかった。
 しかし、幼稚園に通っていなかったので、社会性が欠落していた。「いただきます」をする前に給食を完食するなど、今でこそ赤面の至りだが、当時はそうした“お作法”がわからず、周りの人間や先生を当惑させていた。
 この時期に、私は「知識教育の敗北」を経験するのだった。知識があっても社会性がないといけないと思わされた。また、他者と協力したり、仲良くしたりしないと、何もできないことも痛感した。

■中学・高校時代「3000万分の1の実現」

 運良く中学受験をさせてもらえた。そして、割と自宅から近く自転車で行ける距離にある、中堅進学校に進学することになった。そこでは、小学生時代とは違って、幼少期のドリルの知識貯金だけでなんとかできない周りの環境になった。
 一方で、私は多くの友人を得ることができた。有難いことに、優等生であれなくなったために、友達との協調や友情を大切する精神が育まれたように思う。とにかく友人との時間が楽しくて、学校に行っていた。ここで「学校」が大好きになった。そして、それと同時に学校という環境で仕事をする教師という仕事になることを曖昧ながらもイメージし始めたのもこの時期だったように思う。
 中高一貫校だった、この6年間。勉強そっちのけで、友情に部活にと時間を割いた結果。学力が急降下し、クラスで下から3番目。担任の先生から呼び出され、このクラスの「バカ3羽ガラス」と揶揄されるまでになった。
 高校3年生になり、受験が差し迫る。周りの友人に追いつけとばかりに真剣に勉学に取り組んだ。早稲田志望だった私。12月という受験本番が2ヶ月後に迫る時期での三者面談で、「慶應も受ける」と伝えると担任から「お前が慶應に受かる可能性は3000万分の1だ!やめとけ!」と一蹴された。
 なんとしてもしがみついてやろう。執念で最後まで努力し抜いた結果。3000万分の1の確率で、慶應義塾大学文学部に合格した。
 その報告を学校にすると、職員室では「前田って学年に1人だけだよな?」と驚きの声が上がったほどだったらしい。
 この出来事で私は「努力は裏切らない」ことを学べた。そして、この体験があったからこそ、どんな生徒も実現できないことはないと信じている。大きな自信を私にくれたので、生徒たちにもそれぞれの生徒なりの貴重な体験をして欲しいと思っている。
 総じて、教育の力で人はどこまでだって行けるという希望と夢を見させてもらった。当時の先生方には本当に感謝している。ここではまだ受験教育嫌いにはならずにいる自分がいた。

■大学時代「少し空虚感を感じた大学時代」

 今振り返ると、そこまで思い出がなかった大学生時代だった。学生団体を立ち上げ、700人規模の講演会を企画・主催したり、友人と共に旅行をしたり、今では会えない人とあったり、将来の希望を友人と語ったりもした。しかし、そこまで鮮烈な思い出はない。なんとなくだったからかもしれない。もちろん、すべてに価値がなかったわけではないが、今素直に思うともっと多種多様な経験や自分の限界に挑む経験、将来のキャリアに直結するような経験をしておけば良かったと後悔している。
 そもそも大学選びの際に、高校の先生は「とにかく偏差値の高いところに行って、そこから将来の目標は考えなさい」と一人一人の将来のビジョンは差し置いて、受験教育一本だったように思う。この頃から、なんとなく受験教育への神話が崩れ始めた気がする。
 なんとなくのビジョンで大学に進学したから、自己分析が不十分で、人生から逆算して、大学生活のさまざまな動きを明確に設定できなかった。なんとなくの理由で、学校の先生になることを選んだ。マスコミなど他の業種も検討したが、結局教育に戻ってきた。それが幸か不幸か、その後の人生を大きく変えていくことになる。
 しかし、一方でこの大学生の時期にも教育には関わっていた。少し蛇足にはなるが、私は不登校専門の家庭教師をしていた。学校に行けない(行かない)子どもたちと、勉強をしたり、外でキャッチボールをしたり、なんならカラオケに行ったりもした。親御さんたちは、とにかく外に出て欲しいと、私にそんなミッションを与えてくれた。不登校の子たちへの関わりはとても貴重な時間だったと思う。

■教師時代「死に物狂いで仕事をした日々」

 縁あって、大学卒業後、私はある都内の私立高校で国語科教員として勤務を開始した。1年目は、副担任として担任業務を覚え、とにかく授業をこなすのに必死だった。2年目から担任を持たせてもらい、たかだか23歳の青二才が15〜16歳の高校1年生の人生を背負うという壮大な戦いがスタートした。限りある時間で全身全霊を懸けて、彼らと向き合った。ほぼクラス替えのないコースを担当し、彼らをほぼ持ち上がりで高校3年生まで担当した。最終的には40人のクラス。知識も経験もない20代前半の私にはとんでもないプレッシャーと、大きなやり甲斐を感じていた。
 自分の経験から大学受験で彼らにいい経験をさせたいと四六時中彼らの勉強に寄り添った。元旦・盆・大晦日。年の3回ほどしか休まず。休日も出勤。朝は5:30に起き、夜は終電まで仕事。帰ってきては体力をつけようと苦手なランニングに毎日挑戦した。根を詰めて、死ぬ気で精一杯努力をした。
 結果、偏差値30台の生徒を国公立に進学させたり、都内の難関私大に合格させたりと、芳しい受験結果を出すことができた。
 しかし、その先に残ったものは「何か違う。自分は何がしたいのだろう。」という思い。
 そうした虚しさとともに気づいたら退職届を提出していた。自分の何者か探しがここからスタートした。

■自分探し時代「大好きだった学校が大嫌いになった日々」

 最初の学校を辞めて、いざ立ち止まってみた時。私には、何も残っていなかった。何を為す人生なのか。何もわからなかった。その日々は本当に苦しくて。転勤した先の学校の仕事もおぼつかない。
 最初の勤務校での死に物狂いの努力を新しい勤務校でしたところでその先に何があるかもわからないし、そこには何もない気がしてしまって。ついには、2校目の学校へ行きたくなくなってしまった。大好きだった学校を心の底から大嫌いになってしまった。大嫌いになりすぎて、精神的にも耐えきれず仕事を辞めてしまった。
 今まで受験教育を自分自身も受け、またそれを教員という立場で提供もしてきた。
 しかし、自分には何も残らなかった。人生に対して、何のビジョンもない状態。空虚な状態。
 高校生の時の私に「大学生になればわかるよ」と言い、大学生の時の私に「社会人になれば自然とわかるよ」と言い、問題を先送りにされただけのように思う。年月が経てば経つほど、後戻りできなくなる。
 私は、受験教育を嫌いになった。裏切られた思いがした。
 志や夢がない日々は本当につらく、苦しい。そこから本当の自分探しの旅がスタートした。
 一度、教育現場から離れてみよう。そうして、全く別の業種「国会議員の秘書」へと転身をする。

■秘書時代「思っている以上に世界は広い」

 秘書になり、一からのスタート。仕事を一から覚えた。仕事の仕方やスケジュールの管理など。徹底的に叩き込んでもらった。とても有意義な時間を過ごせたと思う。特にさまざまな人との出会いに恵まれたことが良かった。
 他の議員やさまざまな企業の社長、団体の代表、国家官僚…など。さまざまな方から話を聞いた。こんなに多種多様な生き方があるのだと知れた。精神的なつらさから学校教員を辞め、人生のレールから外れてしまったように思え、孤独を感じていた私にとって、多種多様な生き方や人の考えとの出会いは、大きな勇気をもらえた時間だった。ここで得られた勇気を元に、真剣に自分の人生を考えてみた。
 自分の経験を活かして、人の役に立つには?
 「自分と同じようにいい教育を受けながらも、夢や目標を持てずに大人になり、苦しむ人間を出したくない」
 それがこの時の等身大の感情だった。その後、この思いも変遷を遂げていくのだが、私の原始的な起業へのパッションである。

■起業時代「右往左往してようやく教育事業に舞い戻る」

 自分と同じような思いをする人間を出したくない。そうした思いで起業した。
 しかし、起業したものの何をすればいいのかもわからない。とりあえず、何か事業をやろうと、Web制作事業や動画制作事業など、片っ端からやれそうなことに手を出してみた。当然、どれも鳴かず飛ばず。
 そもそもの思いに帰着しようと。教育事業をようやく開始する。年月はかなり経過していた。

■“受験教育”に異議を唱える

 教育事業をスタートして、ある生徒と出会った。私の友人のお子さんで、大手塾に通っているが成績が思うように伸びないというご相談だった。話を聞いてみると、受験塾は効率化ばかりを進めて、本質的な「教育」をしていないということだった。ついてこれない生徒は、置いていき、できる生徒だけを面倒見ていく。こんな杜撰な教育があっていいものか。教育の末席に関わるものとして、そこへの強烈な違和感を感じた。
 実は自分もその生徒と同じ立場だったなと感じる。とにかく受験競争に打ち勝つことを最大の目的とされる。そんな一元的な「受験教育」を私は自分の人生の経験から適切でないと思う。教育の目的とは、生徒の可能性を広げること。選択肢を増やしてあげること。深く人生を追求し、自分のビジョンにあった人生を豊かに歩み抜いてもらうことのお手伝いだと思っている。そうなると単なる結果だけの「受験教育」は違うのではないかと思う。しかし、現代の受験塾はどこもそう。うちは本質的な教育を提供したい。そう心から思い始めた。

■現在のパースペクティブ

 現在のリスタでの私の答え。それは受験結果や学力向上にこだわるけれども、そもそものビジョンや夢・目標・志の設計へのこだわりも同時に実現することだ。そのためにリスタでは、学習計画面談を行い、ヒアリングを行い、日々の勉強のプランニングをオーダーメイドで実施している。
 「やる気スイッチ」とある塾のキャッチコピーで聞く。私が思う本当の「やる気スイッチ」は、単純に問題をクリアできて、次の課題へのやる気が出てくるといったような対処療法的なやる気喚起ではなくて、そもそもの「将来へのビジョンや夢・目標・志」を寄り添って一緒になって発見してあげることだと思う。
 子どもたち、もとい人間それ自体が、成長への欲望を本源的に有している。それゆえに、明確なゴールを設定したら、そこに向かって突き進んでいける可能性を大いに秘めていると考えている。
 従来の「やる気スイッチ」の考え方は、最初の問題が運良く解けたり、そもそも勉強に立ち向かえる生徒には有効だと思う。しかし、そうではない生徒にとっては、押すのが難しいスイッチとなってしまう。

 しかし、結果にもこだわる理由としては、私自身も私自身の受験経験で大きな自信を得ることができたし、正直なところ、それを足掛かりにさまざまな挑戦ができたからである。
 だから、オンライン家庭教師サービスを提供する身として、そこへは一切引かずに真摯に結果にこだわる姿勢を保ちたい。その上で、リスタでは、さまざまな取り組みを提供し、生徒たちの将来のビジョン形成に大きな後押しを行う。
 私は、人の人生のビジョンを形作るのに3つの要素が大事だと考える。それは「人・本・旅」の3つだ。
 これは人によって、そのどれから最も影響を受けやすいかは人それぞれだが、特に人との出会いは大事だ。私も人生を通して、人との出会いで大きく開けてきたように思う。
 リスタでは、オンラインという特徴を活かし、地方に住んでいながらに、都内の優秀な大学生だけでなく、さまざまな生き様を見せるメンターとも出会える。他の地方や地域に住む高校生とも出会える。さまざまなバックグラウンドを持つ他の生徒とも出会える。こうした出会いを通して、自己分析を深く行い、面談を通して言語化し、自分に落とし込んでいく。明確なビジョンを持った学生はその後自分自身で成長曲線を描き、どこまでも成長していく。
 よく「可能性格差」という言葉を聞く。人間は周りの環境から情報を得るから、周りの環境に則して、その子が感じることのできる可能性にも差ができるということだ。周りにアプリを作った人間がいれば、アプリは作れるものだと思うが、周りにそんな人がいなければ、アプリは使うもので作るものという感覚は一切出てこないだろう。
 そうした子どもが抱ける可能性を高めることもリスタの仕事であると思う。

 今、日本にいる人材は、志を持つ存在が少ないと感じる。
 志とは、私は他者性や社会性を帯びたものだと理解している。
 「ポルシェに乗ることが私の夢です」は通じる。
 「ポルシェに乗ることが私の志です」はしっくりこない。
 志とはそういうものだと思う。
 私は教育事業を通して、志をもち、世界や日本社会に良き波動を巻き起こす者を1人でも多く増やしたい。
 そのためにも、結果に拘りつつも、本質的な教育を行いたいと心から思う。
 受験という明確な目標を通して得られる自信や人間的成長に着目したい。受験教育はあくまで手段であり、それ自体が目的ではない。

 それが私の「受験教育が大嫌い人間がなぜ受験塾をやるのか?」の答えだ。

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