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ぶどう畑の、砂の人

ロングになるのが待てなくていますぐ三つ編みをしたら毛が硬すぎて綱のたわしみたいになった。首に刺さって痛かった。

きょうはチャリで走った。きのうもチャリで走った。スマホのスピーカーからCoccoを流して走っていたら、自分は子どものころ見たあの謎の大人のひとりになってしまったんだなあと気づいて、でもすこし清々しい気持ちになった。
土日、どちらもドラム缶の見張りをした。誰かのドラム缶はすこしずつぼろぼろな感じになっていく。人のものが、金属が、雨ざらしで朽ちていくのを見張るのはなんだかくせになるものがある。なんといってもかっこいい見た目をしているから、そのドラム缶は見応えがある。でも実際は自分の勝手な感想だから、あまりかっこいいとかはドラム缶側には押しつけないようにして写真をとったらいつもすぐその場を立ち去る。ドラム缶に向けては、自分なりのマナがある。そんなふうに人のことも考えられたらいいのかなあとか思うけれど、あまりうまくいかない。気を抜くとこの世にはたくさんの人が居ることを忘れてしまう。2、3人のひととしか仲良くできないし、それ以外の人のことは顔もろくに覚えられなくて、名前もその2、3人のうちの誰かの名前で呼んでしまいそうになる。

ソウシキドリについて。白と黒のでかい鳥。パパが10年前くらいにつけた名前でわたしはその名前を気に入ってずっとそう呼んでいたのに、この前パパにソウシキドリのはなしをしたら、なんやそれ、と言われた。それからケリについて。ある方が送ってくれた写真にかなりかわいい鳥が写っていたから名前を知りたくて、検索して知った。でも自分はやっぱり鳥でも名前を覚えるのが苦手だから、堂本剛のエンドリケリの最後2文字として覚えることにした。ケリの名を思い出す時はファンタスティポも思い出すなとかおもっていたけど、調べたらそれはトラジ・ハイジだった。いまはソメイヨシノを聴いている。初めて聴いた。

あいかわらず死にたくなることがたまにあるから、なんとかフライパンのなかの水を飛ばすみたいにして、ころころと逃しながらやっていけたらいいなとおもうしそうするしかない。人生を終わらせるべきタイミングは何度もあったけれど、それでもなんでか知らないが生きている。頭がしにたがっているのに、手が執念で地球にしがみついている。ばらばらの自分のあいだで消耗しているのはほんとうにばからしいと思うけれどそれでもやっていくしかない。だから、検査をうけたり、手帳を取ったり、勉強をしたりしてなんとか前だか横だか分からないが進もうとしてがんばっている。それから好きなこととして、絵を描いたり文を書いたりしてストレスを発散する。絵を描くのはとくに、自分のやったことが目に見えるからおもしろい。むかしは音楽の演奏とか、砂に絵を描いたりとかその場で消えてなくなってしまうものが好きだったけれど、年を取ったらすこしずつ残るものを作るのが好きになった。自分が居るのがはずかしい、と思っていたのがなくなってきたのかもしれない。人生はかなり短いし自分の体こそ風に吹かれて飛んでいく砂のようなものだと気づいたのも大きい。

ものすごく月並みなことで、自分がひとに嫉妬することがらというのは本当は自分がやりたかったこと、みたいな話があって自分はあまりひとに関心がない方だけれどそれでも嫉妬することはたまにある。これまで起こった嫉妬は、絵を描いたり文を書いたり、走ったりすることでかなりなくなった。そしてよく考えてみると、いま残っている嫉妬はすべてお金で解決しなければならない類のこと。身なりを綺麗にしたり、パソコンを買ったり英語を習ったり、そういう感じのやつ。だからその嫉妬の話が正しいとすると、自分はいまお金がほしいみたい。でも無職で、社会はむずかしく自分はかなりぎこちない。しかもお金がなくて子供部屋おばさんになっている。とても哀しい、でも人間は考えるらしくて自分のこころもつぎつぎと変わるはずだから、きっとぶどう畑にいるみたいな気持ちでひとつずつ、お金じゃなくてもそこらへんのぶどうなどを収穫しながら過ごしていけたらいいなとおもう。

✴︎  自分ができることだけしかできない

2024/01/30

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