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最善は善の敵である

数学の授業で、問題を解く場面の時、
「わかるから解く」
「ちゃんとはわからないけどやってみる」
「ちゃんとわからないからやらない」
に分かれるな〜と思います。

私は、「とにかく正解できても、できなくてもやってみよう。やればどこでつまづくかがわかる」と言います。始めから何していいかわからずつまづく子もいますが、それはそれで「取りかかり方がわからない」ということもわかりますしね。

「もう全部わからない」っていう子もいますが、大体その子はやっていません。間違いが怖い子です。正解不正解の問題ばかりさせて、間違うことが悪いことと教えすぎたのかもしれません。
私はここ2年間ほど、生徒の採点の時に「×」をかかないようにしています(定期テストなどは書きます)
×が嫌で解かないって子、いる気もするんですよね。

フロリダ大学のジュリュー・ユルジュマン教授は、フィルム写真のクラスの学生をふたつのグループに分けました。
半分は全員「量」のグループ。評価は各学生が提出した写真の枚数の総計で行われる。
半分は全員「質」のグループ。作品は1枚でいいが、ほぼ完璧な写真でなければならない。
どっちもいいものができそうな気はしますが、素晴らしい写真を提出したのはすべて「量」のグループの作品だったそうです。数百枚の写真を作成する中で、合成や光の工夫、暗室での様々な手法などを学んだり、失敗から学んだりと技術が磨かれていいた。「質」のグループは完璧さについて考えたりもしたが、信憑性のない理論と平凡な写真ができたそうな。

「最善は善の敵である」
最も良い方法を考えるまで、行動しないをしてはいけない。
面談で「効率の良い学習」や「勉強の仕方がわからない」と悩んでいる生徒や保護者がいるが、まさに最善を考えて進まない状態だと思う。まあ、まず行動することですね。

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