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2歳児の甥っ子に忖度クリスマスプレゼントをあげてみたら、残念な結果になった

子どもの頃、クリスマスをなんとも言えない気持ちでぼくは待っていた。

サンタさんが自分の欲しいプレゼントを持ってきてくれるか?本当にわからなかったからである。

たとえるなら、既婚者と不倫していて、彼に振り向いてもらえるか、それとも裏切られるのか?

小学生のぼくにとって、奥さんのいる彼氏に振り回されるメンヘラ不倫女子の気持ちになるイベントであった。

話は幼稚園にさかのぼる。

今から30年前のクリスマス。5歳児だったぼくは、朝起きると飛び上がって喜んだ。

なぜなら自分の枕元に自分のお願いしていたプレゼントのロボットが置いてあったからだ。

『伝説の勇者 ダ•ガーン シャトルセイバー』

という自分の頼んだオモチャを、サンタさんが持ってきてくれたことに狂喜した。

包装紙にくるまれたどデカい箱があった喜びを、今でも鮮明に思い出せる。

これで冬休み明けの幼稚園でも、みんなのクリスマスプレゼントの話題に入れるぞ。

そういう気持ちもあった。

そう!子どもにとってクリスマスプレゼントとは、頼んだおもちゃを親に買ってもらうイベントではない。

冬休み明けに、友達とクリスマスプレゼントの話題を合わせられるかの「一大社交イベント」なのだ。

イケてる子どもとは、流行のおもちゃをたくさん持っている子。

イケてない子どもとは、流行のおもちゃを全く持っておらず、クラスメイトの話題に入れない子である。

30年前の5歳児だったぼくは、おもちゃも欲しかった。けれど、友達との話題に入れる嬉しさもあって喜んだのだと思う。

しかし、小学生に上がると、ぼくは自分の家のクリスマスプレゼントに絶望した。

あれは12月に大ばあちゃん(曾祖母)が亡くなった小学2年生の時である。

新潟生まれのうちの母親にとって、おばあちゃんにあたる人物だ。

12月の横浜から新潟への急な帰省。巨額の交通費の出費。おまけにぼくの父親は単身赴任中だ。

子どもを4人も抱えて、母親は全くクリスマスプレゼントの準備ができなかったらしい。

しかし、母親(うちのサンタクロース)は、なんとかしてプレゼントを用意した。

12月25日の朝5時。ぼくは目を覚ました。

なんだろう!今年のサンタさんのプレゼントは?

頼んだスーパーファミコン本体とソフトかな!?

楽しみで仕方ないぼくは目を覚ましたが、枕元に置いてあるのは目の疑うようなプレゼントだった。

自分の顔はゆうにある本のサイズだ。

それが新聞紙で包まれてる。

その時点で、ぼくは頼んでいたスーパーファミコンとソフトでないことを悟った。

スーパーファミコン本体なら本のサイズよりもっと大きいし、ソフトなら小さい。

おまけに包まれてる新聞紙の上に、マジックで何かメッセージが書かれている。

おい!サンタさん!字の上に字を書くな!読みにくいだろ!!

もうこの時点で散々なクリスマスプレゼントに涙が出そうだったが、手紙の内容はもっと悲しいものだった。

いわく、「今年は大ばあちゃんが亡くなって残念だったね。でもカズヒロくん、がんばってね」的なことが書いてあったのだ。

なぜ外国から来るサンタクロースが、ウチの家庭事情を知ってるんだ?

しかも母親の字である。

この時に小学2年生のぼくは、サンタクロースなんて、この世にいないことを悟った。

涙ぐむぼく。

だけど、このプレゼントは一体なんだろう?

新聞紙の包み紙を破ると、そこから出てきたのは季節外れのヒマワリの写真だった。

写真の上にデカデカと、『植物図鑑』と書いてある。

絶望の絶頂である。

誰がこんなもの欲しいと言った?冬休み明けの友達との会話で、ぼくは何を話せばいいんだ。もうこれでは来年のプレゼントも期待できない。

弟は!?一個下の弟のプレゼントは一体なんだ!?

ぼくは二段ベットの下で寝ている弟を起こして、同じ新聞紙にくるまれたプレゼントを持たせた。

寝ぼけた弟が包み紙を破る。

出てきた。本の灰色のつぶらな瞳をしたゾウと目が合う。

『動物図鑑』

と、そこには書いてあった。

その後もうちのクリスマスはすごかった。

ぼくが小学3年生の時は、スーパーファミコンソフトの『ぷよぷよ通』

弟と一緒のプレゼントだったのは納得いかないが、自分たちの頼んだものが来て大喜び。

しかし、小学4年生の時は、再び絶望のどん底に突き落とされる。

ゲームボーイソフトを頼んだのに、もらったものはパジャマとプラモデル。そして前日の日にやりすぎて母親に取り上げられたスーパーファミコン一式が置いてあった。

母親とサンタクロースが違う人物という設定なら、サンタクロースは泥棒である。


なぜサンタさんは、子どもの気持ちをくんでくれないのか?


長年の疑問だったのだが、最近ぼくも立場が変わり、ようやくわかった。

ここ数年のことだ。2年前に妹が出産し、ぼくにも甥っ子ができた。

うちの妹はおねだり上手。ぼくに、公文(くもん)が出してる子ども用のパズルがほしいとリクエストしてきた。

というわけでAmazonで買って届けに行くと、まあ2歳児の甥っ子が喜んでくれる。

甥っ子にとって、開けるシーンからワクワクしており、パズルが出てきた時は大喜びであった。

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妹にプレゼントを渡すシーンの動画を撮ってもらい、おじさんも見返せる思い出の動画に満足である。

ではクリスマスもプレゼントを渡そう。

味を占めたおじさん(ぼく)はそう思った。

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【今回買ったおさるのジョージの服と手袋】

そこで今度も妹に甥っ子の欲しいプレゼントを聞いたが、今度はおさるのジョージの服と手袋であった。

嫌な予感がする。それは妹が欲しいプレゼントではないのか?

たとえ自分の好きなキャラクターが入っていても、子どもの頃に服で喜んだ覚えがぼくにはない。

しかし、まだ甥っ子は2歳児である。好きなキャラクターが入った服と手袋でも喜ぶかもしれない。

わずかな可能性に賭けて、ぼくはクリスマスイブの前日、実家を訪れた甥っ子にプレゼントを渡してみた。

……すると、開けた瞬間は喜んでいたが、彼はすぐにプレゼントから離れた。そして実家に飾ってあったガンダムのプラモデルで遊び始めたのであった。


そっか。おじさん、3,000円出して服と手袋を買ったんだけど、この前の1,500円のパズルのほうがよかったんだね……。


ぼくは、彼の母親(うちの妹)に忖度したことを後悔した。

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【ガンダムのプラモデルに興味津々の2歳児】

やはり一緒だ。小学生のぼくと同じように、2歳児でも自分の欲しいプレゼントが欲しいのだ。

あの頃の自分の母親や今の妹の気持ちもわかる。たしかに服も重要だ。

けれど、やはりサンタさんに裏切られた身として、甥っ子の好きなものをぼくは買ってあげたい。

狙ったわけではないが、(うちの妹への)忖度クリスマス2021を開催してしまったぼくは、久しぶりにそう思ったのであった。


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