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尽くすとは

考えてみれば私の周りには「尽くす」人が多い。しかし、その方法は多様である。みんなが同じ方法に固執しているわけではない。

ただ、その多くが誰かのために何かしらの「尽力」していることは間違いない。

考えてみれば中国で生きていくうえでこの概念が非常に大事だと分かる。今回は一番分かる方法として私の立場を考えてみたい。

日本語教師として学生に聞かれることがあるのは、想像に難くない。ただし、それが突然であることが多い。いわく、明日までにこの文章を修正してくれうんぬんである。

これを中国の人は「尊敬」という表現で表すことが多い。いわく、先生は偉大なのだから尊敬しなければならないという態度だ。その結果、学生は先生に聞こうとせず、自分だけで解決しようとする。

そのしわ寄せが先生の負担である。日本語で修正をしようとしてもどうしても修正できない部分を見て、自然と息を漏らしてしまう。

学生のなかで「尽くせる」学生は少ない。私たちの周りも同じであろう。私はそれに見合った尽くしができるだろうか。

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