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マラソンを走って

先日マラソンを走ってきた。
マラソンとなると一大イベントである。周りの雰囲気、ホテル、お客、街の様子、そこが少しずつマラソン仕様になっていくのが面白い。

開始前には同じようなバッグを持った人たちが、歩きながら会場に向かう。そこに目的意識があるから、みんな同じ格好のようで、しかも無言で歩く。中国のマラソンに参加したことがあるから、分かるのだが違いは大きい。

中国のマラソンに参加するときは周りから声をかけてきたり、お互いに話していたり、いろいろ興奮しているのが伝わってきた。日本では歩く最中は少し静かなのかもしれない。

会場においても、どうみても街の道路で待機という今回の大会に比べて、中国では大きな会場で司会者が最初からスタートまで盛り上げている。まるでクラブのようだと考えていただけると分かりやすい。

どちらが良いとか悪いとかを論じたいわけではない。これがマラソンの楽しみの一つであるということである。どのマラソンにも特徴があり、それを味わいながら完走を目指すのが面白い。

今回は以前よりもペースを上げて挑戦してみた。どれだけの距離をこのペースで走ることができるのか、未知の領域の挑戦であった。結果として、ハーフぐらいで太ももが限界を迎え、動かすことができなくなった。太ももが筋肉痛で走れなくなるという体験は初めてで、こんな感じになるのかと思った。たしかに、以前のマラソンでも太ももが重くなったことはあったが、筋肉痛で走れなくなるほどではなかった。自分の実力不足を感じた。

こうなると、歩くしかなくなるのだが、途中棄権は避けたい。故障でもないので、歩くことはできる。結局7kmぐらいを歩き、最後の数キロだけはなんとか走って完走することができた。4時間半以上をかけてマラソンをするというのは、人生3回目であり、結果は良くなかった。

ただ、挑戦してダメだった。完走できた。という良い要素もあることを見つけるべきであろう。「失敗だった」残念でした。というのならば、そこで終わりである。今回は記録更新は最初から難しく、自分としてもペースを上げて参加したかったので、目標は達成できたわけである。しかも、ケガなく、完走できればそれで良いのだ。

満足度とは自分のさじ加減で決まる。高すぎる目標は身を滅ぼし、低い目標だと満足しない。という錯覚に陥っている。完走してケガがなければ、次を走れば良いだけのこと。3月もマラソンを走って、さらに前を向いていきたい。

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