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母の目線の先には、何が見えるのだろう

この一年、実家に帰るたびに感じることがあった。それは、母が少しずつ小さくなっていることだ。

ファンタジー小説めいたことではなく、感覚的な問題。もっと正確に言うならば、母の存在感がちいさく、薄くなっていくように感じられる。

実物の母は少しやせたことと、ひどい猫背で背中が曲がっているためか背が低くなっている。体つきがひとまわりくらい、小さくなったように感じることも一因だろうか。

母自身、身体のあちこちに問題は出てきている。けれど、でも美味しいおやつが食べたいというし、庭に来る子猫にだって夢中だ。

今年の二月に父が亡くなってから、母の暮らしは少し変わってしまった。昨年は入退院を繰り返していた父のお見舞いやら、なんやらで動き回っていた。しかし、あっという間に父はいなくなってしまったため、母はどうにも気持ちの整理がつかないように思う。もっともそれは、通院に付き添っていた姉もそうだし、離れて暮らしているわたしですらそうだ。

もっと別の治療をしていれば、みたいな後悔はそれほどない。父自身が治療することとしないことを決めていたし、家族だからといって、父の決断は変えられなかった。現代治療では、治癒できる肝炎がおおもとの原因だったのに、父は治療しないと決めていた。それは楽観的な決断だったのか、悲観的な決断だったのかは、思い返しても分からない。


母は、父と結婚してからずっと専業主婦だったし、父と、子供たちの暮らしを支えることに邁進していた。何もかもが完璧、という訳ではなかった。けれど、家の周りのこと全般を母はやってくれていたし、いまだってそれは変わりない。

ただ、母は父との暮らしに重きを置いていた。父とけんかするようなこともあったし、酒癖の悪い父に辟易してい。けれど、そういうのは夫婦ならば何かしらはある。そんな夫婦だって。

幼いころにはそれほど感じることもなかったけれど、わたし自身結婚してみると、父と母は仲が良いほうだとも思えた。父はワンマン主義というか家族であろうとも他人の意見は聞き入れない、というタイプだった。母の意見にも耳を貸さないことが多かったけれど、それでも二人はそれなりに仲が良さそうだった。恋人同士とは言えないが、暮らしのパートナー、という感じだろうか。

そのパートナーを失った母は、精神的に少しずつ弱ってきているように感じる。普通に話す分には、それほど感じない。けれど、これから先の暮らしに関する決断をするとき、母はもう自分がいない未来を想定して話していることがある。無意識的なことかもしれない。でも、無意識的に自分がいない未来について話しているなんて、それは自分の死を迎え入れているからだろうか。

仲が良い夫婦は、一方がなくなると、もう一人も後を追うように亡くなってしまうことがあると聞く。それは当人にとっては幸せなことなのだろうか。いまの暮らしの中で、楽しみがないわけじゃないはずなのに。母の目線の先には何が映っているのか、わたしには分からない。






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