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子どもらしくふるまおうと決めた日

「ひろちゃん、抹茶アイスあるで。追加してもらうか?」

「うん! 抹茶アイス食べたいーー!!!」

わたしはさも楽しそうに「抹茶アイス食べたい」と振る舞った。

けれど、それは「この場で、わたしは子どもらしく、いかにも『子ども』を演じなくっちゃいけない。それが、わたしの役割である」と、考えていたからだ。多分、小学三年生くらいの話だ。

父方の大叔父が主催する法事によばれ、父と母、姉とわたしの四人で、奈良県にあるどこだかのお寺にいった記憶がある。大叔父は、祖母の兄だか弟だかで、みんなからあまり好かれていなかった。

好かれていない理由はいくつも考えられるし、わたしの父も大叔父(父にとっては叔父)のことが苦手だった。

何かの機会に大叔父に会った時に、「キミたちの得意科目はなにかね?」と聞かれ、わたしと姉は二人とも、しどろもどろに「理科と社会です」と答えたことを覚えている。

法事が終わったあとに、ホテルに移動して、法事の後のお食事会のようなものが開かれた。大叔父は猿沢池が見えるホテルだか旅館についてのうんちくをダラダラとたれていて、その場にいるみんながうんざりしていた。

みんな生返事で、取り立てて楽しい話題もない。少しずつ運ばれてくる懐石料理も、子どものわたしにとって、美味しいとか美味しくないといった判断ができるようなものでもなかった。小鮎だかわかさぎの甘露煮を、ちまちま食べて「はやく帰りたい」とばかり考えていた。隣に座っている姉も、ずうっとムッとした顔をしていて、不機嫌オーラが全開だった。ただ、よそよそしい会話を続ける大人たちにとって、小学生くらいの子供の不機嫌さなんかにかまけている余裕もなさそうだった。

大人たちの会話はよくわからないし、姉はずうっと不機嫌だ。母も、適当に相づちを打つばかりだし、父は無理やり会話を引き出しながら、ずっとお酒を飲んでいた。

食事も終わりにさしかかり、大叔父が「子どもらにはこんな料理では足りひんかったんと違うか?」と、姉とわたしに話しかけてきた。姉は料理そのものを残していたし、適当に首を振っていた。ここで、わたしは、なんといったらいいのだろう? なんと答えるのが、正解だろうか?

父が、何やらメニューを見て「抹茶アイスがあるで」と言い、「ひろちゃん、抹茶アイス追加してもらうか?」と問いかけてきた。

別に抹茶アイスを食べたいわけでもなかった。美味しいとも、美味しくないともわからない会席料理を食べ終え、一刻も早く帰りたかった。けれど「帰りたい」といってはいけないことだけは、雰囲気だけでわかっていた。

わたしはここで、とても子どもらしく振る舞うことが正解なんだろう。

「うん! 抹茶アイス食べたいーー!!!」そうして、ニコニコと、嬉しそうな顔を見せた。抹茶アイスは、わたしと、姉と、母の分も追加注文されていた。

抹茶アイスを食べたいと、頼んだけれど。その抹茶アイスの味も、まったく覚えていない。ただ、わたしはわたしの役割を果たせただろうか? ということがとても心配だったことだけを鮮明に覚えている。


先日、この時の思い出話を実家でした時、姉も「さっさと帰りたかった。ただそれしか覚えていない」といっていた。母は「気まずい集まりやったなあ」と苦笑いしていた。わたしが「抹茶アイスを食べたいふりをして、わざとはしゃいだ」話をすると、母は神妙な顔をして「大叔父さんは、子どもがいなかったし、もちろん孫もいなかったからな。あの会食は、大叔父さんの理想やったんやろうね」と話していた。父と、おじさんが、大叔父さんの子供の役割で、わたしは大叔父さんの孫としての配役を与えられていたのだ。

抹茶アイスを食べたい素ぶりは、即興の演技としては正解だったのだろう。

ただ、子どもながらに「子どもらしく演じなければ」と考えた記憶だけが、今でも強く残っている。


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