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何気ないひとことで

「あなたに聞いてるんじゃないの、口をはさまないで」
幼稚園の年長クラスにいた時に、先生に言われた一言が、今でもずっと心に引っかかっている。
教室で、お絵かきだか何かをしていたとき。
私の左隣に座っていたサオリちゃんが、私の左ななめ前に座っていたノリコちゃんに、いじわるな言葉を投げつけて、ノリコちゃんを泣かせてしまった。

ノリコちゃんは、しゃくりあげ、大号泣した。慌てて先生が駆け付けてきて、サオリちゃんとノリコちゃんに話を聞こうとしていた。サオリちゃんは、多分「悪いことをしてしまった」という罪悪感と、「私だけが悪いんじゃないもん」というふたつの気持ちがあったのだろう。先生に、何があったの? と聞かれても、ムウっと口を尖らせて、黙り込んでしまっていた。
一方の、ノリコちゃんも、堰を切ったように涙が止まらず、もうずっと泣いていた。普段は、全然泣き虫でもなくて、いつもニコニコしていて、滅多なことでは泣かなかった。いじめられっ子でもなくて、どちらかといえば人気者だった。
先生は、困りながらも二人を交互に見て、「ふたりとも、何か言わなきゃわかんないでしょ?」と、ふたりからの発言を待っていた。

そのときに、私はつい「先生、あのね、サオリちゃんがね……」と、話し出した。一部始終を見ていた私は、なぜ、こんなことになっているのか言った方が良いかも知れない、と思ったからだ。もしかしたら、私が言わなければ、ノリコちゃんの隣(私の前の席)に座っていたゆきこちゃんが言い出していたかも知れない。なぜなら、私とゆきこちゃんは、チラチラとふたりで目配せして「この状況を打破したほうがいいのかな?」と、お互い不安に感じていたのだ。もちろん当時は、それほど小難しいことは考えてなくて、知ってることは言ったほうが良いのかな? という程度の気持ちだったようにも思う。

私が、ひとこと切り出したときに、先生は厳しい口調で、ぴしゃりと言い放った。
「あなたに聞いてるんじゃないの。口をはさまないで」と。
私はショックだった。
誰も、何も言わないのなら、何か言った方が良いのかな? と思ったのに。
なんとなく、怒られてしまったような気持ちになってしまい、私まで泣きそうになった。
けれど、ここで泣くのは悔しいと思って、ぐっと堪えたのだけれど。ゆきこちゃんも、私と一緒に怒られたような気持ちになったのか、下を向いてしまっていた。

その場では収拾がつかず、その日の帰りの会のあとに、サオリちゃんとノリコちゃんだけが先生の元に呼ばれて、話し合うことになった。

ふたりは、上辺だけかも知れないけれど、仲直りをしたらしく、次の日に「なぜノリコちゃんが泣いてしまったのか?」などの話がされることもなかった。
ただ、私の心には、あの先生が厳しく言い放った一言が矢のように刺さっていた。それは、未だに思い出してしまう。グジュグジュと化膿して、痛み続けている。

なぜ先生は、あれほど厳しい口調で言ったのだろう? ふたりのうち、どちらかに偏った意見を言うと思われたのだろうか? それとも、私は部外者なのだから、余計な口は挟むな! ということだったのかもしれない。
どういった真意があったのかは、分からないけれど、あの先生の一言をふと、思い出しては悲しい気持ちになることがある。

誰かの何気ない一言で傷ついたり。私が発した言葉でも、誰かの心を傷つけてしまっている。ひどい場合には、気が付いていないこともあるだろう。「あのとき、なんであんなこと言ってしまったのかな?」と自分の発した言葉にすら傷ついたりもする。

だけど、逆に。
ほんのちょっとした一言で、勇気付けられることもある。その一言は、だれか、身近な人に言ってもらったものじゃなくてもいい。偶然耳にした歌詞だったり、何気なく読んでいた本の一文、ということさえある。
いろいろな言葉に傷ついたり、傷つけられたり。励ましたり、励ませられたり。
同じ一言であっても、とらえる人の心ひとつで、変わってしまうこともあるだろう。

心に刺さる言葉というのは、悪いものばかりでもないし、良いものばかりでもない。こうして色々と言葉で表現するのは、難しいことだと改めて感じる。正解が何か、なんて決まっていないからこそ、難しいけれど楽しくもあるのだろう。

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