見出し画像

非日常に慣れたくない

「日常の中の非日常を演出して」という文脈をときどき見かける。けれど、演出としてではなく、突然転がり込んでくる非日常に対しては困惑するしかない。

いまはもう撤去されているのだけれど、会社近くの空き地に仏壇がおかれていたことがある。

普段通らない道だったので、いつから置かれていたのかは分からない。野ざらしの状態で置かれている仏壇は、気味が悪く、非日常にほかならない。

気味が悪いとはいえ、通り過ぎるたびにみていると、仏壇がおかれていることへの違和感が和らいでくる。「あー、まだ置いてある。雨降るけど大丈夫?」くらいの感覚で、やや日常寄りに変化していく気持ちもあった。

空き地に野ざらしで置かれていた仏壇は、なぜ放置されていたのかは分からない。誰かがお参りしている様子もなかったし、質問する相手もいなかった。

しかし、その空き地と思われていた場所は、なにか建設予定があるらしい。工事に必要そうな資材なんかが運び込まれはじめた。おそらく仏壇は、その工事に対して不満がある人が嫌がらせ目的で置いていたのだろう。土地の権利争いとか、そういったことかもしれない。空き地、という認識だったけれど、その場所には以前は一軒家があった、おぼろげな記憶がある。

工事が進むにつれて、いつのまにか仏壇は撤去されていた。置かれていたときは存在感を放っていたのに、撤去されてしまえば、元からそこには何もなかったようにしか思えない。いつの間にか日常がもどってきていた。

もうひとつ、日常の中に非日常が転がり込んできた事例がある。

ランチタイムのカフェで、忙しく仕事をしているところ、突然火災警報器が鳴り出した。カフェはマンションの一階に位置しているのだけれど、マンション全体の火災警報器が鳴り続けていた。

目覚まし時計の親分みたいな「ジリリリリリリリリ……」と大音量で鳴り続けているけれど、自分たちでその音を止めるすべがない。管理会社に電話して、止めに来てもらうしかない。

カフェには何組かのお客様がいたのだけれど、みんな「え? なに? うるさいけど大丈夫なの?」くらいの対応で、特に慌てている人はいない。おそらく、キッチンにいたわたしが一番慌てていた。ガス漏れ探知機は「ピ!」ともなんとも音を立てていないので、うちの店が原因ではなさそうだ。けれど、何が起きているか分からないからコンロの火を止めておいたほうがいいだろうと、判断しつつお客様のドリンクをつくったりしていた。

5分くらいは大音量で「ジリリリリリリリリ……」となり続けているのに、お客様たちは普通に食事をしたり、おしゃべりしている。来店され、食事の注文をされた方もいた。

めちゃくちゃうるさいのに、普段通りに過ごしているお客様たちが不思議だった。上の階で火事は起きてないと思うけど……。

火災報知機が鳴ったのは、他の階での誤作動が原因だと管理会社の人から告げられた。ただ、誤作動が生じた原因自体ははっきりしていないので後日、消防の立会検査もふくめ、調査すると説明を受けた。

カフェの中にはほっとした空気が一瞬流れたけれど、また何事もなかったように、皆さん食事をされたり、おしゃべりを続けていた。

日常の中に非日常を演出しても、おそらくすぐに「非日常感」はなくなってしまうだろう。演出してない突発的な非日常ですら、受け入れて、何事もないように過ごしてしまうのだから。

ただ、転がり込んでくる非日常に慣れ過ぎてしまうと、それはいつのまにか日常になってしまって、もう後戻りできなくなる。

火災報知機が鳴り続けていても、玄関を開けたら仏壇が並んでいても、何も感じない日がやってくるかもしれない。



最後まで読んでいただきまして、ありがとうござます。 スキやフォローしてくださると、とてもうれしいです。