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ほんの小さな心配事でも、心はひどく疲弊する

人に言うと「なんでそんなことで悩んでの?」と笑い飛ばされてしまいそうな悩みがある。

本当にささいな事。冷蔵庫に寝そべっている牛乳の賞味期限が、明日で切れる。でも、まだ開封したばかりで600mlは残っている牛乳と、まだ開封してもおらず、ストックとして買ったものの手つかずの牛乳1リットル。ああ、どうしよう、とか。そのくらいのレベル。

1日で牛乳を2リットル消費するお家ならば「そんなの、悩みでもなんでもないでしょ?」と笑われるだけかも知れない。

また、お料理上手の人がおうちにいる場合。「よぉし。牛乳で作るミルクプリンと、クラムチャウダーを作っちゃおう!」といった具合で、牛乳はあっという間に料理に変身してしまうだろう。でもこれは、食べてくれる人がいる前提の話。一人暮らしだった場合、保存をうまくしないと、食べきれずに悩んでしまう、という分かれ道も出てくる。

飲みきれず、料理にも使いこなせそうにないまま、「ああ、期限が切れてしまう。1日か2日程度なら飲めなくもないだろうけれど……」と、捨てることにも踏ん切りを付けられない人にとっては、ちょっとした悩みの種になる。

牛乳1リットルの悩みでも、いろんなバージョンがある。

「そんなくだらない事で悩むんじゃない」と、励ますのは簡単だけれど、励まされたとしても「自分にとってはくだらなくないのに」と余計にしょんぼりしてしまうこともありうる。

お悩み相談が一つのコンテンツとして、もうずっと続いているのは、人によって欲しい回答が違っているから。100個のお悩みがあれば100通りの回答がある。場合によっては、100通り以上。人の悩みは尽きないものだ。

いま、わたしはかなり小さな悩み事をたくさん抱えている。自分の身に関係することじゃない悩みも含めて。

ひとつ悩んでいることを挙げてみる。

今年度に入り、町内会の理事をしている。その役割にまつわる悩みがある。最近では、ゴミの不法投棄。わたしが担当している区域で、ゴミの不法投棄があった。風呂のふた、とか布団とかそのレベルなのだけれど。ただ、そのゴミは無料で回収されるものではない。

うちの町内会は、わりと性善説に則っている。「捨てた人は、きっと有料だと知らずに捨てたんだよ。捨てた人はきっとそのゴミ捨て場の前を通る。そうしたら『あ、ゴミは持っていってもらっていない。ひきとらなきゃ』となるから、持って帰ってもらいましょう」

こういう理論がまかり通っている。まあ、普通といえば普通だし、不法投棄ではない、という前提。だけれど、今回の場合、明らかにゴミを出す設定をされていない曜日に、捨てられていた。不法投棄だという確信犯の可能性が高い。

ただ、「一週間くらいはそのままにして、持って帰ってもらう」ということになっているのだけれど、果たしてどうなるだろう……? という、かなりくだらない悩みに頭を抱えている。

有料ゴミを引き取って処理した場合、「あ、あそこに捨てとけば誰かがお金を払って処理してくれるんだ」と、不法投棄の主がそう思うかも知れない。それは困る。かと言って、ずうっとそのゴミ捨て場付近を監視しておくわけにもいかない。

たいした悩みもなくて、自分でもバカバカしい。けれどその近くを通るたびに「あ、まだ引き取ってもらってない」「まだ置いてある……」と憂鬱な気分になる。

小さいけれど、確実に悩んでいることが増えてくると、どうしても気持ちが重くなり、あらゆる判断が鈍くなってしまう。ひとつのことにウジウジと囚われてしまって、悩み事に支配されてしまう。

誰しも、多かれ少なかれ、大小の差はあれど、悩みを抱えているはずだ。けれど、抱えている分量が増えてしまうと、心が疲れてしまって、悩みに押し潰されそうになる。その容量が増えていくと、今度は悩みこそが人生になり、その人の暮らしを支配してしまう。

ここ数日、悩みに支配されているような気分になり、こうして吐き出してみた。
支配されている、というより、どうやら疲弊しているみたいだ。今のところは。





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