手に取ることもできなかった
1月4日のほぼ日「今日のダーリン」に書かれていた糸井重里さんの言葉。
買えないものがあることって、すごく大事な気がする。
じぶんのものにはなってくれない、すばらしいもの。
それが与えてくれるものって、すっごく大きいんです。(一部抜粋引用)
わたしにとって、何がこれにあたるだろう? としばし思いを巡らせた。
いくつか思い当たるものがあるけれど、そのひとつに「マンガ」がある。
今でこそ、マンガも小説も好きなように買い求めている。けれど、小学生のころは違っていた。
マンガは買ってはいけない。我が家のルールでは、そう決められていた。なぜこのルールが適用されていたのか、はっきりとは覚えていない。けれど、確か父が「マンガは何の勉強にもならない。娯楽というよりムダなもの」と言って、買うのを禁止されていた。いくつかあったマンガの本は「サザエさん」が四コマ漫画のと、ストーリー仕立てになっているもの。(サザエさんがパートに出る話とか、町内で歌舞伎? をやろうとしている話など)この二冊。
他には親戚の誰かがお正月にくれた「マンガで読むことわざ辞典」。何のタイミングだったか覚えていないけれど一冊だけ買ってもいいと言われて買い求めた「のんきくん」というマンガ。1巻じゃなくて3巻。1冊だけ買ってもらったので、繰り返し何度も読んだマンガ。内容は、三年寝太郎の現代バージョン、みたいなところだろうか。なぜこの本を買うことにしたのかは、全然記憶にない。
「マンガを読みたい」と思ったらサザエさんか、ことわざか、のんきくんしかない、というすごく偏ったコミックライフだった。
小説は好きなだけ購入できる、という訳でもなかった。けれど、まだ「購入の選択権」は認められていた。時々コミックのコーナーは立ち寄ってみるけれど、買うことはできないから、棚に並んでいる背表紙をちらりと眺めるだけで立ち去っていた。買えないから、その場に立ち入ることすら許されないんだと、なんだか悲しくなっていたことを覚えている。
姉が中学生になると、友人からマンガを借りてきたり、少しずつ購入してもいいという風潮が我が家にも流れてきた。購入自体は認めてもらっていなかったけれど、借りて読む分のは良かった。また、中学生まではお小遣いをもらっていなかった。子供がお金を持ってウロウロするのは物騒だ、という両親の考えだった。
今でこそ好きなマンガを見かけらた迷わず購入する。だけど、今でも書店でマンガ本を手に取るとき、ちょっとした高揚感に包まれる。好きなマンガの新刊が出てるとか、面白いって聞いたからまとめてかってみようとか。買い求めた後は、家まで我慢できなくて書店近くのカフェで読んだり、帰りの電車の中で読み始めてしまうこともある。小説の場合は腰を据えてじっくり読みたいので家に帰るまではページをめくらないことが多いのだけれど。
マンガ本を「手に入らなかったもの」というには大袈裟かもしれない。けれども、幼い頃のわたしにとっては、どうしようもなく焦がれるものだった。
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