どんな気持ちで、あの絵を描いてもらったのだろう。
「あの絵、ぜんぜん似てないわ。なんであんな絵飾ってるの?」
義理の祖父のお葬式のとき、ご近所のおばあさんが大きな声でなんども言っていた言葉だった。
確かに、みんな思っていることだったけれど、その場では口に出してはいけないように感じていて、みんな不思議そうに見つめながらも、おばあさんのようには言えなかった。
義理の祖父は、自分の似顔絵を遺影として使いたいと希望した。亡くなる二十年前くらいから、遺影のための似顔絵を描いてもらっていたのだという。
「お祖父さん、結構こだわっていて、気に入らん! って怒りながら何回も絵描きさんの所に通ってた記憶がある」と夫は言っていた。
確かに、わたしが知っている義理の祖父の顔とはずいぶん違っていた。二十年も前に描いてもらったんだから、ちょっと若く描いてもらったのかなという気もするけれど、夫いわく「ちょっとかっこよく描いてもらいたかったんだろうね」と言っていた。
自分の遺影を準備する、というのはどういう気持ちなんだろう。自分の死を考えることはあっても、遺影まで自分で準備することに対して、わたしにはあんまり理解できずにいた。
しかし、先日放送された幡野広志さんの番組で、糸井さんも「もう、遺影を決めている」とお話しされていた。手を振っている写真を、遺影にするんだと。死に対する幡野さんの葛藤について「手をふればいい」と、かんたんな言葉で、けれども、心の深く突き刺さるようなことをお話しされていた。
義理の祖父も、手をふる日のことを考えていたのだろうか? 何を考えて、遺影用の似顔絵を準備していたのかは、やっぱりわからないままだ。
先日、父がお風呂場で意識を失い、救急車で運ばれたという連絡があった。検査の結果、いよいよ肝臓が機能しなくなりつつあるようで、もう治療できるような方法も残されていないらしい。これまで飲んでいたお薬も、もう肝臓に負担になるだけのようだ。幸いなことに意識は回復し、一命は取り留めた。けれど、主治医から余命宣告のようなものはされないまでも「この肝不全をおこしても、そのまま逝ってしまうこともある。そうならないように手は尽くすけどね。ごめんね」と謝られたと、姉から告げられた。
病院にいる父は、たった一週間前のお正月にあった時よりも、また少し痩せていて、ぼんやりとした目でわたしを見ていた。
父と一緒に暮らしている母と姉、離れて暮らしているわたしは、いくつかの話し合いをして、いくつかのことを決めた。そのひとつに「遺影を決めておこう」というのがあった。
父の写真は少なくて、「これかな?」というのは、九年も前の写真しかなかった。八年前の父の顔は、記憶の中にはあるけれど、ここ最近の父の顔とは違っていた。顔にはふっくらとした肉がついていたし、メガネもかけている。「別人みたいで、誰かわからへん」と言いながらも、候補の写真を一枚、決めた。
父はいずれ、わたしたち家族に手をふって、いってしまう。引き止めたい気持ちもあるけれど、ずるずると引き止めることを父は望んでいないかもしれない。
じゃあ、またねと、静かに手をふり返すことができるように、日々を過ごしていくしかない。
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