【小説】ななくせ粥
「クセがないのに、クセになる!」
202X年、7月9日。あるインスタト食品が発売された。
その商品名は「ななくせ粥」。お湯をそそいで、一分待てばでき上がる。
CMで大げさに言っているとおり、味には大きな特徴はない。しかし、ひとくち食べてしまったら、「もっとほしい。もっと食べたい」と脳をぐらぐらと揺すられるほどに、虜になるという。
「えー、もう売り切れですか? なんかわたしのシフトのときばっかりタイミング悪いー」
脹れっ面をしながら、ヤエはぶちぶちと文句を言う。
「そんなこと言ったってさあ。ヤエちゃんの分、ひとつ取っておこうと思ってたんだけどさあ? でもさあ、どうしても我慢できなくって、食べちゃったんだよね」
同じシフトに入っているフリーターのクルミさんが、甘ったるく粘っこい口調で釈明し、ごめんねえ? と感情のこもっていない謝罪の言葉をあとから継ぎ足してきた。
「でも、いつも入荷するとあっという間に売り切れちゃいますよね。新商品とか入っても、そんなに動かないのに」
そう言いながら、ヤエはバイトの間で読み回される連絡ノートに「ななくせ粥、つぎ入荷したら絶対にひとつ取っておいてください! ヤエ」と書き記した。
「なんかさあ、どうしても食べたい気持ちが押さえられないんだよねえ」クルミはそういいながら、頬にかかる長い髪を何度も耳にかける、いつものクセのある仕草をしていた。
実際に、「ななくせ粥」は発売してからというもの品薄の状態が続いた。おかゆ、という商品の性質からダイエットにもぴったりだとしてはじめは女性を中心にブームになっていた。しかし、特徴のない味のようでいて虜になる、やめられないとして、あっと言う間に男女問わずさまざまな年代に好まれるようになっていた。
あまりの人気ぶりに拍車がかかり、インターネット上では法外な値段で転売されるもののあっという間に買い手がつくなど、ワイドショーでも問題視されていた。ある番組では実際にスタジオで試食してみようとなった段階で、司会者がどうしても我慢できずゲストの分まですべて食べてしまうこともあり「ななくせ粥中毒」だと揶揄される場面もあった。
「実際にどんな味がするんですか? おいしいんですよね?」
ななくせ粥の発売から、もう二ヶ月が過ぎようとしているのに、相変わらずヤエはまだひとくちも食べられずにいた。ヤエの友人でも全然食べられない人たちと、もう何度も何度も、それこそ高額で転売されているネットの品に手を出してまで食べている人たち。このふたつのグループに分かれていた。
「すごくおいしいよ。おかゆだから、さらりとしているんだけどねえ、おいしいお肉を食べたあと、みたいな幸福感に包まれるの。でも、一回食べちゃうと『ななくせ粥』以外、食べたくなくるの」
クルミは、なんだか酔っぱらったように、目つきがとろんとしている。頬にはたっぷりと髪がまとわりついているが、気にならないようだ。最近では髪を耳にかける仕草をヤエはあまり見かけなくなっていた。
「ふーん、そうなんですね。わたしの友達はチーズのとろけるような味がしていくらでも食べられるって言っていたんですけどね」ヤエは少し首をかしげて「いろんな味に変化するって、どんな調味料つかってるんですかね?」とつぶやいた。
「うちのコンビニなんか、もう手に入らないからって、そもそも入荷するの諦めてますもん」ヤエがそう言いながら出しっぱなしにされていた入荷伝票のファイルをしまう。クルミは「ほんと、バイト先で手に入らないと、インターネットで高く取引されているのを買わないとだから、困るんだよねえ」そういってため息をついていた。
そこまでして食べたいものなのだろうか? ヤエは少し不思議に思ったけれど、お取り寄せグルメとかもあるし、そういうもんか、とひとり納得した。
ある週刊誌のスキャンダラスなニュースが世間を騒がせたのは、それからほどなくしてからのことだった。
「絶対に口にしてはいけない!! ななくせ粥は、クセ者だった!」と大々的に報じた。
そのスクープ内容は世間を震撼させた。
世の中の多くの人が夢中になっている「ななくせ粥」。いまではほとんど小売業には流通しておらず、闇のルートで高額に取引されている。
しかし、その「クセのない味」には不思議なことが多かった。食べる人によって、味わいが違っている。この不思議な現象は何だろう? 原材料名に記されている以外のなにかが含まれているのではないか?
独自に成分分析をある機関に依頼したところ、思わぬ結果がでた。
「食材自体に大きな特徴は見られないが、あたらしく開発された調味料が、ある化学反応をおこし、人体に影響を及ぼしている」
新しく開発された「habit」と名付けられた調味料は、人間の味覚を一時的に麻痺させることができる。そして、潜在意識のなかにある「これを食べたい」という欲望の味を脳に認識させているのだという。原理的には「口に含んでいないのに、梅干しやレモンを見ただけで酸っぱい」と感じる生理的な現象を応用したものらしい。
しかし、この調味料にはおおきな問題点が、ふたつ、あった。
まずひとつは、「中毒性の問題」これは、脳の潜在的にある意識を「満たしたい」という欲求が止められなくなってしまうというものだった。「ななくせ粥」を一度でも食べたことのある人にとっては、「ななくせ粥」を食べることによってしか、欲求を満たすことができない。そのため「食べたい、食べたい、食べたい」という気持ちがどんどん強くなる。マウスでの実験結果では、「食物の奪い合いが起こり、ネズミ同士が傷つけ合う面も見られた」というものまであった。
もうひとつの問題点は「その人の、クセがなくなる」というものだった。人間は何か食事をしたときに「おいしい」「まずい」と感じている。それらは舌にある味蕾(みらい)とよばれる感覚器官が味の情報をキャッチして、脳に伝えている、というのが一般的な生理現象である。しかし「ななくせ粥」は一時的に味覚を麻痺させている。その段階で、脳へ送られている生態的電気信号が一時的に遮断されるのだという。一度や二度なら、たいした問題はない。歯医者で治療を終えたたばかりで、麻酔がかかっている状態とそれほど違いはない。しかし、何度も続けて食べることにより、脳への電気信号が遮断されつづけてしまう。このことによって、脳の一部分が麻痺しはじめ、ものごとをうまく考えられない、ぼんやりとした状態が増えるなどの作用が見られることも分かっていると伝えていた。
世間を震撼させるおおきなスクープ記事はこんな内容も記されていた。
「私たちがこの問題を調べはじめたのには、理由がある。それは、ともに働いていた記者の一人が、『ななくせ粥』を食べはじめてからというもの、明らかに変わっていってしまったからだ。仲間の一人として大きな信頼を寄せていた彼の人格は破壊され、大きく様変わりしてしまった。何が原因か、突き止めたかった。その時に、ひとつの可能性として『ななくせ粥』が持ち上がったのだ」
その週刊誌の記事が発表されてからというもの、大きな騒ぎが巻き起こった。同時に、製造販売元へ、問い合わせの電話が殺到した。また、人々は「ななくせ粥の製造販売を中止せよ!」と大きな声で言う一方で「製造・販売メーカーの名誉毀損じゃないか、ななくせ粥の大ヒットをねたんだガセネタじゃないか!」と反論した。
大きな論争が巻き起こった。一部ではちょっとした言い争いから暴動のような騒ぎまで起き、警察が出動する事態にまでなっていた。
しかし、事態は急速に終焉をむかえることになった。調味料「habit」の製造開発に関わっていた研究職員が「人体への問題が見られる調味料である」と告白したことがきっかけだった。製造販売メーカーへの一斉捜査がおこなわれ、「ななくせ粥」の一斉回収や不法取引なども検挙された。製造販売元の社長は「売上アップのために、問題があることは知らされていたが、販売を進めてしまった」と自供した。
すでに生産が追いつかず、流通量自体少なくなっていたため、ほとんどの「ななくさ粥」は回収に向かっていた。また、過剰に摂取してしまったごく一部の人をのぞき、何度か食べたことのある程度であれば、一時的に「habit」を欲することはあるものの症状は落ち着いてくるというが、「健康被害相談所」が各地に設けられていた。
「お見舞いのお友達がいらっしゃいましたよ」
看護師さんの呼びかけのもと、仕切られたカーテンがシャッと勢い良く開けられた。
「あー、ヤエちゃんじゃなあい。げんきぃ?」ベッドを起こして、クルミが声をかけた。口調はすこしずつ、以前のような甘ったるいクセが戻ってきている。けれど、まだ目線はぼんやりと宙を泳いでいた。
「あー、クルミさん。髪伸びましたね」お見舞いにもってきたお花を花瓶に飾りながら、ヤエはにこにこと話しかける。
「そうでしょお? もう、うっとおしくってえ」そういいながら、クルミは髪を耳にかける仕草をしている。
クルミはコンビニに納品している業者に賄賂を渡し、「ななくせ粥」を自分だけで独り占めできるように依頼していた。かなり、強引なやり方で業者に頼み込んでいたらしい。スクープ記事が発表されて以来、クルミの様子は明らかにおかしくなっていた。クルミに直接問いつめても「ななくせ粥は、渡さない」としか言ってくなかった。
「ななくせ粥」の問題が次第に明らかになり、クルミは過剰摂取しているのではないかと医療機関に相談し、こうして治療を受けることになったのだ。
「もうヒマでさあ。ヤエちゃん、なんか面白いこと、なぁい?」クルミはしきりに頬にかかる髪をさわり、耳にかける。
「あ、タブレットもってきましたよー。クルミさんに頼まれてたの」そういってヤエは紙袋をクルミに手渡す。「頼まれてた映画も、ダウンロードしてありますから」
「あー、ありがとお。やっぱりさあ、このシリーズは作品は監督のクセが全開だから、おもしろいのよねえ」
そういったクルミの目には、力を帯びた光が、キラリと輝いていた。
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