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暮らしはつづくよ、どこまでも。

地震が起きたとき、わたしは電話をしている最中だった。

約一週間前に引越しをしたばかりで、家のなかには家具らしいものは置かれていない。やたらと大画面のテレビだけで、棚はおろか、ダイニングテーブルみたいなものもなく、がらんとしていた。

その日の午前中に、電話とインターネット回線の開通工事にきてもらったばかりだった。

新しい家にはテレビのアンテナもなかった。工事しようとしても、地デジ化への切り替えを促している時期だったので工事の時期もずいぶん先になると言われていた。

インターネット回線でテレビも見られると知ったので、アンテナを立てるのは一旦保留にして、電車回線、ネット回線、テレビの3つが一度に開通すると知って「ようやくちょっと、落ちつくなあ」と胸をなでおろしたことを覚えている。

電話が開通したという連絡を、繋げたばかりの固定電話を使って大阪の実家に電話をかけた。

母とあれこれ話をしている最中に、ぐらりと足元が揺れた。

「あー、地震やわ。結構大きいわ!」大丈夫? という母の声を遮るようにして、電話の声がぷつりと消えてしまった。断線したか、停電か。どちらかかもしれないし、どちらもかもしれない。

倒れてくるような家具はないけれど、やたらとテレビが揺れているので、おそるおそるテレビに近づいて、押さえつけていた。

「結構長いし、大きな揺れやなあ……」テレビを押さえながらそう思っていたけれど、正直なところ「阪神淡路大震災より大きな地震が起きるはずはない」と考えていたことも事実だった。

阪神淡路大震災も、震源地からはかなり離れているけれど実際に揺れを体験している。ドンッと突き上げるような衝撃があった。この地震は、身体全体に受ける衝撃はないから、大丈夫。そう思いたかった。

結果的にわたしの予想は悪いほうに覆されたし、比較して考えるようなことでもなかった。

あれからもう八年。

ほぼ日でテキスト中継が行われている「2019年3月11日 これまでとこれからを歩く」を日曜日から見て過ごしている。

東日本大震災を経て、わたしの生活は何か変わっただろうか?

わからない。

いろんなことを考えてはいるけれど、それらを行動に移せているかというと、首をかしげてしまうかもしれない。

それだとしても、地震が起きた日のことは忘れられないし、思い出すと怖くなるのも確かだ。

どちらの側面も自分の中にあるんだということを、忘れないようにして毎日暮らしていくしかないのだろう。



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