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「大丈夫」を信じて手を動かそう

いつもと変わらない月曜日、のはずだった。朝は八時前に家を出て、きょろきょろしながら最寄り駅まで歩く。ツバメの巣は、たった二日みていないだけで、雛たちはぺちゃくちゃと大騒ぎ。お散歩が大好きな柴犬は、今日もるんるんと嬉しそう。何にもいつもと変わらない。

二十分ほど歩き、ようやく駅のホームに到着する。スマホをカバンから取り出すと、何件か連絡が来ているようだ。開いてみると、タイムラインには地震、地震、地震の文字が並んでいる。大阪北部で地震。震度6弱。私の実家は一番強い揺れを観測した地域にあった。

しかし、そのタイムラインのなかには姉からの通知もあった。

「地震がありましたが大丈夫です。物が少し落ちてきたぐらいです。ご心配なく」

姉らしく、めちゃくちゃクールな文面だ。しかし、「大丈夫です。ご心配なく」と言われても心配せずにはいられない。様々なニュースサイトをみると火事が発生していたり、停電や水道管が破裂した様子なども伺える。余震も続くだろうし、気をつけてと返信した。

大阪に住む、子育て中の友人に大丈夫か? とLINEを送る。また、私の実家が大阪であることを知っている友人などから心配して「実家大丈夫?」とくれた連絡に「大丈夫そう。ありがとう」と返信する。

姉が大丈夫だと言っているのだから、信じるしかないのだ。ただ、姉の大丈夫はかなり極端で「命に別状がなければ大丈夫」という信条である。しかし、姉の言葉を信じるしかない。

不安が募りながらも、職場へ向かう。横浜はいつもどおり、気怠げな月曜日の朝だ。大阪は大丈夫だろうか? と心配していても、仕事は何も変わらず、いつもどおり始まっていく。

昼ごろに、再び姉からのLINEが送られてきた。入院中の父も無事。病院は本当に人手が足りないらしく、いつもは看護師さんが父の車椅子を押して検査室へ向かうのに「娘さん、押して行って」と言われたという。医療の現場は今本当に大わらわだったという実況中継をしてくれるまでの余裕があった。

子育て中の友人からも「怖かったけど、大丈夫」という連絡を受けた。家族や友人だけが無事ならいい、というわけでもない。亡くなられた方も大きな被害を受けた方もいる。けれど、やはり身近な人が無事であることが分かり緊張も少し緩んだ。

とはいえ、不安も募る。余震が起きるんじゃないかとか、築五十年近くなる実家は次に大きな揺れがおきたら耐えられるのだろうか、とか。乳飲み子を抱えている友人は大丈夫かなどあらゆる不安が頭のなかで行ったり来たりする。

しかし、だからといって、どうにもならない。
不安だ不安だ、と思っても、地震を止められるわけじゃないのだ。不安に足を絡みとられ、身体が固まってしまいそうでも、それを蹴りとばさないといけない。自分ができる、日常を過ごせるのならば、手を動かすしかない。

大丈夫やで、と差し出された言葉をまるごと信じて、今日も粛々と手を動かし続けるのだ。

#エッセイ
#日記



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