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彼女はどうしているだろう?

彼女はうまくやっているだろうか? 彼女といっても面識はない、というか存在しているかどうかも分からない。

彼女の本名すら知らない。ニックネームというか、あだ名みたいなものしか。

わたしが気になっている彼女は「口裂け女」だ。

都市伝説でしょ、ばかばかしいと思われるかもしれない。けれど、その都市伝説としてすら存在しにくい状況が、もうずうっと続いている。

マスクをしている女が近づいてきて「わたしキレイ……?」と、道ゆく人に問いかける。そうして、マスクをずらし「これでも……?」と狼のように大きく裂けた口を露わにし、恐怖におののき逃げた人を追いかける。というのが一応口裂け女がとる、一連の動きである。

口裂け女が都市伝説になったころは、そもそもマスクをしている人というのがそれほど町にいないという前提があったのだとおもう。

いつごろから流行したのだろう? とググってみると1979年の春から流行したという。ちなみに、リンク先のwikipediaには「口裂け女」の設定がいろいろと書かれてある。口裂け女にも人知れない歴史(過去)がある。わたしが知っている彼女のことは、ほんの一握りでしかない。

昨今なら、春先にマスクをしていても「ああ、花粉症なんだろうね」で気にも留められないだろうし、2020年にいたっては、マスクをしていないひとは責められるほどだ。

そう、ここが問題になる。彼女の主な活動は「裂けた口をみせる」ではないか。しかし、マスクをずらすだけで非難されることもあるだろうし、しゃべりかけるだけでも、相手は眉をしかめ、避けるかもしれない。

なんだって、こうも口裂け女のことを考えているかというと理由がある。「もしかして、あの女の人、口裂け女かもよ?」と、わたしを指さしながら小学生たちがひそひそと笑い合っていたことがある。

そう、わたしは数年前に「偽りの口裂け女」だった。初夏を迎えた汗ばむ陽気にもかかわらず、わたしは風邪をひいてマスクをしていた。駅のホームで下りの電車をぼんやりと待っていた。

そのとき、白い半そでシャツと半ズボン、おそらく学校指定のランドセルを背負った小学生男子ふたりが、ひそひそとわたしを見ながら「あの女の人、口裂け女かもよ?」と、もちろん笑いながらだけど話していた。

「ああ、いまそういうちょっとした怪談みたいなものが学校で流行ってるんだな」と、ズルズルと鼻をすすりながら考えていた。残念ながら、マスクを下げたところで、鼻の皮がガビガビしてるだけで、くちはさけてないんだよねえ、と。

いま思えばずいぶん牧歌的な思い出だ。都市伝説の彼女ですら生きにくい世の中になっちゃったなあと、年の瀬につらつらとおもう。


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