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もう一度、姉にお菓子を捧げたい

「今度帰ってくるときなあ、買ってきてほしいおやつがあるんやけど」

大阪の実家を離れて、神奈川でひとり暮らしするようになった18才のころ、わたしは何度もお使いをたのまれるようになった。

お使いを頼んでくるのはもっぱら姉だった。姉は美味しい食べ物に目がなかった。大事にとっておいたお菓子を冷蔵庫に入れていたのに、父が適当に食べてしまったため本気で泣いて怒ったこともある。子どもの頃の話ではなく、姉が大学生のころの話だ。

テレビや雑誌で見かけた、あらゆるおいしそうなものをメモしては「機会があれば食べてみたい」とひんぱんに言っていた。

いまではどちらの番組も終了してしまったけれど、「とんねるずのみなさんのおかげでした」で放送されていた「食わず嫌い王選手権」というコーナーでは、はじめに芸能人がお気に入りの食べ物を「おみや」として紹介していた。また、はなまるマーケットという番組でもゲストのトークコーナーで「今日のおめざ」と言ってお菓子を紹介していた。朝に食べる甘いものは目がさめる(脳の活性によい)みたいな意味合いだったように覚えている。

それらの番組をチェックしては「出町ふたばの豆餅は美味しいよな」とか「む、見たことないお菓子やな。物産展でくるかもしれへんからチェックしとかな」といそいそメモをしていた。そのコーナーを見るためだけにビデオの録画予約をしてることもあった。

東京でしか売っていない、と聞くと本気でガッカリしていた。けれど、わたしが神奈川でひとり暮らしをすることが決まると、「お土産いろいろ頼むから! よろしく!」と、それはそれは嬉しそうに笑っていた。

夏休みやお正月などで実家に帰る少しまえになると、姉はわたしにメールで連絡してきた。

新宿の伊勢丹に新しくできたらしいチョコレートのお店で買ってきてほしいものがある、とか、銀座の松屋で売っているあんず大福が美味しいだから買ってきて、とか。表参道にある瑞穂の豆大福はふたばの豆大福とどう違うか食べ比べたいとか。思い出すとキリがない。

日持ちしないお菓子でも容赦なかった。「本日中にお召し上がりください」というお菓子ならば朝いちばんで買って、それから新幹線に乗ればいいやんと何事もなくいい放っていた。

さすがにムッとしたこともある。姉が食べたがっているお菓子を買い求めるために朝早く起きたり、自分の予定を変更しなくちゃいけないなんて。

それでも「そんなん、いちいち行かれへんよ」と、断ることはできなかった。

わたしは実家を離れて暮らしているし、姉からすれば「好き勝手にやってる妹」に見えていることだろう。確かに、わたしは好き勝手やっていた。ほんの少し罪滅ぼしのような気持ちもあった。

姉からリクエストされたお土産を買って帰りさえすれば姉は喜んでくれた。それに姉ひとりで食べるのではなく父や母、わたしとも分け合って食べていたので、それはそれで団欒の役割もあったのだろう。


そんな姉が、まったくお菓子に興味を示さなくなってしまった。姉が40才になったころ、とある病気を発症してから。

その病気は、食事制限とまでは言わないけれど、避けた方が良い食材がたくさんあった。体調をひどく崩しているときは口にしないようにと、細心の注意を払うようになった。

姉は体調を整えることに気を配っていて、お菓子そのものをほとんど食べないようになっていった。もちろんそれは、姉自身が決めたことだし止めるつもりもない。

ただ、それまでは時々でも外食をしたり、おいしそうだったから! とロールケーキを買ってきては「朝食べよう」などと言っていたのに。

今では外食はこわくてできなくなってしまったという。アルコールもカフェインも厳禁。お寿司すら食べられない。カフェインレスのコーヒーとか、ノンアルの飲みものもあるよ? とすすめてみてもいらないという。

なんというか、食べ物そのものに対して、これまでのような興味がなくなってしまったという。食べたいもの、というより身体の具合が悪くならないもの。身体を冷やさないもの。便秘にならないように。お薬を飲むためにすこし食べなくちゃいけない。

食事に対する楽しみが全然なくなって、お菓子なんかも食べようとは思わないそうだ。

これほどまでに極端に変わってしまうと、こちらとしては戸惑ってしまう。お土産のお菓子をリクエストしてはあちらこちらとパシリのごとくわたしを買い物に行かせていたのに。今となってはお仏壇にお供えする鳩サブレーくらいしか頼まれなくなった。

なんだかすごいさみしい。いろんなお菓子をほおばってニコニコしていた姉は、もう戻ってこないのだろうか? できることならまた、姉にお菓子を捧げて、一緒に笑いながら食べたいのだ。



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