おくすりみたいなヨーグルト

「お母さん、おなか、いたい」

木曜日の朝になると、わたしはおなかが痛くなる。嘘じゃない。嘘じゃないけれど、本当は痛くないときもあった。

「えー、昨日なんか食べ過ぎた? 学校は、行ける? どう?」お母さんは、ばたばたと朝食の準備をしながら、振り返ってわたしを見る。わたしはまだパジャマ姿のままで、昨日の夜にお母さんが準備してくれていた洋服に着替えてもいない。

「うーん、わかんない……。トイレに行ってみるけど」そう行って、わたしはトイレに入り、鍵をかけた。

はじめに木曜日に学校を休んだ日は、なんだか身体がだるかった。それをお母さんに伝えると、「あ、熱がちょっとあるね。今日は、休んだほうがいいかな」と、その日は学校を休むことになった。理由はなんであれ、病気で学校を休むと、いつもは病院に行くのだけれど、木曜日はいつもかかっている病院自体がお休みだった。

「微熱程度だし、今日はお家で休んで、明日まだ熱があれば先生に診てもらおうね」そうして、わたしはその日、布団で眠って過ごしただけだった。

木曜日は、病院がお休みだから、先生に診てもらわなくってもいいんだと、気がついたのはその時だ。いつも通っている小児科の先生は、とても優しい。先生に会っただけで、病気が治っちゃうんじゃないかと思っている。何もかもを見透かしているような目をしていて、先生の前では、嘘はつけなかった。

だから、「今日は学校に行きたくないな」という日でも、仮病を使って休むことはできなかった。病院に行けば、先生に会えば、嘘をついていることがバレちゃうから。だから、あんまり行きたくなくっても、本当に熱でもでない限り、小学校を休むことはできなかった。

けれど、木曜日は病院がお休みだとわかってから、わたしは時々木曜日に学校を休むようになった。病院に行かなくてもいいし、大嫌いな体育の授業もお休みすることができる。熱がある、というと体温計で計らなくっちゃいけないけれど、頭が痛いとか、おなかが痛いとか、見た目では判断できない病気になれば、わたしは休むことができた。

もっとも、そう何度も休んでしまうと、さすがにお母さんにも怪しまれちゃうので、「ここぞ」という時にだけ休むようしていた。

今月は、体育の授業の中でもいっちばん嫌いな「鉄棒」だった。何で、あんな鉄の棒におなかを押し付けてぐるぐる回らなくっちゃいけないんだろう? わたしは逆上がりができなからって、みんなに笑われるし、「できない人は放課後と、休み時間に特訓だ!」なんて、本当に嫌だ。あんなのできたことろで何かの役に立つのだろうか? まだ、跳び箱とかなら、わかる気もするけれど。

鉄棒の授業のことを思うだけで、わたしのお腹はシクシク痛んだ。特に、授業のある木曜日の朝は、おなかが痛くなった。ウソじゃない。痛いような気がする。そのうち本当に痛くなってくることもよくあった。おなかを壊しているわけじゃないのに、おなかが痛くなるなんて不思議だなと、自分の身体のことなのに、よく分からなかった。

そうして、わたしは今日も、木曜日に学校を休んだ。

今ごろ、学校では体育の授業をしてるだろう。休んだ人は、別の日の放課後に残って練習しなきゃいけない、みたいなこともちらっと聞いたけれど、どうせもうすぐ梅雨になるし、プールも始まる。鉄棒とはおさらばだ。

「なっちゃん、ちょっと起きられる?」

お母さんが一階からわたしを呼んでいる。何だろう? そう思って、わたしは階段をゆっくり降りていった。お腹は、痛いような、痛くないような。

お母さんはキッチンに立っていて、かちゃかちゃて食器を取り出していた。わたしはその姿をちらりとみながら、イスに座った。

「この前ね、お母さん、お医者の先生に相談してきたの。おなかが痛い時には、どうすればいいのかって。ほら、病院が休みだから、今日もいけないでしょう?」……お母さんは、気づいているのかもしれない。わたしが、本当にはおなかが痛くない日もあることを。

「……うん」わたしは、小さな声でうなずいた。すると、お母さんは、冷蔵庫からヨーグルトの大きなパックを取り出した。「おなかの調子を整えるには、ヨーグルトがいいんだって。ヨーグルトは、おなかを壊してる時にも、便秘になっている時も、どっちも食べていんだって」そういって、パックを開けて、スプーンですくってお椀に移していた。

「なっちゃんがいつも食べてるのは、甘いヨーグルトでしょ? でも、この、甘くないプレーンヨーグルトがいいんだって」

お母さんは、そう言いながら、小さな袋をわたしに見せた。「あとね、先生が、これを混ぜなさいって。お薬くれたの」小さな袋は一瞬しか見えなかったので、何だかよく分からなかった。けれど、お母さんはさっとその袋を破って、ヨーグルトの上にさらさらと振りかけていた。

「はい。これ食べて。お薬は、よくかき混ぜてね」

お母さんが渡してくれたお椀には、真っ白なヨーグルトの上に、つぶつぶとした白い粉がたっぷりと振りかけられていた。「この粉、何の薬なの?」わたしはそう聞いたけれど、お母さんはニコニコしながら、「おなかのお薬よ」とだけいって、詳しくは教えてくれなかった。

風邪をひいた時にお母さんが飲んでいる薬に似ている。白い、粉というよりはツブツブした形で、何かのお薬には違いなさそうだ。

……どうしよう。わたしはおなかが痛いけれど、本当には痛くない時もある。嘘をついたからお薬を飲まなくっちゃいけないかもしれない。けれど、ヨーグルトなら、いつも食べてるし、大丈夫かな? 食べないっていうのも、多分無理かもしれない。

そう思って、わたしはぐるぐるっとスプーンでかき混ぜて、パクリと口に含んだ。いつも食べているヨーグルトとは違って、甘酸っぱいような、けれどほのかに甘い味がした。お薬が溶けきっていなかったのだろうか、ザラザラとした粉が舌に当たったけれど、そのお薬は思いの外、甘い味がした。

「ごちそうさま」そうして、わたしはお椀に入ったヨーグルトを食べ終えて、お母さんにお椀を私たち。お母さんは満足そうに、「これで、おなか痛いのも良くなるね」とニコニコしながら笑っていた。「これで治らなかったら、大きな病院で、いろんな検査しなくっちゃいけないんだって」そう言いながら、お母さんはわたしが食べ終えたお椀を洗っていた。

……さすがに、そこまで大ごとになると、嘘だってバレちゃうかもしれない。「そうなんだ。でも、ヨーグルトで治るかもしれない」そう言って、わたしは二階に駆け上がって、また布団に潜り込んだ。

それから毎日、お母さんはヨーグルトをわたしに食べさせてくれた。お薬は、絶対にヨーグルト振りかけられていた。ただ、どうやら大嫌いな鉄棒の授業も、この前の木曜日で終わったらしい。校庭を一部工事することになっていて、その区画に鉄棒が近いため、どうやら切り上げになったという。

次の木曜日には、わたしのお腹は痛くならなかった。あいかわらず体育の授業は嫌だった。けれど、嘘をつき続けて、大きな病院で検査しなくっちゃいけないのは、もっと困る。そうして、わたしは木曜日に学校を休まないようになった。


あの時、ヨーグルトに振りかけられていた粉が、実はもともとヨーグルト用の砂糖として入っていたのだと知ったのは、もう少し大人になってからだ。お薬でもなんでもない、ヨーグルト用のお砂糖があるなんて、全然知らなかった。お母さんに聞いたら「なっちゃんのお腹が、痛くならないようにするには、どうしたらいいかなあって、本当に病院の先生に相談しにいったのよ」と、いたずらっぽく笑っていた。

今ではあの「ヨーグルト専用砂糖」は、もうどこにもなくなってしまった。けれどもプレーンヨーグルトを食べるたびに、わたしにとってはお薬だった砂糖を、少しだけ探してしまうのだ。




 

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