見出し画像

楽しませる側だったからかもしれない

正直に告白すると、クリスマスをそれほど楽しめないでいる。もうずっとそうだ。

クリスマスの雰囲気は好きだ。街を彩るイルミネーションや、趣向を凝らしたクリスマスケーキ。コンビニの店員さんがサンタの帽子をかぶっていたり、ピザの宅配係がサンタクロースのコスチュームを見るのは、ちょっと恥ずかしいのだけれど。

年末の訪れとともに、クリスマスムード醸し出す、うきあしだった雰囲気は嫌いじゃない。それでも、自分事のイベントとしてクリスマスを捉えられない。

毎年感じていることだけど、それはなぜかと考えてみたことはなかった。なんでだろう? いろいろと考えを巡らせてみる。

一番初めに思いついたのは、自分には子どもがいないからだろうか? ということだった。38歳、既婚であれば子どもがいてもおかしくない。うちは何度も話し合った結果、子どもは持たないと決めた。子どもがいないからクリスマスが楽しめない、というのは短絡的だろう。ただ、クリスマスにプレゼントを贈る相手がいることは、クリスマスの楽しさを引き立たせるものだろうとも思う。

夫とプレゼント交換をしても良いかもしれないが、欲しいものは自分で買いたい。プレゼントをもらって「ありがとう」といいながらも、いつもほんの少し心の奥でがっかりしてしまう。夫も、わたしからのサプライズプレゼントみたいなものは欲しがらない。ほしいものをピンポイントで言い続けていて、こっそり用意しておいたときは別だけれど。

その次に思いついたのは、夫との暮らしのリズムが違っているから一緒に楽しもうと思えないこと。

ケーキやチキンなど、クリスマスのごちそうを一緒に楽しもう、というタイミングが合わない。夫はシフト制の仕事で、わたしはカレンダー通り。とはいえ、12月の休みが合いそうな日に、前もって楽しむこともない。そう考えると、休みが合う合わないの問題じゃないのだろう。

これまで、クリスマスはどんなふうに過ごしてきたかを考えてみると、ふと思い当たることがあった。それは、いつもクリスマスを楽しむ人に向けて楽しみを提供している立場にいた、というものだった。

高校3年生のときはクリスマスケーキの販売をしていた。大学1・2年のころはコンビニのバイトをしていた。クリスマスは休みたい人が多いからシフトに入れいるというと喜ばれたし、お正月には実家に帰省するために休みをもらっていたから、そこでバイトに入っていた。店長からは大変喜ばれ、クリスマスイブとクリスマスにバイトに出た人にはケーキをプレゼントしてもらった記憶がある。当時彼氏はいたけれど、彼氏もバイト優先の人だった。

大学3年は、コンビニではなく和食料理店のバイトに明け暮れ、4年のころは卒業研究に追われて、クリスマスどころじゃなかった。

大学を卒業してからも、クリスマスを楽しんだ記憶がない。就職して数年たったらうつ病になって臥せっていたし、病気が治るころに夫と結婚した。結婚してからもイベントのバイトで歳末セールのガラガラ抽選会のスタッフとしてとにかく働き続けていた。特賞の旅行があたったらガランガランと鐘を鳴らしまくった。歳末セールは、ほとんどのところで12月25日が最終日だった。最終日にまとめて抽選する人が多くって、25日はとにかく体力の限りがんばるしかなかった。

ただ、このイベントはとっても楽しかった。抽選会のイベントは、ずうっと声を出し続けて、抽選する人を楽しませなくっちゃいけない。もっとも、これはわたしがそう考えて働いていただけで、とにかく数をさばけばいい、というタイプの人もいる。でも、わたしは子どものころにガラガラ抽選をしているときのワクワクした気持ちがずっと忘れられないし、対応してくれたおばちゃんたちの笑顔も忘れられない。わたしにとって、子どものころの一番のあこがれの職業は、ガラガラ抽選スタッフだった。

こうして考えると、クリスマスを楽しむ人たちを楽しませる立場にずっといたから、クリスマスそのものをそれほど楽しめないでいるんだなと合点がいった。

今年のクリスマスも、クリスマスを楽しむ予定はない。24日はロシア武術であるシステマの講義があるのでそれに参加するし、25日も仕事納めが近づいていてバタバタしているだろう。それはそれで、良いクリスマスだ。







最後まで読んでいただきまして、ありがとうござます。 スキやフォローしてくださると、とてもうれしいです。