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おんな五人寄れば、思慮深い。

先週末、大学のころに仲良くしていた女友達と集まった。わたしも含めて五人。知り合ってからもう、二十年近くになる。

わたし自身、個人的にちょこちょこと連絡をとって、ご飯を食べる子もいれば、もう、全然会っていなくて、三年か四年ぶりに顔を合わせる子もいる。

それは私以外でも同じことで、家が近いとか、職場が近いなどの理由でそれぞれ会っている。けれど、五人全員が顔をそろえるのは本当に久しぶりだった。

五人もいれば、みんなの生活は様々。結婚して子どもがいるひと。結婚しているけど、子どもはいない人。婚活中の人もいる。

はっきり言ってしまうと、それほど今の時点での共通する話題はない。

子どもがいる子たちからすれば、最近の小学校や幼稚園での悩みを話したいかもしれない。婚活中の子からしたら、最近出会った男の人と、今後進展すべきかどうかを議題にあげたいだろう。

わたし自身が話したい内容は、二週間前に父親が亡くなったこと、だった。けれど、その話は一切できなかった。

なんとなく、その場で話すにはふさわしくないかな? 遠慮してしまったからだ。まだ、自分の中で整理がついていない事柄でもあるので、はきはきとみんなの前で報告するのも、むずかしかった。

だけど、よそよそしいわけでもない。みんなが「わたしの話を聞いて!」というタイプではないだけだ。「最近、こんなことがあったんだけど良かったよ」とか「インフルエンザ対策は、何が一番いいのか?」など、五人全員が関心を持てそうなトスを上げて、それをみんなで落とさないように話していた。アタックを打ってしまうと、話は終わってしまう。次の話題もあるけれど、ずばっと終わらせてしまうのも、つまらないからだ。

ある女の子がパート勤務中の職場の、かなりブラックな話などをしているうちに、あっという間に時間は過ぎた。その職場は、あらゆる意味合いにおいて、ほんとうにやばそうで、早くやめたほうがいいよ! としか全員アドバイスできなかったのだけれど。(この話題がとても刺激的で、ほぼ半分くらいの時間が費やされた。具体的に言えないのが残念なくらい)

本当は、もっと相談したいこととか、聞いてほしい出来事もあったかもしれない。けれど、それは今話すべきことじゃないんだろうなと、みなが思案していることも受けて取れた。小さな悩みは誰もが抱えているけれど、それをいまこの場で吐露するほどのことではない、と思っているのだろう。

わたしも含めた五人ともが、具体的な話をできなかったとしても、みんなが元気そうに暮らしていることがわかって、良かったなあという気持ちだった。具体的になにかを相談したい場合は、二人か三人で会うのがいいんだろうなということも。

二十年近く仲良くしている人たちは、みんな優しくて思慮深い。また近いうちに会って、いろんな話をできればいいなと思う。


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