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たのしみの感度を上げたい

たのしみって、いったい何だっけ?

ふと、考えてしまった。答えは、出せそうにない。自分だけの、たのしみもあるし、大勢のたのしみもある。

「たのしみ」の定義は人によってぜんぜん違う。

それでも、たくさんの人が楽しみにして待っている物事は存在している。今ならば、鬼滅の刃の映画を見に行くのが楽しみだー! みたいなものとか。

わたし自身にとっての、たのしみっていったい何だろう?

ほぼ日で開催されている「デリな生活のたのしみ展」の箱を目の前にして、ほんの少しだけれど、考えてしまった。

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なんとなく出てきた答えとして、「いまのわたしは、たのしみの感度が少し下がっている」というものだった。

たのしみは、大きく分けて二種類あるなと考えた。

目のまえのたのしみと、遠くのたのしみ。

遠くのたのしみは、手帳にスケジュールをつけて待つたのしみ。「半年後にYUKIちゃんのライブがある。チケットも取れたぜ!」

待ち遠しい、その日が来るまでがんばろう! という生活の張り合いといったところだ。新刊が出るとか、来週のドラマが楽しみで待てないなあとか。ワクワクした気持ちがたくさん湧き出てくる「予定されている」おたのしみ。

一方、目のまえの楽しみは、美味しいものをお土産にもらったり、サプライズ的な楽しみもある。

ただ、遠くのたのしみが、目のまえのたのしみへと熟成されることもおおい。遠くのたのしみを思い描いて、妄想しているときのたのしみもある。

こうして書き出してみると、「遠くのたのしみ」が、わたしには少ないのだろう。

ワクワクするような、待ち遠しいような気持ちになることが、あまりない。いくつかの不安事項が胸を占めていることも、たのしみを感じられない、感じ取れない一因なのだとも思う。

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せめて、家でコーヒーをゆっくり飲んで、本を読む「目のまえのたのしみ」を堪能したい。

ちいさなたのしみの積み重ねがないと、どうにも息がつまるし、沈んだ気持ちになりやすいからね。

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