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くらやみ迷路

文化祭の思い出、といって、すぐに思い浮かぶものはどんなものだろう? 

高校三年生の受験を控えて、不安な胸の内を隠すかのように、出し物に打ち込んだときのこと。

大学生のときの、ちょっとした恋の芽があちらこちらで花開いたり、枯れてしまったりもした人間模様。

どちらにも心当たりがあるし、思い返すとちょっとだけ泣きそうになるものや、大声で「うわー、青春だったね!」と叫びたくなるほど恥ずかしくて、レモンキャンディのように甘酸っぱい思い出も、すこしは持ち合わせている。

けれど、振り返ってみたときに「ああ、あの文化祭は楽しかったな」と思うのは小学六年生のものだった。

私の小学五・六年生の時、担任をしてくれていたS先生は、いま思い返してみても本当に教育に熱心な先生だった。大人になった今でこそわかるけれど、かなりきめ細かく生徒をフォローしてくれていた。保護者に対しても、学級通信のようなペーパーを最低でも週に一度は作成し、生徒に持ち帰らせていた。授業中の様子や、クラスであった面白かったこと、ちょっとした問題が生じて話し合いがあったことなど、事細かに記されていた。

S先生は、先生自身も子ども達と一緒になって楽しむ、というスタンスをもっていたように思う。もちろん、指導する立場ではあるけれど、休み時間なども私たちと一緒になって遊んでくれたりしていた。「先生はおとなだけど、みんなから教えてもらえることがたくさんあるよ」と笑顔で話してくれていたことを、今でも忘れられない。

そんなS先生が、六年生の文化祭の出し物を決めるときに「これはおもしろいぞ〜」と、イタズラを企む小学生のような表情で提案してくれたものがあった。

それは「くらやみ迷路」というものだった。

まず、教室の机で、迷路のカタチを作り上げる。行き止まりや曲がり角など、教室の大きさも限られているし、机を使うため、それほど難しいコースは作れるわけではない。だけど、ここからが面白いところで、机の上と、机で作られた迷路のコースをダンボールで貼付けるのだ。この迷路は、床をほふく前進でもするかのように、四つん這いでペタペタと進んでいくコースなのだ。ダンボールのはりつけが甘いと、光が差し込んでしまう。とにかくダンボールがたくさん必要だと言って、生徒達みんなで集め、ほんとうに山のようなダンボールを集めてきた。ダンボールがうまく貼り溶けられないような場所には、暗幕のような黒い布を貼ったことも覚えている。

真っ暗闇の中を、四つん這いになりながらあちらへ、こちらへと歩く迷路は、制作時からものすごく楽しかった。真っ暗闇の中で、先に入っていた友達が迷っていて、ぶつかりそうになったり、立ち上がってしまって、机を塞いでいたダンボールをぶち抜いてしまったり。

もう三十年近く前のことだし、おそらく今の小学生たちよりもマセてもいないと思うけれど「OちゃんとAくんが、迷路の中でチュウしてたー!」とか、はやし立てるようなこともあったけれど、みんなで笑い飛ばして団結して準備を進めていった。文化祭当日もものすごく大盛況になり、他のクラスの先生なんかも「みんな面白いっていうてる迷路は、これか?」などとニコニコしながらやってきて、「四つん這いはヒザが痛くなるわ」なんて言いながらも迷路を楽しんでいってくれたりした。なかには暗闇が怖くて泣き出してしまう低学年の子もいたけれど、そんな時はダンボールをぶち抜いていいから立っていいよ! と声をかけたりもした。

作り上げている材料はダンボールとガムテープという単純なものだけなので、文化祭が終わって片付けをするのも一瞬で終わってしまった。その時、「楽しい時間はあっというまに終わってしまうなあ」とクラスの男子が言った。わたしは、なんだか寂しい気持ちグワリと心のなかに押し寄せてきて、うつむいてしまった。涙がこぼれるほどのことではない。けれど、楽しかったことが、なんにもなかったかのように、がらんとした教室を見るのは寂しかった。クラスのみんな心のなかにも、文化祭前後の熱狂的な楽しさが終わってしまう寂しさが、さあっと広がっていったように感じられた。

そのとき、S先生が「なんやみんな、辛気くさいなあ」と笑い飛ばすように言ってくれた。「みんなで作った『くらやみ迷路』は、もう、目の前にはないけどな。みんなで作って、大成功したのは間違いないやんか。それに遊びにきてくれた全部の生徒の心のなかにあるんやで? なんでそんなメソメソしてるん」と笑いながら言ってくれた。そして「こんなに、みんなが一致団結してやり遂げた! って思える体験はなかなかないんやで。運動会とかはちがうの? と思うかもしれないけど、運動嫌いな子にとっては何にも楽しくない行事かもしれへんやろ? こうして、みんなで『楽しかった、終わるのが寂しい』って思えるのは、人生の中でもトップクラスの出来事や!」とほんとうにニコニコしながら言ってくれた。そして、S先生がそう言ってるんなら、本当かも、と言う思いがクラス中に広がって、しんみりとしていたムードがさあっと波のように引いていったのだった。

そして後日、先生が保護者向けに作成している「学級通信」にも、「くらやみ迷路、大成功」と題されて、準備の様子から、当日の大盛況のこと、片付けをしていたときにクラスのみんなに広がっていた寂しさなどについても事細かに書かれていた。そして、その学級通信はこんな風に締め括られていた。

「クラスのみんなは、大変すばらしい体験をしました。この体験は大人になったときに、ふと思い出すかもしれません。いつまでもきらきらと光る宝石のように、笑顔になれる経験を生み出したのは、子ども達自身です。このクラスの担任として、とても誇らしい出来事でした」

今でも、「文化祭の思い出」として、小学生のころの記憶をありありと思い出せる。私は子どもを育てていないけれど、友人などの子ども達と接する機会はたくさんある。そんなときに、子ども達に対して、きちんと向き合って、楽しませたり、悪いことをしたときには怒ったりできるだろうか? 不安な気持ちになったときには、きちんと目をみながら「大丈夫だよ」と言ってあげることができるだろうか? 教育に携わる立場ではないけれど、「この人の言っていることを、信じていいんだな」と感じてもらえるような大人になっているだろうか?

私はもう、担任をしてくれていた当時のS先生と同じくらいの年齢になっているのだから。



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