カレスコ

『カレイドスコープ-私を殺した人は無罪のまま-』【#まどか観劇記録2020 8/60】

会場に入ると360度を客席に囲まれ見下ろされる形でシンプルな舞台セットがあった。
隠れるものもない。机と椅子と役者だけ。
そこで、すごいものを見た。

あらすじ
ある日、少女が別荘で首を吊っているのが見つかった。
容疑者にひとりの少年が浮かんだが、裁判の判決は無罪。
判決に納得できない少女の父。
父の親友は、彼を案じ、少女の死の真相を解き明かすために関係者を少女が亡くなった別荘に集める。
自殺か、他殺か。
様々な想いを抱いて集まった関係者の感情と本心がぶつかり合った先に何があるのか。

シンプルな舞台構成と巧みな心理誘導

“サスペンス密室劇”という触れ込み通り、作品の舞台は別荘の一室。

場面転換が起きるわけでもない机と椅子だけのシンプルなステージが客席の真ん中にあります。そこに、ひとり、またひとり、登場人物が増えていきます。基本的に登場人物は増えるばかり。死角のない舞台に自由に出入りができるのは例の少女だけです。おそらく。

舞台を見下ろす(四方から見下ろすというのがまたなんとも不思議な心理状況)観客は、登場した人物たちが何を話すか知っています。そう、少女の死について。
最初から目的を共有されているから、舞台上に人が増えるたび、この人はどういう関係者なのだろう、何を言うのか、まさかこの人が少女を…?いやいや、といったように好奇心と猜疑心が入り混じった感情で登場人物たちの一挙手一投足を見つめることになります。ただ漫然と行われていることを受け取るだけでなく、自ら考えるように誘導されているから、観客はより作品に対してのめりこむことに。

人間らしさをまざまざと見せつけられる1時間50分

一方、舞台の上では。
関係者同士の腹の探り合いが始まっています。もう何も語ることのない少女が最期、何を考えどうその人生を終えたのか。誰も知りません。そして、知りたい人ばかりではありません。少女の真実が明らかになることで、自らの生活になんらか望ましくない影響が出ないことを願いたい人もいます。表面上が穏やかであればこれ以上かき乱したくないそんな気持ちだってあります。知りたい人、知りたくない人、みんな、自分に都合のよい“真実”を獲得したいのかもしれません。

人の死、というある意味究極な事象に対して、それぞれの関係者の思惑がぶつかり、始めは表面上穏やかに進んでいた物語も次第に熱を帯び、装っていたものたちが剥がれ、隠していた本音が現れます。とてもとても生々しいものでした。
声を荒げ、ののしりあい、もみ合い、のたうち回り、吐き出される人間の様。自分勝手なところ、醜いところ、弱いところ、普段はかくして生きている部分がさらけ出されている。これはもう見ていて心がとても痛い。悲しいんじゃないんです。辛いんじゃないんです。かすかに嫌悪さえ抱いてしまう目の前の光景が、自分の中にもあることを強く自覚するからです。この弱さ、この醜さは自分だ、と。目をそらしたいのに、そこに自分がいるから目をそらせない。1時間50分の上演時間、とてもしんどかった(誉め言葉です)。

作品名のカレイドスコープは万華鏡のことですが、私は、この作品から万華鏡の華やかさではなく、合わせ鏡、無限鏡の要素を感じました。きっと万華鏡の真ん中に自分が入ったら、あらゆる面から鏡に映されて見たくないもの、隠しておきたいもの、全部見せられてしまうんだろうな、なんて。

勝手な想像ですが、観客でこれだけしんどいのだから、キャストの方々はもっとずっとしんどいのではないかと思いました。
しかも、舞台構成も、装置も、一度出たら出ずっぱりの状況も、芝居で勝負するしかないぞ、という環境です。どれだけの覚悟を持った作品なのだと、その挑戦とそしてその成功に心から敬意を表します。素晴らしかった…!

3/1まで。新宿にて。

** 観劇直後の興奮冷めやらぬツイートはこちら **


おすすめの作品などを教えていただけるととてもうれしいです。