見出し画像

宇多田ヒカル「私の心の中にあなたがいる」

人は常に誰かと対話している。
「眠い……仕事行きたくない……でも今日は無理か……」
「えーっと、忘れ物ないかな?」
「マジか! 電車止まってんじゃん」
話しているのも聴いているのも自分。
この一人対話のパターンが対話の中ではいちばん多いんじゃないだろうか。「ざけんなよ!」「やっちまった!」「やめてくれよー」「カンケ―ないし」「おいおいおい」声に出していない“発音”は、自分だけに聴かせている。
宇多田ヒカルの『道』という曲は、お母さんと対話している姿が描かれている。心の中にはいつもお母さんがいて、「あなたならどうする?」と問いかける。
そう、一人対話は多くが問いかけのかたちになる。
なぜだろう?
「マジか! 電車止まってんじゃん(どうする?)」
「ざけんなよ!(そうだよな?)」
「カンケ―ないし(だよな?)」
「おいおいおい(やばくね?)」
問いの形を取らずに自分に問いかけるのは、当然同意すると分かっているから。
いずれにしても、人は常に誰かに問いかけないと生きづらくなる生き物のようだ。
正直、うっとうしい問いかけもある。
「このへん一帯うかがってるんですけど、水回り大丈夫ですか?」
(対話するほど金がかかると分かってくる)
「職質です。どちらへ?」
(流ちょうな対話でも言葉が出なくても疑われる)
「もう忘れろって、な?」
(お前がこんなオレに関わりたくないから言ってるだけだろ)
そんなどうでもいい問いかけは別として、自分にとって大事な、ということは生きることに関わる問いかけは、実は他人ではなくて自分自身によって行われている。
「何を価値として生きるのか?」
「どんな人間になりたいのか?」
「死ぬときにどんな人生であったと思いたいのか?」
容易には答えが出ない問いかけは、誰かに尋ねてみる。
本に探し求めることもある。
歌や映画の中に、あるいは大自然の中からヒントだけでも掴み取ろうとする。
その一環として、亡くなった親やきょうだい、配偶者との対話もある。
この能力を持てたことは、人間にとっては計り知れない『大ジャンプ装置』ではないかと思っている。こだわりを捨てたり、考えをすっきりさせたり、そして新しい自分になれる大ジャンプ。
なぜか分からないが、この世にいない人にだけは素直になれる。嘘を付けない。格好悪くてもいいから正直でありたい。そんな開かれた自分が対話できる相手など、この世にはいない。
逆に言うと、私をまっさらにしてくれるのは亡くなった身近な人なのかもしれない。その人のことを思い続けることで、自分はいつも開かれていられる。対話の相手として、ありがたい存在だ。
この世知辛い世の中でも、わずかなひとときでも素直になりたくて、苦しさを脱ぎたくて、私はあなたを思い起こしているのだけれど、本当は、対話している相手は「あなた」という私。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?