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成人年齢について

現在、日本の成人年齢は18歳ということになっている。これの背景には世界的にコンセンサスが取られた子どもの権利条約の影響や、未成年による殺人事件の影響がある。各国ではもう成人なのにまだ権利が与えられていないのは不公平だという思いや、年齢が若いということで残虐な事件を起こしても罰せられないのはおかしいという思いがあったのだろうが、18歳成人は実情に合っているだろうか。被害者やその家族の気持ちは強く感じるにしても、人間本性や、大人や子どもといった概念をよく考えていくと、そう簡単に世界でそうだからとか、我慢できないというだけで18歳に成人年齢をするのはどうだろうか。個人的意見では逆に大人をいなくすることになると思われる。

ではどうすればいいのか。私は成人年齢は23歳がいいのではないかと考えている。これなら大学に行くことが一般的になった実情にも合うし、大人というものが働いていなくてはいけないという一般の考えにも合致する。

23歳成人はどういいか

成人とは年齢によって大人とみなされた者のことをいう。つまり、社会人と認めるということであり、いまの日本では18歳になると自動的に大人になるということだ。大人には当然権利と責任がついて回り、その理論的基礎は責任能力だ。こう考えてみると、なぜニートやフリーターや高齢者が問題なのかがよくわかる。つまり、大人とみなされているが働いていない人たちとは一体何なのかということだ。働くとは社会のために自身の能力を活かすことであり、社会人でない成員をどうすべきかは問題に違いないだろう。ここではとりあえずそれは置いておいて、23歳成人の利点を述べることにしよう。

前提として、私の意見は「日本は成人年齢を23歳にすべきだ」というものだ。仮に日本が23歳成人としたとしてみよう。するとよい効果が見えてくる。

まず、「大人」という概念と成人の整合性が取れるようになる。大人とは社会人であり、働くことによって社会の一員と認められている者であり、権利を与えられ、責任を課せられる存在だ。大人でない人は、若さが原因でそうであるなら「子ども」といわれる。すなわち、子どもとは大人になる可能性を持った年齢の若い者のことだ。ということは子どもには教育が必要であり、社会を存続させるという前提で話せば、大人になるためには教育が必要ということになる。なぜなら成人もいずれ働けなくなるからだ。となれば、子どもは大人でないから、働くのは大人の条件といってもいいだろう。そうでない場合はいまは考えないでおく。つまり、18歳成人では働いていない者が成人になっているのであり、大人の概念の意味がなくなってしまう。加えて自覚も生まれづらく、本人たちにとっても酷な話となってしまう。一方で23歳成人であればこうした混乱はなくなるといえる。

次に、大人になるための教育期間が伸びると同時に、子どもと大人の概念の曖昧さが軽減され、大人になることが大きな意味を持つようになる。これは一つ目とも関連するが、成人という制度は年齢によって大人と子どもを区別しようというものだ。いってしまえば、子どものような成人、大人のような未成年がもちろんいることになる。しかしこの制度をしっかり運用しようとするのであれば、できるだけ子どもに教育し、大人になってもらわなければいけない。しかも成人になるまでにだ。私たちは、子どものときは猶予と寛大な精神によって、責任を免れている。そう考えると子どもの期間が長いのは社会のためにもなろう。

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