才能なんてない…ことはなかった。

自慢できるような才能なんてない。

けれど、生まれてきたからには、
何かはあるのだろう。
いつかは得られるのだろう。

そんな期待に縋って生きてきた。

現実は理不尽だし、
楽しいことなんかさしてなく、
あったとしてもほんの一瞬。

理想とは程遠い自分で、
納得のいかない世界を生きている。

明るい夢でも見ていよう。
なんて前を向いたら、
人生のゴールが見えてしまった。

何をしたところで
死んでしまうだけなんて、
ガッカリしちゃう。

五体満足で、食うに困らず、
継がなきゃならない家業もなく、
やりたいことをやれる人生なのに、
何一つ、ままならない。

本当の自分は、こうじゃないのに。

訊かれてもいないのに、
言い訳するような人生。

傷ついたプライドに見合うだけの
成果なり、結果なりが欲しい。
というか、なければおかしい。

そんな人生に対するクレームが、
才能があると信じる根拠だったんだよね。

そりゃ根拠なんかないはずさ。
ただの願望だもの。

こうして才能があるはずの私は、
なんの才能もない私になり果てたある日のこと。

実家の片付けをすることになりました。

やりたくないし、得意でもない。
むしろ、苦手なのだけれど、
誰かがやってくれる訳でもない。

父は捨てられない上に、買い物好き。
ガラクタをお宝と読んでいる。

こっちはやりたくもないのに仕方なく片付け、
向こうはやりもしないくせに文句だけは言う。

互いに不満しかなく、
片付ける度にケンカになった。

疲れ果てて、好きにさせていたら、
足の踏み場もなくなってしまい、
結局、私がやることになったのでした。

だから言ったのに…
なんで、私が?

そんな怒りに任せて片付けをしていたところ、
唐突に悟ったのですよ。

これって、才能なんじゃないの?

才能って、私にしかない特別なもの。
そんな気がしていた。

社会的に認められたり、
暮らしを立ててゆけたり、
フォロワーが沢山いたり、
ぶっちゃけて言えば、
現実を豊かにしたり、
承認欲求を満たしてくれるようなもの。

もちろん、そういった才能に溢れた人もいる。
そして、そういう人は、努力の結果だという。

きっと夢中になれる対象に出会えたら、
才能は開花するのだろう。
なんて夢を見ていた。

けれど、やれるからやっただけ。
やらなきゃならないから、続けただけ。

それだって、才能なんじゃなかろうか。

今、できることの全てが、才能。
人間は、才能の塊。


さて、私が片付けなければならなくなった
最大の理由は、忍耐がなかったからだ。

ゴミ屋敷としか思えないあの部屋も、
父にとっては生活している家。

ちょっと散らかっているけれど、
誰かに文句を言われる筋合いはない。
だって、俺の家なんだから。

父なりの勝手な筋が通ってしまった以上、
現状に我慢できない人がやるしかないのだ。
好き嫌いや、苦手や、やりたくないは関係ない。

自分を通したいなら、
後先考えず、耐えていればいい。

父には、現状に耐えられる才能があったということ。

飽きっぽい私には、その才能がなかった。
なので、私が片付けをしている。
そういうこと。

別の見方をすれば、
父よりは、片付けの才能があるということ。

もしかしたら、
罵詈雑言の文句は嫉妬だろうか?

人並み以下とはいえ、
自分よりは遥かに高い片付けの才能がある
ワタクシを僻んでいたり…は、ないか。

現状に耐えられないから、変化を選ぶ。
変わりたくないから、現状に耐える。

それぞれの選択。
それぞれの基準でしか生きられないから。
それを、世の正論と言い換えているだけ。

父ににとって私の片付けは、
馴染んだ暮らしを破壊する
厄災みたいなものだったのかもしれない。

私が父のゴミの城に耐えられないように。

父にも私にも、
従うことしかできない感性、感覚がある。

悪いと思ってもやり、
やりたくなくても出来たりする。

理性の及ばないも行動。
やらずにはいられない。
だから、続けることができる。

耐えられなくなったら変化し、
仕切り直しながら続けてゆく。

才能は止められない。
出来ること全てが、才能。

芽ぶくかどうかはわからないけれど、
できないことは、やれない。

なので、できることは、全て才能。

やりたくない片付けも、
眠いのに起きることも。

人は誰もが才能の塊。

そう考えてみると、
自分も才能豊かな気がしてくる。

望んでいる才能とは違ったけれど、
根拠がない自信という夢想よりは、
頼りになるのかもしれない。

 fumori 


#思い込みが変わったこと


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