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彼女が死んだ話

 彼女は僕の部屋で死んでたんだ。クローゼットのなか僕の洋服たちと一緒に並んでた。首にぐるぐる巻きつけた針金ハンガーで吊られてた。
 一体どういうつもりなんだ? 僕の部屋で勝手に死ぬなんて、非常識にもほどがあるだろう。いつだって君は自分ばかりで人の迷惑なんて考えちゃいないんだ。
 わかってるよ。僕への当てつけなんだろう? 君は僕を困らせることしかしないんだから。最近かまってやれなくて悪かったよ。
 でも、死ぬことなんてないだろ。

 僕は急いで彼女を下ろした。パイプに絡んだ針金をほどくのは大変だった。ああ、もうどうでもいいと思って、衝動的にやったんだ。かわいそうに。
 少しぬるく、かたくなった彼女が床に落ちて鈍い音をたてる。首の針金を引きはがすと彼女の皮が膚が、まつわって一緒にえぐれた。
 こんなことで死ぬなんて思わなかった。君がこんなに弱いなんて思わなかった。ほんの少し目を離しただけだったのに。ほんのついさっきまで動いていたのに呻いていたのに足掻いていたのに。僕のほんの目の先で、僕の腕の中で。

 君がいけないんだよ。知らない男と一緒に歩いていた君がいけないんだよ。
 このところいつもきっかり定時で上がって十八時四分の電車で帰ってくる君が、いくら待っても帰ってこないから一時間待っても二時間待っても帰ってこないから、僕は君の会社へ行こうと思ったんだ。
 最寄り駅の改札を出て、さてもう一度住所を確認しようかと思ったところで君の声がした。君の隣にはしゃれたスーツ姿の男が並んで歩く。君が腰に男の手の伸びるのを許していて、僕は張りついたように動けない。初めて見る顔で君が、あんなにも嬉しそうに楽しそうに笑っているから僕は、僕は。

 君はその晩もその翌朝も家に帰ってこなかったね。僕はずっと待っていたのに。君の部屋でずっと待っていたのに。
 やっと帰ってきた君は僕を見てはびっくりしてすこし飛びのいた後、まんまるい瞳のまま固まった。急に君があんまり小さくいとおしく思えて、僕は君を抱きしめて全てを許そうと思った。そしたら君は気でも違ったかのように耳をつんざく声を上げて、子供みたいにお外へ出たくない駄々っ子みたいにまるで必死に僕から離れようとするんだ。
 君の爪が僕の左まぶたを引っ掻いて、視界が赤く濁って澄んでいった。鈍い痛みとともに何かが冷えていってそこにはただ君のうなじがある。首の骨の突起のややずれた位置には汚らしいべにいろの痣があって、僕は、僕の血でなぞって、塗りつぶして、隠して。

 ああ、それからどうなったんだろう。僕は? 今日は家から出ていない気がする。これは前の彼女の記憶だろうか、前の前の彼女だろうか、それとも。君のうしろくびにも今ではきれいな痣があって、僕がつけたのかしゃれたスーツ野郎がつけたのかもうわからない。
 僕は君のなかに入る。まだ緩んだ部分の筋肉がぴたりと吸いつく、君も僕の洋服になる。君も君も君も、みんな、年代物の大きなクローゼットに入れて大事に取っておくんだ。


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