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スーイッシュを探す旅 第3話

≪時の淵≫


ー 魔女 ー


ハイエルがまず馬車を降りた。
その後に7人が続く。
数学者、植物学者、考古学者、まじない師、占星術師、黒髪の少女
最後にカード占い師が降り立った。
一人一人に手を差し伸べながら、ハイエルは

「ようこそ、時間の淵の入り口へ。」

と、にこやかに言った。
そして、おもむろに振り向いたとき、あっ!と声をあげた。

「なんだい、その驚きようは。」

ハイエルの後ろに立っていたのは、御者のテオではなく
杖を持った一人の老女であった。

「まさか、わたしのことを忘れたとは言わせないよ。」

ニヤリとした含み笑いに、ハイエルは戸惑いながらも答えた。

「覚えていますとも。あなたこそ、このツアーを私に導かせた張本人ではありませんか。
あの日、私が森で迷子になった日のことを忘れるはずがありません。
・・・しかし、テオは?・・・まさか・・・」

「フフン、まさかわたしが取って食ったとでも?」

黙って呆気にとられたままの7人に向かって老女はニンマリ笑い、
それからハイエルに向き直って言った。

「まだわからないのかい?わたしだよ。テオはわたしだったんだよ。」

呆然と立ち尽くす8人に、老女は言った。

「立ち話もなんだから、歩きながら話すとしよう。
ここに、見えないラインが一筋引いてある。これを跨げば時の淵さ。
行くよ。」

老女は長い杖で地面に線を引くしぐさをした。

「跨ぎ方を見れば、覚悟のほどがわかるというもの。
いや、なに、気にしないでおくれ。わたしの独り言だ。
ここまで来た者に、覚悟もへったくれもないからね。」

老女はさっさと歩き始めた。
後を追ってハイエルが。
そして次々に7人が時の淵へと入っていった。

後ろを振り向きもせずに老女は言った。
さほど大きな声とも思えなかったが、
なぜか8人の耳に、彼女の声はしっかりと届いたのだった。

「あの日、まだ小さかったハイエルを森の出口まで送り届けてから、
わたしは森にいったん戻って、その後ハイエルの家に行ったんだよ。
若い男の姿になってね。ノイマン家の従者になるためさ。
なんったって、わたしは魔女だからね、姿を変えるくらいは朝飯前だ。
お前もわかっていただろう?わたしが魔女だってことは。」

老女は立ち止まり、振り向いて、ハイエルを見た。

「お前が、あの日のことを忘れてしまわないようにね。
常にお前のそばにいて、道を示すためだよ。
子供ってやつは、大人に諭されれば、どんなに自分の中に確かにある現実も、夢物語ってことで押し込めちまうからね。胸の奥深くにさ。
けして消えてなくなるわけじゃないがね、忘れてしまうってことはよくあるもんさ。」

ハイエルは、これまでテオにだけは熱心に子供のころの不思議な出来事を話してきた。
その理由が今やっとわかったのだった。
最初は微笑んで聞いてくれた母でさえ、ハイエルが十五歳になった日に、
フォルストマイスターの跡継ぎとして相応しい人間になるように、
とやんわりと釘を刺したものだ。
テオがいなければ、
いや、魔女がテオとしてハイエルの従者になっていなければ
今日のツアーを思いつくこともなかったろう。
子供の頃に見た、森の幻として片付けてしまい、
ただの思い出の一つに過ぎなくなっていたに違いない。

「もうすぐ着くよ。スーイッシュの生える場所にね。」

魔女はそう言って、また歩き始めた。


ー 縛られた少女と8本の剣 ー


雑木が鬱蒼と乱れ立つ森を、一人の魔女に先導されて皆は歩いた。
植物学者は、落ち着かない様子で辺りを見回しながら、
時折まじない師に目を向ける。
まじない師は、その視線に気づいて、軽く会釈し、笑顔を見せた。
星読みは、そんな二人の様子に気付いて、うんうんというようにうなずいてから空を見上げた。
空を覆うように繁る木の葉の合間から、木漏れ日が漏れている。
魔女が立ち止まって言った。

「ここだよ。」

唐突に森がひらけて、9人の前に10メートル四方ほどの草原が現れた。
ひざ下までの丈の短い草ばかりで、花は咲いていない。
それよりも、皆の目を強烈に惹きつけたものがある。
草原の真ん中に立つ一本の木と
その木に縄で縛られ、目隠しをされてうなだれる少女の姿。
そしてその周囲には、木に縛られた少女を取り囲むように
8本の剣が地面に突き刺さっていたのだ。

「何?、これ・・・まるでタロットカードのソード8番じゃないの!」

最初に声を上げたのは星読みだった。
確かに、剣が突き刺さっている場所、構図は違うが、
タロットカードのソード8番そのものと言ってよかった。

「う・・・」

と、全員が呻くような声を上げた。
8人全員の驚きは、その縛られた少女が
ツアーに参加している黒髪の少女とうり二つだったことによる。

「なんで私があそこにいるの?!」

黒髪の少女が叫び声を上げて、中央に向かって走り出した。

走り寄った少女は、突き刺さった剣の手前で、
何かに弾き飛ばされるように後ろに転がった。

「お待ち。焦るんじゃないよ。ものには順序ってもんがあるんだ。」

魔女は、ゆっくりと黒髪の少女に近づき、手を出して助け起こした。

「必ずこの娘を救ってやろうじゃないか。わたしたちみんなでね。
この娘はあんただ。
だから、目隠しを取ってやるのも、縄をほどいてやるのも
あんた自身の手でしなきゃならない。
だが、そんなあんたに、わたしたちは手助けができるってわけなんだ。」


ー 数学者、植物学者、己の剣を抜く ー


遠巻きに見ていた残りの7人も、二人のそばにやってきた。
魔女に手を取られて起き上がったばかりの少女は、
荒い呼吸を調えようと深く息を吐いた。

「あの木は、アプリコットですね。」

草原の中央に立つ一本の木を指さして、植物学者は言った。
そう、今、目の前にいる少女とうり二つの、もう一人の黒髪の少女が
縛り付けられている木である。

「お嬢さんは、あの木と同じ匂いがします。
アプリコットの原産地はモンゴルだと言われているんですよ。
知っていましたか?」

少女は首を横に振った。
彼女の髪から、ふわりとアプリコットの匂いが漂う。

「ここら辺は、アプリコットの響きで満ちておるな。
あの娘を、ずっと守ってきたんじゃろう。」

そう言ったのは、まじない師だった。

「さあて、そろそろ始めようか。」

魔女が言った。

「ここからは、わたしの言葉をよく聞いておくれ。
順序を間違えないように。」

まずは、と、魔女が杖で指し示したのは、数学者だった。

「お前さん、そこの剣を抜いてみな。ゆっくりでいいよ。
しっかり柄を握ってね。」

数学者は、私ですか・・・というような驚いた顔を一瞬見せたが、
すぐにうなずいて、自分の前に突き刺さった剣の柄を両手で握った。
う・・・、抜けない。
魔女は、まるで呪文でも唱えるように淡々と語り始めた。

「その剣は、お前の知だ。外界に既にある、誰かが考えた知識ではなく
お前の中にある知の力だ。それを呼び覚ますように生きるのだ。
しかし、決して知に偏り過ぎぬよう、気をつけろ。
知の力に振り回されてはならん。」

魔女が語り終えた瞬間、剣が抜けた。
熱でも発しているかのように、剣の刃の周りの空気が揺らいで見えた。

「そのまま、持っていておくれ。全員が自分の剣を抜き終わるまでね。
さあ、お次は、お前だよ。」

と、魔女は植物学者に杖の先を向けた。
ほとんど予期していたのだろう。
植物学者は、ためらいなく目の前の一本の剣に手を伸ばした。
またもや魔女は、呪文でもつぶやくような声で語り始めた。

「この森に入った時から、お前の力は開き始めている。
植物たちの声が聞こえるようになっているだろう。」

「確かにそうです。が、何故それを?」

植物学者は、剣を抜く手を止めないままに、魔女に尋ねた。

「見ていればわかるよ。なあ、そこの老まじない師さんよ。」

と、魔女はまじない師の方を見て、ニヤリと笑った。
まじない師も笑い返す。星読みも優しく微笑んでいる。

「その剣は、お前の知りたいことを知るための道しるべとなる。
剣の示す方向に迎え。必ず植物が応えてくれる。」

スッと剣が地面から抜ける。
植物学者は、まじまじと、自分の手が持っている剣を見て
その音を聞くかのように、耳を刃にそっと近づけた。
小さくうなりが聞こえる。

「さて、次はお前さんだ。」

魔女が杖を差し出したのは、考古学者だった。


ー 考古学者の疑問 ー


考古学者は、魔女の方に一歩踏み出して言った。

「剣を抜く前に、一つお尋ねしたいことがあるのですが。」

「ああ、かまわないよ。聞きたいことは何でも聞いておくれ。
剣を抜くのは、納得してからの方がいいだろうさ。」

「ありがとうございます。では、率直に。」

率直に、とは言ったものの、すぐに言葉は出ず、
考古学者は、深く息を吸い、吐きながら肩の力を抜くようにして、言葉を続けた。

「あなたは先ほど、順序を間違えないようにとおっしゃった。
その順序というのは、剣を抜く順番という捉え方でよろしいですかな。」

「ああ。そうだよ。
でも、あんたが聞きたいのはそんなことじゃないだろう。」

「はい。実にその通りで。」

ちょっと口ごもった後、考古学者は堰を切ったようにしゃべり出した。

「その順番は、年代順ではないのかと思ったんですよ。
年代というのは、年齢の意味ではなく、生きている時代のことです。
私たち8人は、実は違う時代に生きている人間の集まりなんじゃないでしょうか。」

魔女は、嬉しそうに含み笑いをして黙っている。
魔女の笑みを受けて、考古学者は続けた。

「やはりそうでしたか。
最初馬車に乗り込んだときはね、
みなさんそれぞれが変わった服装をしている
と思ったんですが、
スーイッシュを探す旅なんてものにやってくる連中だ。
私も含めて酔狂ぞろいだから、身なりも酔狂にわざとしているんだろうって、そう考えていたんですがね。
途中から、何か違和感を覚え始めましてね。
私は世界中を旅した人間です。だからわかるんですが・・・。
異国の人は、民族衣装を着ていなくとも、
その国の雰囲気を身にまとっているものなんですよ。
ここに集まった皆さんには、なんとなくそういうのに近い雰囲気を感じたんです。
国は全員ドイツだ。だけど、身にまとっているものが明らかに違う。
これは、生きている時代の違いなのではないかとね。

時代が違うと直感したのには、もう一つ理由があります。
言葉です。
同じドイツ語とは思えないほどに発音も言い回しも違うってことに
話している途中で気づいたんです。
ええ、最初はわからなかった。
なぜなら、会話中では、話の内容が音声よりも強く、
テレパシーみたいに心に響く感じだったんです。
意味がスラスラわかるもんだから、
言葉の違いに注意を向けなかったんですよ。
でも、いったん気付いてしまうと、
何故なんだろうって考えてしまいました。
それで出た結論が、時代の違いだったんです。

もしそうだとすると、剣を抜く順番があるのだとすれば、
時代の新しい人からか、あるいは古い人から順々に、
とまあ、そう推測したわけです。
ところが、私の見たところ、そちらの占星術師さんの方が、私より新しい時代、つまり私の時代から見ると未来にあたる時代の人に思えて仕方ないんですよ。
剣を抜いたのは、数学者さんから始まって植物学者さんでしょう。
その次が私。
どう考えても古い時代から順々になっているとは思えないし。
この順番の意味を、教えてもらってから剣を抜きたいのですが。」

ウンウンというように魔女はうなずいた。

「よく気が付いたね。
生きている時代が違うっていうのは、全くその通りだよ。
お前たちは、みんなそれぞれ異なった時代からここに集まってきた。
一番新しいのは、この娘だよ。
一番古いのは、あの占い師の坊やさ。
この二人は、いわば、魂の双子とでも言おうかね。
お前たち男7人にしたって、同じ魂を持つ人間なんだけどね。
まあ、その辺のところはまた追々話すとして。
今は順番の話だったね。

剣を抜く順番は、時代の順番とはあんまり関係ないよ。
一番抜きやすそうなものから抜いているってだけさ。
この娘を除く、他の男たちはね、
実はみんな一つの魂が生まれ変わった姿なのさ。
お前たちは、互いに相手を自分とは違う他人だと思っていただろうが
8人全部が、違う時代に生きる自分だったというわけさ。
過去も現在も未来も、実は同時に存在しているんだよ。
先祖や子孫っていうのとはわけが違うからね。
勘違いしないでおくれよ。
始まりは、捨て子の占い師だ。
そしてハイエル・ノイマン。それからまじないい師の爺さん。
そして考古学者、植物学者、数学者、星読みの順だよ。
この7人は、違う時代に住む同じ一人の男だと思えばいいだろう。
この娘はね、その一人の男にとってのツインだ。
わたしはね、お前たち8人の専属の天使みたいなもんでね。
私も、お前たち8人と切っても切れない同じ一つの魂を源としているんだよ。
魂部門がわたしで、人間部門がお前たち・・・
そんな感じかねえ。
だから、私は男でも女でもない。
今は女の姿をしているがね、
ただ人間に化けているだけときだけ、男になったり女になったりするのさ。
本当のわたしにはね、性別はないんだよ。

ああ、そうだ。剣を抜く順番の話をしよう。
おまえたちは、魂を忘れて人間として地上で生きているうちに、
自分ではないものに縛られて生きてきた。
本当は自分で自分を縛ったんだけどね、そのことを忘れてしまってるのさ。
常識ってやつが、その最たるものだね。
おまえたちはみんな、そんな常識に抗い、跳ね飛ばして自分を生きようとしてきただろう。
例外なく、全員がね。
中でも星読みはね、最も根強いもの・・・
性別と年齢、老いと言ってもいいね。
そういったものに真っ向から抗って生きている。
星読みが持つべき剣は、最も深く大地に刺さっているんだよ。
抜き取るには、他の剣を抜いてやって、大地の負担を軽くしてやるのが手っ取り早い。
わかるだろう。
もしも指に何本もの棘が刺さった時、一番抜きにくそうな棘から抜くよりも
抜きやすそうなものから抜こうとする。そんなもんさ。
だからと言って、星読みが一番偉くって、
数学者が大したことのない人生だと言ってるわけじゃないよ。
みんなそれぞれに、自分の人生で精いっぱいの働きをしているのさ。
なんといっても、どれもみんな自分自身じゃないか。
わたしは時代を超えて、お前たちのサポートをし続けてきたんだ。
最初と最後をつなぐためにね。
そして、あの娘の縄を断ち切らせるためにね。

ごらん。あそこで縛られて目隠しされている娘を。
あの娘は、こっちの娘のもう一つの姿でもある。
そして、お前たちみんなの姿でもある。
あの縄を断ち切るのは、他でもない、お前たち自身の意志の力だよ。
私には杖はあるが、剣はないんだ。
あの縄は、お前たちの剣でしか切ることはできないんだよ。
わたしたちは、運命共同体どころか、本物の一つの魂であり
その現れなんだ。」

「わかりました。・・・いえ、まだ頭は少々混乱していますが。
それでは、剣を抜きます。」

と言って、考古学者は剣を大地から引き抜いた。


ー 老まじない師とその師匠の秘密 ー


「次はわしの番じゃな。」

剣の前に進み出たまじない師が言った。

「相変わらず、察しがいいね。」

魔女がニヤリと笑った。

「わしも一つ聞いておこう。もう答えはわかっておるが・・・。」

まじない師も、魔女によく似た笑いをニヤリと返した。

「あんたは、わしの師匠じゃろ。
わしと同じように草木の声が聞こえ、わしを森に連れ出し、
わしに薬草の抽出法やら、草木のことならなんでもかんでも教えてくれた。
呪文の唱え方もな。
あんたは、あの師匠じゃな。」

「ああ、そうだよ。」

「わしは師匠を、人間の男だとずっと思い込んでいたが
あんたが、御者のテオになるくらい朝飯前だというのを聞いた時、
もしやと思ったよ。
その後、森を歩いている間に、森からあんたの情報を得た。
なるほどと、合点がいったもんじゃ。
幻の植物、スーイッシュの話をしてくれたのも、
師匠があんただったからこそじゃな。
わしが一人前になった頃、わしの目の前で息を引き取り、
わしはこの手で土を掘り、あんたを葬った。今でも覚えているさ。
朝までわしは泣いたんじゃ。唯一の理解者を永遠に失ったと思ってな。
じゃが、あんたは、死んでなどいなかった。
そうじゃ、死ぬどころか、生きてさえいなかったんだ。
普通の人間としては。
まんまとしてやられた気がして、笑いを抑えきれん。」

そこでまじない師は、ブハッハッハッハーと大きく笑った。
魔女も大笑いしている。
他の7人は、呆気に取られていたが、
やがて二人の笑いにつられてクスクスと笑い出し、
ついに大爆笑となった。

一同の笑いがおさまったとき、まじない師が言った。

「さあ、抜こうかの。よいか。」

「ああ、いつでもいいよ。もう軽く抜けるはずだ。」

まじない師は剣を地上から抜き取り、天に高くかざした。
美しい鋼の音が、森に木霊した。


ー つながる時代とハイエルの剣 ー


「待たせたな、ハイエル。」

魔女はハイエルを真っすぐに見た。
残す剣は4本である。
アプリコットの木に縛られた少女を取り巻くように、
円形に突き立てられていた8本の剣の内、
少女の前面の3本と、右手側の1本が既に抜けている。

「さあ、お前はこっちの剣を抜くんだ。」

と、魔女は縛られた少女の左横の剣を杖で指し示した。
ハイエルは、その剣の前に立ち、柄に手を添えてからうつむいて言った。

「まさかテオがあなただったとは・・・。」

「ふふん。お前は、今、家に帰ってからの心配をしただろう。
テオのいない生活のことを。
スーイッシュをまだ見もしない内に、帰ってからの心配をするとは
全くハイエルらしいねえ。お前は小さい頃からそうだった。」

ハイエルは顔を赤らめた。

「そうさ。お前は、ここでスーイッシュを目撃したあと、現実の世界に戻らねばならん。
そこにはもうテオはいない。テオとしてのわたしの役目は終わったからね。
お前は一人でこの森から帰るんだ。自分の時代の時空間へね。
それは、他のみんなも同じだよ。
それぞれが、それぞれの時代の時空間へと戻って、
それぞれのやるべきことをやって人生を全うするのさ。」

老まじない師が言葉をはさんだ。

「わしは、ここに留まろうと思っておるがの。」

「ああ、そうだな。お前さんはそれでよかろうて。
わたしと一緒に守護天使となって、
この時の淵からみんなをサポートしようじゃないか。」

植物学者がにこりと笑って言った。

「それは頼もしい。」

「ハイエルよ、お前はスーイッシュの物語を、
お前の時代に埋め込むという大事な働きをせにゃならん。
日記にでも書き留めておくんだな。
いずれ後の世に、そこの考古学者がその日記を見つけてくれる。
そうすりゃ植物学者の目に留まり、彼は研究に没頭するだろうさ。
世に広まるとまではいかなくとも、そこの数学者の目には、必ず留まることになる。
この流れが、新たな時空間の在り方の発見へと繋がっていくんだよ。
ハイエルには、もう一つ、フォルストマイスターとしての仕事もある。
時の淵への出入り口を、この森から失われないように、しっかり管理するんだよ。
後の世にも残るようにね。」

「ああ、そういうことだったのですね。」

と、ハイエルは深く納得するようにうなずいた後、
少し首をひねり、続けて言った。

「でも、一つ疑問があります。
私の家には、代々受け継がれた、スーイッシュの伝説が既にあるんですよ。
私が埋め込む以前からある伝承とは何なのでしょうか。
私たちと無関係とは思えません。」

「そうだね。それについても話しておかないといけないね。
お前たちは男7人で一人の男だと言ったのは覚えているかい。
そして、この娘とは魂としてのツインなんだ。二人で一つ。
だから、お前たちは8人で一つだとも言えるんだよ。
そこにわたしという非物質な存在、いわば高い次元の自分がいるわけだ。
いわば、9人でひとまとまりの存在さ。
そんなひとまとまりが、他にも数限りなくあるってことなんだよ。
時間的にも連綿と続き、空間的にも延々と広がっているのさ。
言葉や表現が違おうと、源へと遡れば、一つの魂へと還っていく。」

「それで、世界中にスーイッシュによく似た伝承が残っているというわけですね。」

考古学者が言った。

「ああ、そうとも言える。だけどね、別に植物だけの話じゃないよ。
古代からの伝承、伝説は、ある一つの源から発せられて、
人間の世で数限りなく展開していったって寸法だ。
石や岩の話もあれば、音や言葉に関する話もあるだろう。
数え上げればきりがない。
わたしたちは、数ある話の中で、この物語を選んだというだけのことだ。
どの物語を選ぼうと、目的は一つさ。
全てが源に還るための道筋なんだよ。
さあ、そろそろ抜いてもいいんじゃないかい。」

ハイエルはうなずき、柄を握る手にぐっと力を込めて、抜いた。
ハイエルが抜き取った剣の刃には、渦巻き文様が彫り込まれていた。


ー 集大成としての占星術師が抜く剣 ー


「次はアタシね。どの剣を抜けばいいかしら?」

占星術師が魔女に向かって尋ねた。

「真後ろの剣だよ。
お前は・・・わたしに一番近い。
いや、なに、似ているという意味じゃないよ。
男と女の間に位置する、そんなような意味さ。
わたしには性別も年齢もない。
お前は、性別と年齢を、意識の上で超えたんだよ。」

占星術師は、大股でゆっくりと歩き、アプリコットの木の真後ろに立った。
そこは当然、縛られた少女の真後ろでもある。
占星術師が柄に手を置くと、魔女は呪文を唱えるような口調で語り始めた。

「お前は星読みとして、人間の定まった運命、
つまりシミュレーションゲームとしての人生が、閉じられた輪のようなものだと気が付いた。
ゲームオーバーしても、また次のゲームへと輪廻を繰り返し
天動説的な星の支配をみずから受ける人間に、
新たな人生の扉を開くこともできるのだと、地動説的星読みを開始したね。
ところが、それも何か違うと感じ始めた。
一つの閉じられた輪を開いても、その外に更に大きな輪がある。
どこまでもキリがないと。
ならば、どうする?
枠の中の自由、枠を広げる自由・・・
そもそも枠を作っていたのが自分だと知ったならば
枠を造る自由もあるさ
そして、もう一つ
枠を造らない自由に、お前は行き着いた。

お前がそこに至るには、
ここにいる全員の人生が反映されなければならなかった。
よくやったと言いたいね。
お前も、みんなも。

さあて、お前は、もう一つの働きをも忘れてはいけないよ。
お前は絵描きなんだよ。
枠を造らず、お前自身を創っていけばいい。

描き続けるんだよ。
花を、草木を、人を、空を、星たちを。
お前の目に映るすべてをね。
お前が見るもの、それがお前自身だ。」

占星術師の大きな瞳が涙でうるんだ。
細い指を柄に巻き付けるようにして握り、一気に剣を抜き取った。

剣先から七色の光が放たれて、空に大きな虹の橋を架けた。


ー 始まりと終わりをつないで、縄を断ち切る ー


「いよいよ最後の剣を抜く時が来たね。
残る剣は2本。始まりと終わりの剣だ。
だから、これは2本同時に抜かなけりゃいけないんだよ。」

魔女は更に続けた。

「その前に、あの娘の目隠しを取ってやりな。」

と、魔女は黒髪の少女に向かって言った。

「お前の手で、ほどいてやるんだよ。優しくね。」

少女は、ぐっとうなずいて、アプリコットの木に縛られている少女・・・
自分とそっくりの、おそらくは、もう一人の自分に近づき、
うなだれている少女の目隠しの布を、優しい手つきでほどくのだった。
一枚の布がはらりと地面に落ちる。
目隠しは取れた。
しかし、縛られた少女はまだうつむいたまま、目を開けようとはしない。
黒髪の少女は不安げな顔を魔女に向けた。

「それでいい。その娘が目を開くのは、縄が断ち切れた時だ。
その娘は、まだまどろみの中にいるんだよ。
目隠しが取れていることに気づけないのさ。
大丈夫。順調にいってるよ。」

緊張の面持ちで、カード占い師が魔女に声をかけた。

「あの・・・、僕のことを教えてもらえませんか。
僕は捨て子で、両親のことも何も知らないんです。
剣を抜く前に、僕は僕のことを、
ほんの少しでもいい、知っておきたいんです。」

「もっともなことだ。
お前には、普通の人間のような根がないからな。
親であるとか、先祖であるとか、そういう意味での根が、お前にはない。
もちろん、お前が生まれたからには、そりゃあ、肉体的な親はいたさ。
だが、お前は、ある意味、そういう血縁的な根よりも、
もっと深く広い根を持っているんだよ。
わかるかい?」

占い師はじっと魔女を見つめて言った。

「はい、わかります。
僕は、捨て子でありながら、親のいない寂しさを感じたことがありません。
修道院で手厚く育てられたということもありますが
それだけでなく・・・、なんというか
神のふところに抱かれているような、
絶対的な安心感がずっとあったんです。
それもやはり、修道院で育ったせいなのだろうと、
今までは思ってきました。」

「お前は、本当は知っているはずだよ。
言葉にはならなくても、
修道士たちが呼ぶ神と、お前が感じている神とは違うってことも
お前自身のことも、全てをな。

周囲の人間からは計り知れない恩恵をお前は受けている。
やるべきこと、やってはいけないこと、
誰から教わるでもなく、お前は知っているのさ。
普通の親の元で育てられたら、お前は自由に生きられなかったからね。
だから、みずから望んで捨て子になった、とも言えるよ。
お前には根はない。
なぜなら、お前自身が根そのものだからだ。」

占い師はうなずく。

「さあ、坊や、お嬢ちゃん、剣を抜こうじゃないか。
木の右後ろが坊や、左後ろがお嬢ちゃんだ。」

二人が剣の前に立ち、柄に手をかけた。

「いいかい。2本の剣は同時に抜かなきゃいけないんだ。
でも、わざわざ息を合わせる必要はないよ。
抜けるタイミングは地面の下の土が知っている。
全て土に委ねるつもりで、抜いてごらん。」

二人は顔を見合わせて、互いにうなずき合った。
硬く埋まった剣だったが、ふっと力が緩むようにすんなりと抜けた。
見守っていた8人の顔にも笑みが浮かぶ。

その時、遠くでシューっと音がした。何かが近づいてくるような音だ。
音は次第に大きくなる。

「さあ、みんな、剣を高く掲げるんだ。
あの音を捕まえるよ。」

円形に陣取るように立つ8人の剣が、高くかざされた。
上空から、ゴゴゴーっと、すさまじい勢いで降りてくる竜巻が見える。
竜巻は、8本の剣の間で渦巻いた後、
みるみる形を変え、
一匹の龍の姿となって旋回しながら再び天空に還っていった。

「さあ、今のうちに縄を断ち切るよ。」

今のうちに、と魔女が言った理由を、誰もが理解していた。
高く掲げた剣が熱いのだ。
この熱が冷めないうちに、ということだ。
占い師と黒髪の少女は、中央に進み出て、縛られた少女と木との間に
それぞれの剣を差し込んだ。

「今度はしっかり息を合わせるんだよ。」

二人は顔を見合わせて、目で合図を送り合う。
グググっと剣が縄にめり込み、
最後の一息で8本の縄はスッパリと断ち切られた。

縄は、スローモーションのように、ゆっくりと落ちながら、
地面に着く前に順々に消えていく。
これまで、どれだけの長い年月か、それともここには時間が存在しなくて
別の言い方をすれば永久に、なのかはわからないが
縛られ続けていた少女の体が、自由になった。
少女は、うなだれていた首を真っ直ぐ前に向け、ついに目を開いた。
魔女は彼女の前に歩み寄って、彼女の目を見つめ返した。
そして、剣をかざしたままの6人に声をかけた。

「もういいよ。みんな、さあ、剣を下ろして、こっちに集まるんだ。
いよいよスーイッシュの誕生だよ。」


ー スーイッシュの誕生 ー


8人は、剣を下ろして片手に持ち、中央に集まった。
魔女が、中央に立つ少女、さっきまで縄に縛られていた少女を指さす。

少女は口もきけない様子である。
だが、驚いているといった表情ではなかった。
自分に何が起きているのかを、超速度で考えているといった風情の顔だ。

「さあ、一人ずつ、この娘の目を見るんだ。
なあに、ここまでくれば、順序はどうでもいいさ。」

順番を譲り合う必要もなかった。
少女の方からゆっくりと視線を合わせてくれたのだから。

最初に目を合わせたのは、黒髪の少女だった。

「あなたは、私。」

と、初めて、縛られていた方の少女が声を出した。

「ええ、そうよ。私はあなた。」

黒髪の少女も応える。
二人の少女の瞳は漆黒である。
特に、縄のほどけた少女の瞳の奥は深淵な闇のようだった。
見つめ合う内に、その深淵な闇に、小さな光が灯った。
彼女はゆっくりと視線を移し、次々と、一人一人に目を合わせていった。
一人と目が合うたびに、彼女の漆黒の瞳に小さな光が一つ、宿っていくのだった。

8人すべてが目を合わし終えたとき、
彼女の瞳の中に8つの光が恒星のように瞬き、
彼女の全身がキラキラと輝き始めた。
そして、彼女の体は、光でできたモザイク壁画が壊れるように、
バラバラに崩れ落ちていくのだった。

ーああ・・・

8人は、息を呑むようにその様子を見つめていたが
キラキラと光を放ちながら散っていく彼女の体の欠片は、
あっという間に、消えてしまった。

「お前たちが日ごろリアルだと思っている現実は、これと同じさ。
幻みたいなもんなんだよ。
痛みも苦しみも、喜びも、何もかもが幻想なんだ。
だけど、その幻想は、確かにあるんだよ。
こんなにも美しい光の欠片としてね。」

そう言って、魔女は土の上を杖で指し示した。
アプリコットの木の根元近く、
たった今まで、少女が立っていた場所、その足元の辺りである。

ーあっ!

一同は声を上げた。
そこには、一粒の種が落ちていたのだ。

「この種は、あの娘そのものだよ。
あの娘はね、お前たちの記憶をすべて瞳に宿して、種となったんだよ。
見えていた体は幻想だから消えた。
でも、この種こそが、
これからのお前たちにとっての本当のリアルとなるんだ。」

魔女はしゃがんで、種のそばの土を細い指で掻き、穴を掘った。
そこに種をそっと置き、言った。

「さあ、みんなの手で、土をかぶせるんだ。剣は脇に置いておけ。」

全員が、頭が触れ合うほどに近づき、
ひと掬いずつ両手で土をかぶせていった。

「ああ、それでいい。
少し下がって立っておくれ。
剣を胸の前にして、祈るようにかざすんだ。」

8人は、魔女の言う通りに剣を胸の前に立てた。

「祈れ。」

と魔女が言った。
何に祈るのか、何を祈るのか、魔女は何も言わなかった。
8人は、ただ瞼を閉じて、静かに祈った。
彼らの祈りは空白だった。
決して空虚ではなく、具体的な願いなど何もない、無の祈りだった。
強いて言えば瞑想のようなものか。

やがてポツポツと雨が降り出した。
雨はしだいに強くなり、地面を潤し、8人の体と剣を濡らしていった。

「東洋では、このような雨をジウというのです。
慈しみの雨という意味だそうです。」

と、考古学者が言った。

「そうだ。それが、お前たち7人の男の、もう一つの名前だよ。
種がちゃんと目覚めるように、男が贈ることのできる愛の名だ。」

その時、8人全員が、アッ!と声を上げた。
握っていたはずの剣が消えたのだ。
8人の手の中に剣はなく、
ただ合掌のポーズをしている自分に気付いたのだった。

「大丈夫だ。剣は、お前たちの胸の中に吸収されたんだ。
心配することはない。
これからのお前たちは、剣とともにある。」

そのとき、不意にまじない師が呟いた。

「芽が出たな。」

彼には土の中の種の様子が見えるのだ。

「私にも、今、見えました。」

植物学者が興奮したように言う。

「芽は、種を内側から突き破るように生えると、思われがちですが
私に言わせれば違います。
芽は、種が裏返るようにして出てくるのです。
芽は、種が内側に持っていたすべての情報、記憶を、
外側に裏返したものなのです。
だから、薔薇は薔薇。百合は百合と、
決して自分を間違えて咲くことはありません。」

魔女は満足そうに微笑んでから、一同を見渡し、
まるで宣言するかのように、高らかに言い放った。

「お前たちの未来の自由が、今、確定した。
思う存分、生きるがいい。」

雨はいつの間にかやんでいた。
土の上に、可愛らしい小さな双葉が出ている。
細い茎は、途中、柔らかな葉っぱを開かせながら、
見る見る間に1メートルほどの高さにまで伸びて
クルクルっと右にも左にも輪を描いた。
ちょうど楽譜のト音記号を逆さ書きしたような形である。

一陣の風がト音記号を揺らして、さっと吹き抜けた。
葉っぱも一斉に揺れる。
描かれた輪の中心に蕾が膨らみ始めている。
赤みを帯びた蕾は、見る間に大きくなり、ついに花を開かせ始めた。
オレンジ色がかった濃いピンクの花びらが、次々と開いていった。

花は光を放っていた。
いや、花だけでなく、茎も葉も、全体がきらめいている。

「これがスーイッシュ・・・」

「そうだ、これがお前たちの花だ。
お前たち自身の未来の姿さ。
スーイッシュは、光合成をしない。
太陽を必要としないんだ。
なぜなら、この花が既に太陽そのものだからだよ。
みずから光を放ち、周りを照らすものが太陽なのさ。
それを恒星とも言ってきた。
お前たちは、今後、自らの光と熱で生きるんだ。
そして、まわりに光と熱を放ちながら生きていくことになる。
それが確定したってことさ。」

8人は黙って魔女の言葉に耳を傾けながらスーイッシュを見ている。

「スーイッシュは、時の淵、現世の時間とは隔たれたこの場所で
これからも咲き続ける。
だが、お前たちの、現世での営みがなければ、
決して種を落とすことはできなかった。
目隠しされて、縛られた状態で現世を生き続けていたなら、
現世を眠った状態で生き続けていたなら、
スーイッシュが咲くことはない。
目覚めると決めること、本当の自分を、自分の中に求めること
現世を厭わずに自分を生きようとする、
その強い熱情を持ち続けていたお前たちだからこそ、なし得たわざだ。

さあ、そろそろ帰る時が来たようだ。
なに、心配はいらない。
ちゃんと森の出口まで、送っていくよ。
カラスの姿でね。
ついておいで。

戻る時代は、みんなバラバラだからね、
みんなの顔を見るのは、ここで最後となるけどね。
大丈夫。どれもみんな自分だ。」

魔女はそこで、つ、とまじない師を見て笑った。

「そうそう、この爺さんはわたしと一緒にここにいるよ。
いつでも心の中で訪ねてくればいい。
また会えるさ。心の中でなら、いつでも、会いたいときに。」

魔女の声が次第に遠ざかり、カラスの鳴き声と重なっていった。



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