見出し画像

再開と別離の合図

前書き

『南海道中栗毛猫』のお話の中に
「うぐいすの宿」と題した章があるのですが
その話を、もっと別の角度から書きたいと思い
できたのが、この『再会と別離の合図』です。

『南海道中栗毛猫』とは、直接関係ありませんが
どこかでつながってもいます。

『南海道中栗毛猫』の後にお読みいただく方が
より、わかりやすいかもしれません。

では、『再会と別離の合図』
お楽しみください。

序章


時は平安。村上天皇の御代のことである。
帝の住まいである清涼殿の庭の、梅の木が枯れる・・・
という出来事があった。

それは、事件性(誰かが故意に枯らしたなどの)こそ無かったが、
後に『大鏡』で語られるほどの、遺恨を残す結果となった。

一体、誰が誰に遺恨を残したのかは、
『大鏡』の記述からは明確には読み取れない。

さて、枯れた梅の木に代わる立派な梅の木を所望した帝は、
臣下にこう命じた。

「清涼殿にふさわしい梅の木を探して参れ。」

仰せを承った臣下にとって、それは難題であった。
ただの梅の木ではいけない。
帝が気に入るような木である。
そんじょそこらに生えているはずもない。
これはもう、紀州磐代(いわしろ)の梅の里まで出向くしかなかろうと、
考えていた。

こんな大事、人に任せるわけにもいかず、
自分が行ってこの目で確かめ、選ばなくてはならない・・・。

気が滅入る・・・。

ここで読者の中に、
磐代(いわしろ)の名に見覚えのある方がいらっしゃるかもしれない。

そう、有間皇子が、最期の願いを込めて歌を詠んだ磐代の松・・・
その磐代である。
ただ、その話は、これから語る話とは直接関係はしないし、
時代的にも大幅なズレがあるため、
ここではそれ以上触れないことにする。

梅の木一つに気が滅入っていた臣下のところに、
吉報が舞い込んだ。
藤原某の娘が、ちょうど良い木を知っていると言ってきたのだ。
臣下は早速、藤原の娘に教えられた家へと向かう事にした。

その家は京の町外れにあり、地味で古風な造り。
中の敷地は、外からは伺い知れぬほどの広さがありそうに見えた。

門をくぐると、なるほど、立派な一本の梅の木が目に飛び込んできた。
いや、立派なという形容はふさわしくない。
その枝ぶり、幹の色艶、花の咲き具合のどれもが、
えも言われぬ調和の元に、
いきいきと生命の喜びを現しているかのようであったのだ。

家の主人には、帝の勅令であると告げ、
翌日には木を根から掘り起こす手はずとなった。

「さようでございますか。」

その家の主人は、一言そう言っただけである。
勅令には、有無も言わせぬ力があることは誰もが承知している。
しかし、それにしても拍子抜けするほどの簡単な返事だった。


一 梅に鶯

娘が一人、部屋の窓枠に寄りかかり座っている。
時折、窓の外を見やり、
梅の木の根元を人夫たちが掘り返していく様を眺めては溜め息をつき、
また部屋のどことも定まらぬ辺りに視線を移す。
誰かと話をしているようでもあり、
独り言をつぶやいているようにも見える。
部屋には娘の他には誰もいない。

実はこの時、娘はある存在と話していたのである。
存在は自分のことを『鶯の精』だと言った。

ここで一つ、梅と鶯について、少々話しておかねばならない事がある。
一般に『梅に鶯』と言えば、取り合せの良いもの、調和のとれたものという成句(意味の定まった言葉)であり、
決して、現実に梅の木に鶯がとまっているところをよく見かけるというわけではない。
実際に梅の木によくとまっているのは目白であり、
鶯はたいてい藪の中にいることが多い。
また、梅の開花の時期は早春で、
鶯の初音はそれより少し遅れて春を告げる。
春告鳥と言われるゆえんでもあるのだが、
梅の花と鶯の鳴き声には時期的に若干のズレがあるのだ。
では、なぜ『梅に鶯』という成句が生まれたのかと言えば、
春を待ち焦がれる人の気持ちが、
花では梅、鳥では鶯に込められている
ということからきているのかもしれない。
どちらも、春を待ちわびる者にとって、
春がやっと巡ってきたと実感させてくれるものだから。
つまるところ、『梅に鶯』は、比喩(たとえ)なのだ。

それは、一般的には『取り合わせの良いもの、調和のとれたもの』
の意であるが、その成句の方ではなく、
『梅の木と鶯』について、長い間待ちわびた春の到来を示す、
ある合言葉のようなもの・・・
そのような比喩(たとえ)として、この物語を紡いでいきたいと思う。
決して、現実にはないからと言って無意味だと即断せず、
かつまた、現実に似たような話があったからと、
直接的にその意味を探ることのないよう、切にお願いしたい。


娘は昨日から、沈み込んでいた。
なぜ、あの木が根こそぎ持っていかれなければならないのだろう・・・。
帝の所望、勅令。
大切に育てたからこそ召し上げられた、と言えなくもない。
そういう意味では、帝の御眼鏡にかなったと、
ほこりに思うべきなのかもしれない。
しかし、娘にはとてもそのような発想は浮かばなかった。
悔しさと、ぶつけ所のない怒りが娘の中でくすぶり続け、
昨夜はおかしな夢ばかり見た。
朝、目が覚めた時から部屋に一人の少年が静かに座っていて、娘に微笑みかけた時も、まだ夢の続きだと信じて疑わなかったほどである。

少年は言った。

「君に話があるんだ。梅の木がすっかり掘られて抜き取られるまでに、君に伝えておきたい事がある。」

「あなた、誰?」

「僕は、そうだな・・・鶯の精・・・とでも言っておこうか。」


二 藤

君の梅の木のことを、帝の臣下に教えたのが誰だか、
君は知ってるかい?
そうさ、藤原の娘。君の友達さ。
この部屋にも時々来たことがあるだろう。

彼女は、自称、君のファン・・・かな?
クスッ。
随分と君の日記や歌を褒めて、ステキ!って言ってたよね。
そして、君の言葉をサラリと使って自分の歌にしたり物語に書いたりして、文壇を賑わせてさ。

一方君は、自分の書いたものを大々的に発表しないし、
自分が書くというその行為だけで満足してる。
だから、誰にもわからない。
藤の娘が、さも自分で思いついたかのように書けば、
それらの言葉の産みの親である君の存在は、
一見消えてなくなるというわけだ。

君はそれでも全然構わなかった。
そうだよね。むしろ、君の言葉が、彼女の存在の御蔭で陽の目を浴びるのだとまで考えてたぐらいだから。
だけどね、言葉には、言葉そのものの意味と、音の響き、
そしてその言葉を発する意図という三つの要素がある。
同じ言葉でも、
使う人によって響きや重みが変わって聞こえるのはそのためだ。
意味と音までを盗めても、
いや、盗むなんて言い方は良くないな、
真似をしたとしても、だ。
意図までは真似できない。
意図はその人の意思であり、進化への動機を持つものだからね。
真似をした時点で、進化への意思を失うということさ。

いいかい?
藤の花は色あでやかで、上品で、
慎ましく見えながらも人目を引き、
周囲の羨望を一斉に集めることのできる花だ。
しかし、その蔓(つる)で、他の樹木に絡みつき、
上部を覆い、光合成を妨げる。
おまけにゆるゆると時間をかけて、幹を変形させてしまうんだ。

君は、その藤にすっかり陽光を遮られて、幹も歪み始めていたんだよ。
見目麗しい藤の娘と、身分も低く見た目もぱっとしない君。
この関係はずっと続くんだ。
これまでもそうだったし、これからもそう。
この世の始まりから終わりまで絶えることなく継続していく関係さ。
君は、今日の悔しさと怒りを、どこにも手放すことは出来ない。
世の終わりが来るまでね。

少し難しい話をするけど、大事なことだから聞いてくれ。
進化への意思に関わる大切な事なんだ。

人間は誰でも、二人の自分を持っている。
本当の自分と偽りの自分と言うこともできるけど、
ちょっと違うかな。
進化への方向性を持つ意思と、
その反映として生み出される、進化の方向性を失った自分だ。
人間として生きていく以上、この二人の自分は必要不可欠なんだ。

君は、今の一生だけではなく、
また違う時代に生きては、その二人の自分を育てていくんだ。
育てると言っても、実際に培い、育てるのは片方の自分だけで、
もう片方はあくまでその影として、
くっついて育ってしまうだけだけれどね。
何度も違う時代を生きては、色んな経験を通して、
影も生み出しながら完成させていくのさ。
と言っても、君という魂が何度も生まれ変わって、
別の肉体に入るイメージは間違っているよ。

そうだな、こう考えてくれるかい?
この世界が一人の人間だとしよう。
赤ん坊として生まれ、成長し、成熟し、
やがて老いて新たな命にバトンタッチする。
誰だって、子供の頃の自分と大人になった自分は、
体も心もすっかり違っているのに、
途中で肉体を乗り替えたり、誰かと入れ替わったとは思わないよね。
ずーっと自分でいたと感じているはずだ。

今の時代は、この世を一人の人間だとした場合、
まだ若い時代で、今の君は若い時代の君なんだ。
いずれ世界が新しい生まれ変わりを迎える時代にも、
君という人間は存在する。
その時に、君の中の二人の自分は、選択を迫られることになる。
主体をどちらに置くかで、
新たな世界へと進化して入っていく力と、
見送られていく力に分化するのさ。
救われる人間と救われない人間に分かれるという意味じゃないよ。

君は、今の自分しか意識できないだろうけど、
君はずっと生き続けていくんだ。
世の終わりまで進化の意志を持ち続け、
本当の自分はこっちだと胸を張って言えるように、
こうして今、僕が現れたというわけさ。


時間というものを、君は一方的に流れるものだと考えているだろう。
過去から未来へと流れる時間の中の時代であり、人生であると。
時間をそう捉えた時には、
過去の時代に生きた君と今の時代に生きる君、
そして千年後の君は、別の人間で、肉体も人格も違うから、
それを生まれ変わりと思ってしまうんだ。
でも、そうじゃない。
君はいつでも君だし、今はいつでも過去の全てを含み持っているんだ。
つまりね、千年後の君にとっての今の君は、
千年後の君自身でもあるということだよ。
僕が今君に話しかけていることは、
全て千年後の君に話しかけているということにもなるんだ。

君は今の人生を懸命に生きていく。
大した花は咲かないだろうし、
多くの人に愛されたり、チヤホヤされることもないだろう。
苦しいこともいっぱいあるさ。
今日のように、
むりやり梅の木と引き剥がされる哀しみを味わうこともある。
だけどね、これだけは忘れないで欲しい。
必ず君のそばに僕がいるということをね。
それさえ忘れなければ、君は自分を見失うことはない。

さっき、藤の話をしたね。
藤の娘はあでやかな藤の花。
君という木に絡みつき、成長を曲げる。
だけどね、その藤の娘が、直接君を損なわせるわけじゃないんだ。
君の中には二人の自分がいて、
片方は「これが私」と生きようとする。
もう片方は、「これがお前だ」と、
他人や社会からの評価、枠組みで君を規定しようとする。
その二つとも、確かに君ではあるんだが、
君が君自身を生きているという実感は、前者の方にしかない。
前者の自分に巻付き、縛り付け、成長を妨げる藤の蔓(つる)は、
実は後者の自分、影の方の自分なんだ。
君の藤は、決して花を咲かせない。
おまけに薔薇のようなトゲさえついている。
そうして君は君自身を傷つけ始めようとしている。
君という木の成長のために、影の蔓も必要ではあるけれど、
影を自分だと思ってしまい、主体を影に引き渡してしまったら、
もう君に進化は望めない。

いつかその蔓(つる)を全て刈り取らねばならない時が来る。
それは、蔓(つる)に隠れて見えなかった君という木が、
順調に成長した時だ。
そして、時代も成熟期を迎えた時だ。
千年後、僕は必ず君に合図を送るよ。
今日、君に会いに来たのは、その時の合図を教えるためだ。
そしてもう一つ、蔓(つる)の刈り取りが終わった後に、
君が行うべき事柄の合言葉を知らせておくよ。
その合言葉が、ゴーサインだ。
君が君自身をあらわしていくスタートのサインだからね。
それまでは、怒りも悔しさも、どこにもやり場はない。
合言葉を聞いたら、それまで溜め込んだ怒りや悔しさを、
一気にひっくり返して、外に現してくれ。
大丈夫さ。
その時は既に怒りも悔しさも裏返っているから、
今君が想像するような爆発は起こらない。

さて、合図だね。
これについては、天竺よりさらに西のかなた、
エジプトの神話について話さなければならない。

 


三 時の神、トート

天竺よりさらに西方にある、エジプトという国に、
トートという神がいると伝えられている。
トートは「月の神」であり、「時の神」であり、
「言葉の神」でもある。
また、「神々の書記官」として真実を記すとも言われているんだ。
ふふっ、僕はトートによって、ここに遣わされた・・・
と言うこともできる。
ごめんよ、分かりにくい言い方をしてしまったね。

トートは、トキという鳥の姿で表されることもある。
神話というものは真実が語られ、伝えられているものなんだ。
ただし、世界が成熟しきった時代の終わりが到来するまでは、
ずいぶんと歪められる事になるんだけどね。
君が知っている日本の神話も、
いつか君自身が調べて読み解いてみるといいよ。
面白い事実が見えてくるはずだ。
今日は、そのヒントになることを、少し話しておこうと思う。

トートは「時の神」だ。
時は君たちが知っている時間じゃないよ。
時間を越えたところにある、真実の時間なのさ。
君は、過去から未来へと時間が流れているように感じているだろう。
それは、さっきも言ったけど、間違ったイメージ、錯覚なんだ。
そんな時間の感覚が定着していくと、
人間は本当に『時』を忘れていく。
千年後には、「時は金なり」なんて言われる時代が来るんだよ。
時間の切り売り、何時間働いたらいくら儲かるか・・・ってね。
そんなものが本当の『時』のはずがないじゃないか。
人間はみんな、そんな時間の中にはまりこんで
抜け出せなくなっていくのさ。
だから、今の自分の中に、
過去の全ての自分が含まれている事に気付けなくなってしまう。

僕はね、そんな偽りの時間を抜け出して、
真実の時間から君に会いに来ているんだ。

トートはまた、「言葉の神」であり、「真実を記す書記官」でもある。
エジプト神話ではアヌビスという神もいてね。
アヌビス神は、死者の魂を天秤にかけて、
その人が生きている間に、何をしたか、何を言ったかを、
真実の羽根と照らし合わせて計量するって話になっている。
これの意味するところはね、
善行とか悪行とかじゃなくてね、
どれだけ自分自身に嘘をつかずに生きたかって事なんだよ。
他人にじゃないよ、自分にさ。

さっき話した、二人の自分の内、どちらが主体かってことだ。
誰でも両方の自分を持っているけど、
どちらを本当の自分だと捉えるのかっていう意味さ。
「これが私だ」と思う方の自分を大切にするか、
「これがお前だ」と思われる方の自分を大切にするか・・・だ。

その二人の自分の間で揺れ動く主体が、
わずかでも影の方に傾いていたら、もう冥界には入れない。
冥界っていうのは、真実の時間のある場所だよ。
アヌビス神はその傾きを量るのさ。
そしてトートがその記録をとる。
冥界の入口にはオシリス神が立っていてね、
全ての時代が終了する時、オシリスはその門を閉じる。
つまり、最後の審判終了ってわけだ。

なに、心配することはない。
何も、救われる人と救われない人に分かれるわけじゃないから。
影の方の自分が永遠に消えるだけだ。
主体が影に偏っている場合に、
自分が消えちゃうような気がするってことさ。

さて、僕はここで君に合図について話しておかなくちゃいけない。
千年後の君が間違わずにその合図を受け取れるようにね。
まず最初は、君という木に絡みついた蔓(つる)を
刈り取る作業を開始する合図だ。

日本神話にある「猿田彦」と「うずめ」の像が後ろを向いたら、
作業開始だからね。
そして、オシリスの像が後ろを向き始める前に、
作業を終えてしまわなければならない。
なぜなら、オシリスの回転は冥界の入口が閉まる合図だから。
まるで暗号だね。
でも、その時が来たら、君にもきっとわかるさ。

その頃、トート神も一つのサインを出すよ。
トートは「月の神」でもあるって言っただろ。
月が、ひときわ大きく輝くんだ。
全ての人に、自分を正しく見るための鏡を提供するようなものかな。
千年後の時代では「スーパームーン」なんて呼ばれ方をする。
満月の中でもとりわけ大きく強く輝く満月なのさ。

そしてもう一つ、大事な合図を伝えなくちゃ。
君は蔓(つる)を刈り取った後、
その根っこを掘り当てて、抜いてしまわなければいけないんだけど、
これがなかなか見つからないものなんだ。
その根っこが埋まっている場所を示す暗号・・・それはね、
『梅』と『木』と『鶯』だよ。

 わかったかい?『うめ』『き』『うぐいす』だ。
この言葉の見える場所に、必ず根っこがある。
トートが、いつもより強い輝きで、
その言葉のありかを指し示してくれる。
月の光を月影と言うだろう。
くっくっく。
ああ、この笑い方、やっと思い出してくれたかい?
そうさ、僕は僕だよ。
千年後の君と一緒に、蔓(つる)を刈り取ったあの僕さ。

四 終章

君は、僕のこんな話の全てを、今信じようとしなくてもいい。
ただ確かめていけばいいんだ。
分かる時には分かる。
分かったような分からないようなっていうのは、
分かってないんだよ。
本当に分かった時は、笑みがこぼれたり、涙があふれたりする。
分かるというのは、感情をも動かすのさ。
理屈を理解しただけじゃ、心は動かない。

君は今、千年後という、
まだ起きていない未来の出来事の記憶を思い出しているところだ。
僕の存在だけは、もう信じられるだろう。
そして懐かしく感じているだろう。

千年後、と言ってもピッタリ千年というわけじゃないが、
君が蔓(つる)の刈り取りを終える頃、
あの合言葉に反応して君の前に現れる者がいる。
それが藤の娘の千年後の姿だ。
彼女にとって君は、
恐ろしい形相の鬼か悪魔のように見えることだろう。
だけどね、それは君が彼女の鏡になっているだけなんだ。
役割の交代みたいなもんかな。
今の君にとって、彼女は藤の蔓(つる)に見えるだろう。
それも、彼女が君の鏡となってくれて、
君の中の蔓(つる)を映し出しているだけなのさ。
恨む筋合いも、恨まれる筋合いもない。
なぜって、彼女はかつての君であり、
君は未来の彼女なんだから。
彼女だけじゃないよ。
君の前に現れる全ての人に同じことが言えるのさ。
過去と未来は、ねじれた円環でつながっている。

千年後の君にはもう分かっているはずだ。
彼女が映し出してくれるところに、
君の蔓(つる)の根っこ、影の君の本体がある。
そいつを切り離すんだよ。
いいかい?
目の前にいる彼女ではなく、
君の心の中にある、君自身の影の本体を切り離すんだ。
そして、永遠の別れを告げる。

そうすれば君は、
もう一人の自分をはっきりと自覚できるようになるだろう。
もう一人の自分の目で、その世界を見るんだよ。
きっとそこには、懐かしい顔ぶれが揃っているはずだ。
かつて、日が暮れるまで遊んだ幼なじみや、
夜通し語り明かした朋友や、
笑い合い、励まし合った仲間たちの姿が、君の世界に満ち溢れる。

どうだい?楽しみになってきたかい?

さて、そろそろ仕上げといくか。
君は、あの三つの合言葉を自分で埋め込まなくちゃいけない。
この歴史の中に、千年後の君が見つけられるようにね。

万葉の昔、有間皇子が、
自分にかけられた封印を解くために行なったのと同じ方法だ・・・
と言えば、もう分かるかな?
歌を詠んで木に結ぶ・・・そうだよ。

《磐代の 浜松が枝を 引き結び 
真幸くあらば また還り見む》

有間皇子がそうしたように、君はあの梅の木に、
君の思いを、千年の後まで繋ぐ言葉で歌に詠み、枝に結ぶんだ。
帝にイヤミを言ってると人には思われるかもしれない。
だけど、そんなの気にすることはない。
誰にもその真意が伝わらなくたって、
必ずいつか、君自身がその真意を読み取る日が来るんだから。

さあ、筆を執るんだよ。
もうすぐ梅の木が完全に掘り起こされる。
・・・大丈夫さ。
僕はいつでも君の内部にいる。

千年後に、また会おう。

:..。o○☆゚・:,。:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。:..。o○☆:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

不思議な少年、鶯(ウグイス)の精は、
風が吹き抜けるように姿を消した。
部屋の空気が、急に心なしか重く感じられ、
現実味を色濃くし始めている。

娘は筆を手にした。

《勅なれば いともかしこし 
うぐいすの 宿はと問はば いかが答へむ》

娘は、それだけ書くと、手紙を丁寧に折り、
今まさに抜き取られ、運び出されようとしている梅の木に向かって駆け出した。

「あの、もし。」

何事かと振り向いた男・・・帝の使いの男であったが、
娘が深々と頭を下げて手紙を差し出しているのを見た。

「あの、これを、この手紙を梅の木に結んで、内裏にお持ちくだされ。」

少々不審に思いながらも、男は娘から手紙を受け取り、枝に結んだ。
この男が、後に『大鏡』の中に、
この時のエピソードを記すことになる夏山繁樹であった。 

帝は、想像以上の梅の木を手に入れたことで、
たいそう喜び、繁樹に衣などの褒美を授けたが、
なんとも言い難い心残りがあったと言う。
それは、梅の木の枝に結ばれていた手紙の事であった。

気になった帝は、
その梅の木を愛でていたという娘の素性を調べさせたところ、
紀貫之の娘であることがわかった・・・という話である。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?