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「二十億光年の孤独」と共に

 谷川俊太郎が、今のぼくと同じくらいの時に書いた「二十億光年の孤独」という本とともに
ニュージーランドを旅した。   

長旅の中で本当に孤独になったら、この本を開き星でも眺めようと思って持って行った。それには英訳も付いていて、コミュニケーションツールにもなるかも、という些細な下心と一緒に。

日本を発った飛行機は、夜の太平洋を渡り、星々の輝きは、これから未知の島へと向かう
ぼくをより一層孤りにさせた。

朝ついた街は、バックパックを背負うぼくへの視線は厳しく、ここじゃないどこかに向かうべくバスに乗った。なんという名の町だったか、定かではないが、海沿いのひっそりとした街で降りた。もう冬の空に日は暮れ、寒さは凍てつくほどだった。

やっとぼくは、どういう状況に自分があるのかを頭で理解した。怖さと同時に嬉しくなった。
日常ではほとんど感じることのない、生きていることをじかに感じるこの瞬間。
いつもぼくはこの感覚を拾いに旅に出る。

バスターミナルでもらった地図を頼りに、安宿がありそうな方へ歩いて行く。
同じバスで来て、数人の降車客は闇の中に消えて行った。
吐く息が白い。
初めての土地でも、だいたいぼくの感は冴えているので、すぐに宿を見つけることができた。
二、三軒あったのでそのうちの一つの扉を叩いた。

すると大きな男が、タバコを吹かしながらデッキに出てきた。
お互い顔も見えない中で、恐る恐る聞いて見た。
「ベット一つ空いてますか?」
「いやお前さんはラッキーだね、もうフロントは閉めたんだけどね。
私がここにいたから特別に入れてやる。」
「いくらですか?」
「#%$%」
ニュージーランド訛りの英語がわからなかった。
仕方ないのでノートの切れ端に数字を書いてもらう。
「$18」
そんなやりとりを経て今日の宿が決まる。
無愛想だが悪くなさそうな人だった。

結局、次の日もこの宿に滞在した。
この土地について2日目、夕暮れ時をすぎると雨が降り始めた。次第に雨脚が強まり土砂降りになった。なんとも遣る瀬ない気分になり傘をさし、小さな繁華街の方へ向かった。

スーパーに併設していくつかご飯屋があったので、そのうちの一軒の中華料理屋に入る。
中は家族づれで賑わっていた。バイキング形式になっていたが、先のことを考えるとお金があまりないので水餃子と白米だけにしといた。
周りの人間観察をしながらゆっくりとご飯を噛みしめた。

食後のコーヒーが運ばれてくると、そこでふと思い出しバックから「二十億光年の孤独」を取りだして開いてみる。

日本語の詩を英訳するとはどういうことなんだろうな、とぼんやりと考えながら両方を交互に眺めた。

しばらく物思いに耽っていると、優しく肩をたたかれた。奥の席で楽しそうに一家団欒していた中国系のおじいさんだった。
「それはなんという本だい?」
「日本では有名な詩人Syuntaro Tanikawaという人だけど知ってる?」
「知らないなあ」と言いながら優しく笑った。

ぼくがその本を手渡すと皆一様に、興味の眼差しで眺めた。そして円卓の席を一周しまたぼくの手に戻ってきた。その家族から溢れた自然な会話は、言語の壁があってわからなかった。
でも家族の暖かい空気感を見ていると、ぼくの方まで嬉しくなった。

なんて言って笑いあっていたのだろう?
そう思いながら腰を掛け直していると、
同じ東洋人だから親近感が湧いたのだろうか、孫のような年齢だからなのか、
おじいさんは帰り際、ぼくに握手を求めてきた。
「まあ頑張れよ」そう強く手のひらでぼくに語りかけてきた。
言葉よりも本質的な通づる何かがあった。
帰り道、土砂降りの雨は心なしか少し弱まり、その何かを想って眠りについた。

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